×[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
菱和の怪我も無事治り、絆創膏や包帯も取れた頃
菱和のベースを加え、“新生Haze”はマンスリーライヴに出るべく週に2回程度の割合でsilvitのスタジオで練習に励んでいる
アタルは予め渡しておいた譜面とCDRのコピーを広げながら、菱和に尋ねた
「渡しといた譜面、見たか?」
「うん、何曲か練習してきた」
「お、どれだよ?」
「“RED SILK”と“Knife”、あと“ROLEX”かな。CDも聴いたけど、この3曲はすげぇ気に入った」
菱和も譜面を広げて、“Haze”のオリジナル曲を眺めた
菱和が挙げた曲は、ベースとドラムが目立つ重い楽曲ばかりだった
「‥‥‥‥お前、センス良いなぁ」
「俺も“RED SILK”めちゃ好きなんだよねー。気が合いそうで安心した。良かったじゃーん、作曲者」
拓真がハイハットを踏んで、アタルを称賛する
「んっふっふ。んじゃ、その3曲中心に演るか」
「おっけー!」
「ひっしー、いきなり合わせても大丈夫か?」
「‥‥多分」
「ま、入れそうなら入れよ」
初めてフルメンバーで合わせる“Haze”の音
ユイはわくわくしながらピックを構える
拓真のカウントが入り、それぞれがタイミングを合わせて最初の一音を出す
突然、金属音が鳴った
ユイのギターの1弦が切れた音だった
「あ」
「──────てんめえぇぇ!!!」
アタルは猛獣のような目でユイを睨み、怒鳴り散らした
「仕様がないじゃん!!切れやすいんだから!!」
「とっとと張り替えやがれ!そのレスポール、スクラップにすんぞ!!」
アタルは苛つきながらアンプに腰掛けた
拓真がアタルを窘める
「まぁまぁ。よくあることでしょ」
「そうだけどよ‥‥いっつも大体こいつの弦切れて演奏途切れんじゃんよ!」
「待ってて、すぐ張り替えるから!」
ユイは急いで弦を張り替える準備をした
菱和も椅子に座り、ユイが弦を張り替え終わるまでと思い適当にスラップをし始めた
「ふぅーん‥‥スラップ出来んのか」
「この程度なら」
「‥‥次作る曲にスラップ入れてみっか」
「良いねー、それ。ソロも入れちゃえば?」
菱和がバンドに加入してまだまだ日が浅いというのに、アタルは菱和ならいきなりどんな無理難題を課しても平然とやってのけるような気がしていた
「お待たせっ!やろ!!」
ユイは弦を張り終え、立ち上がってギターを構えた
「やっと終わったか」
「お騒がせしました!」
「ほいほい。んじゃあ、いくよー」
改めて、全員が楽器を構え、一斉に一つの曲を奏で始めた
***
スタジオの時間が終わり、早々に片付けを済ませて外へと出る
ユイと拓真は店内を物色し、アタルと菱和は店先にある灰皿へと向かい煙草を喫い始めた
「どうだったよ、初合わせは?」
「‥‥すげぇ楽しかった」
「だろうな。この前のライヴんときとエラい違ったぞ、お前のベース」
「‥‥‥‥そーかな」
「自覚ねぇのかよ‥‥ま、俺も楽しかったぜ。ベース入れて演るの久々だし、お前の音も気に入ったわ」
「そんなら、良かったす」
「‥‥ただなぁ、なんか違うんだよなぁ‥‥」
「‥?」
「いや、ユニゾンがよ。心なしか俺とよりもユイとの方が合うんじゃねぇかと思って。あいつにサイドばっかやらすのもカワイソウかなと思うんだけどよ。お前はどっちが良い?」
「‥‥俺はどっちでも。みんながやり易い方で」
「まぁ、まだ時間あるし、ゆっくり煮詰めてくか」
「そうすね」
煙草を吹かしながら、2人は話を続けた
「しかしよー、地味なプレイほど良い味出してんだよあのチビ」
「‥‥それは何となくわかるかも」
「あいつなかなかの変わり者でよ、丸々一ヶ月カッティングだけとかリフだけとか平気で弾きまくんだ。“変態”なんだよあいつは」
「‥‥‥‥変態‥‥」
「そ。努力してるし、元々のセンスもあるんだろうけど、フツーは飽きるだろ?飽きもせずずーーーっとそれだけ延々とやってんの。変態だろ」
「‥‥‥‥」
「ま、お陰でこっちは心置きなくソロ弾けてんだけどよ」
誉めて貶し、ニヤニヤしながらユイの話をするアタル
ユイが“変態”かどうかはさておき、菱和はカッティングの正確さや地味なバッキングにも手を抜かないユイのプレイを買っていた
初めて3人でセッションしたときにも、自分の音とぴったりと重なるギターに多少の驚きもあった
───“変態の賜物”、か
ユイの努力は演奏にしっかりと現れていて、アタルの話を聞いて菱和は尚の事納得した
[0回]
PR
◆◆◆全て会話形式です。誰が話しているのかわかりにくいところもあるかも知れません‥‥。基本的に、“!”が多いのがユイ、淡々としてるのが菱和、口が悪いのがアタル、それ以外は拓真です◆◆◆
「ひっしー、思ったより早く治って良かったね」
「‥‥ん」
「早くスタジオ入りたいー!」
「俺もー。早くギター触りてえぇ」
「じゃあ、時間まで俺らがどんなバンドかってのをあっちゃんから説明してよ」
「あ?何で俺が」
「そこはやっぱり、リーダーから話すのが筋じゃない?」
「‥‥あっそ。んじゃ軽く。知ってっかもしんねぇけど、バンド名は“Haze”。マンスリーライヴにはなるべく出るようにしてる。演る曲はその時によって違うけど、コピーもオリジナルも演る。曲は基本的に俺が作ってる。メインヴォーカルは俺かユイだけど、拓真もコーラスやってる。勿論、お前にもやって貰う」
「‥‥はい」
「コピーは洋楽メイン。オリジナルはハードロックが基本だけどメタルもパンクも何でもやってる。特にジャンルは決めてねぇ。やりたいと思ったものを好きなだけやる、って感じかな」
「はい」
「えーと、‥‥こんなもんで良いか?あとは、わかんないことあったらその都度尋いてこい」
「はい」
「‥‥‥‥あとお前、敬語やめろ。なんか気持ち悪りぃ」
「わかりました」
「だから、やめろって」
「はい」
「‥‥‥‥わざとか?」
「そんなことねぇです」
「‥‥‥‥」
「早速、始まったね」
「何が?」
「ひっしーて、意外とイケるもんね」
「‥‥普通にしてるつもりだけど」
「またまたー!」
「云われてみればちょっと意地悪なとこあるよね、アズって」
「そうか?」
「‥‥なんかよくわかんねぇなぁ‥‥無口な割に喧嘩強えぇし‥‥‥‥別に良いんだけどよ」
「じゃあさ、自己紹介したら良いんじゃない?」
「お、良いねそれ!」
「‥‥そこまでする必要なくねぇ?」
「良いじゃん!なんか楽しそう!ついでに俺らも!」
「は?俺とひっしーだけやりゃ良いんじゃねぇの?」
「良いから良いから!あっちゃんだってもっと俺のこと知りたいっしょ!」
「お前のことなんか新たに知ることね
ぇくらい知ってるっての」
「もー、遠慮しなくて良いってば!」
「してねぇっつの!」
「てかさー、自己紹介って何云えば良いの?」
「名前、生年月日、血液型、とか?あと好きなものとか趣味とか‥‥」
「はいはい!じゃあ俺からやる!」
「‥‥あっそう」
「えっと、石川 唯です!『唯一』の『唯』で“タダシ”、あだ名は“ユイ”です!9月生まれの星座は天秤座、だったかな。血液型はB型。ギターは黄色のレスポール使ってます!好きなギタリストはポール・ギルバートとヌーノとスティーヴ・ヴァイとクラプトンと‥‥」
「‥‥‥‥好きなギタリスト多過ぎね?」
「誰か一人選べよ。っつうか長げぇよ」
「選べないよ!みんな好きだもん」
「あっそ‥‥」
「あとねー、EXTREMEもガンズもスマパンも好きだし‥‥」
「もう良いだろってぇの!!!お前の好みは知ってるっつったろ!お前に喋らしてたらキリねぇわ。たー、次やれ」
「ああー、まだ途中なのに‥‥」
「はいはい、また今度ね。じゃあ‥‥佐伯 拓真です。よく“サエキ”と間違えられるけど、“サイキ”です。8月生まれ、獅子座のAB型。ドラマーだとパットとかシェーン・ガラースが好き。シンディー・ブラックマンも好きだな」
「良いね、シンディー。俺も好き!」
「な。良いよな。っていうか、俺ら好きなバンドとかミュージシャン大体被ってるから。一人が好きだったら、みんな好きだと思ってて」
「‥‥‥‥ふぅん」
「じゃあ、次はあっちゃんだね」
「俺か。えーと、一ノ瀬 中。『中』と書いて“アタル”。年は‥‥お前らより5コ上か。誕生日は11月、射手座のA型。好きなもんは酒。ギターはSG。マイケル・シェンカーとジミヘンは俺の神。以上」
「あっちゃんて、A型っぽくなさそうでいちばんA型っぽいよね」
「あ?お前だって誰がどう見てもB型だろ。この自己中天然変態KYヤローが」
「ありがと!それ誉め言葉だから!」
「‥けっ!」
「じゃあ最後に、ひっしーどうぞ」
「‥‥‥‥、菱和です」
「‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥」
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥え、終わり?」
「ん?」
「名前だけで終わりかよ!!」
「なんかもっとこう、好きなベーシストとかさ‥‥」
「ジャック・ブレイズ。ビリー・シーン。バリー・スパークス。ジャコ・パストリアス」
「ジャコパとか渋すぎるな。‥‥そういや、下の名前聞いてなかったな」
「‥‥‥‥」
「‥‥あ?」
「‥‥“梓”、だよ!」
「“アズサ”?」
「‥‥‥‥ん」
「へぇ‥‥なんか、“タツヤ”とか“トオル”っぽい」
「あー、どっちもしっくりくるね」
「何で自分で云わねぇんだよ?」
「‥‥‥‥好きじゃないんす。自分の名前」
「え、何で?」
「‥‥女っぽいから」
「店長は“ちゃん”付けで呼んでるよね」
「そう。きめぇ」
「ふっ‥‥ははは!そんなはっきり云わなくても」
「全然キモくないよ!綺麗な名前じゃん!」
「‥‥そっか」
「お前、煙草喫うんだっけ?何喫ってんだ?」
「JPS」
「あっちゃんは?」
「ラッキー。ラッキーストライク」
「ひっしー、何型?」
「O」
「‥‥、俺ら全員血液型違うんだね」
「あ、ほんと」
「‥‥なんかカオスなバンドだな」
「でも意外とまとまってるっていうね」
「尊もO型じゃね?」
「そうだね。アズもOで、ちょうど良いね!」
「‥‥何がちょうど良いのか全然わかんねぇけどな」
「誕生日と星座は?」
「6月。双子座」
「あ、そういやアズは俺らより2コ上だよ。ね?」
「え!!?そうだったの!?」
「‥‥ん」
「今幾つ?」
「19」
「ダブってんのか。病気か怪我かなんか?」
「‥‥そんなとこです」
「あれ、身長何センチだっけ?」
「182」
「‥‥俺より2センチ高いのかよ」
「髪立たせてる分、ひっしーよりでかく見えなくもないよね」
「はは!‥‥てか、自己紹介っていうより質問責めにしちゃったね。ごめん、色々聞いちゃって」
「‥‥そっちの方が楽」
「そっすか‥‥」
「話すの好きじゃねぇのか?」
「‥‥コミュ障なんで」
「ふはは!まぁそんなもんは俺らと一緒に居りゃあ無くなると思うぜ?ご覧の通り、お喋りな奴ばっかりだ。逆に、お前が耐えれるかどうかってことになってくるだろうよ」
「大丈夫す。‥‥“楽しい”んで」
「そっか。ま、仲良くやろうや。ダチとしてもベーシストとしても、宜しく頼むぜ?」
「リズム隊、宜しく!」
「Hazeにようこそ、アズ!宜しくね!」
「‥‥こちらこそ、宜しくどうぞ」
◆◆◆Hazeのメンバーが挙げたバンドやミュージシャンは、殆ど著者が好きなものです。大分片寄ってますが、興味抱かれた方は是非つべなどでご視聴下さい◆◆◆
[0回]
始業式を迎えた、8月の後半
ユイと拓真はいつものように自転車を漕ぎ、学校へ向かう
学校に着くと、2人は校門の前で止まった
行き交う生徒たちの中、一人の友達を待つ為に
相変わらずだらしなく着崩された制服
鬱蒼と伸びた髪
そして、夏休み前に比べると少し減ったが、未だ痛々しく顔中に貼られた絆創膏と、手首に巻かれた包帯
正しく喧嘩の痕が残る菱和が、気怠そうに歩いてくるのが見える
他の生徒たちが菱和を避けている中、ユイと拓真は菱和に声を掛けた
「おはよ」
「はよっ!」
「‥‥おう」
菱和はいつもの無表情で、2人の挨拶に応えた
「なんかさー、あっちゃんが云ってたけど名字じゃ堅苦しいよね‥‥‥‥そだ!俺、今から菱和のこと“アズ”って呼ぶ!」
ユイが2人の前へ出て、くるっと振り向いた
「“梓”だから、“アズ”?」
「うん!ね、良い?」
「じゃ、俺もあっちゃんに倣って、“ひっしー”って呼ぼうかな」
2人は揃って菱和の顔を見た
菱和は面食らった顔をしていたが、ほんの少し口角を上げた
「‥‥‥‥別に、構わねぇけど」
「よっしゃ!そんじゃあ、俺のことは“ユイ”って呼んで!拓真は‥‥」
「ま、俺は何でも良いんだけど」
「‥‥‥‥“たっくん”?」
菱和が、ボソリと呟く
「え!そっち!?そのあだ名で呼んじゃう!?」
拓真は肩を竦ませて驚いた
「ははは!俺、拓真のこと“たっくん”って呼んだことないー!」
「止めろよ今更、気持ち悪いから」
「アズはほんとに拓真のこと“たっくん”って呼ぶの?」
「‥‥いや、冗談だから」
「だよね、だよね。そんなキャラじゃないよね、ひっしーは」
「‥‥いつかは呼ぶかもしんねぇけど」
「え!!?もー、勘弁してよー‥‥」
「良いじゃん、“たっくん”でも“たくちゃん”でも!上田だってたまに呼んでるじゃん?」
「あいつは完全に俺のこと侮辱してるから」
「そんなことないって!拓真のこと好きなんだから!」
「あーはいはい。何だよ、お前だって地味に“たっくん”のくせに」
「そう云われればそうだね。もう“ユイ”で慣れちゃったから、いきなし“たっくん”って呼ばれてもわかんないかも」
「だろうな。まぁ、ユイは“ユイ”の方が似合ってるかな」
「ほんと?じゃあ、改名しちゃおうかなー」
「それはまずいんじゃない?親父さん、一応たけにいと対で付けてくれたんだろ?」
「うん、そう。でも、誰も“タダシ”って呼んでくれないから‥‥」
「それもなんか淋しい気もするな‥‥」
「でしょー?」
自分の名前あるあるを話したところで、ユイは振り返り、笑顔を向ける
「アズ、行こっ!」
「‥‥ん」
菱和は相変わらず無表情だが、新しく付けられたあだ名で呼ばれ、いつもより幾分穏やかな表情をしていた
[0回]
深夜に突然帰宅した息子は、酷い怪我をしていた
顔中至るところに絆創膏が貼られ、左腕は三角巾で吊っている
話を聞けば、喧嘩をして手首にヒビが入った、と
時間が時間だったこともあり、菱和はこのままお咎め無しで済む筈は無いと思いつつ一旦自室で眠った
案の定、朝になってから母親に小言を云われた
それでも、小言程度で済んだことを感謝し、弁解も謝罪もした
母親は特に怒った様子もなく、リビングのソファにだらしなく座っている菱和の周りで掃除を始めた
忙しなく家事に勤しむ母親の姿を、菱和はぼんやりと見ていた
「‥‥なんか手伝おうか」
「何云ってんの。怪我してるんだし、折角久々に帰ってきたんだからのんびりしてれば良いじゃない。大体、怪我人に家事させるほど困ってないから」
「そっすか‥‥」
「もう少ししたら病院連れてくから、待ってて」
「ん」
───煙草喫いてぇ
菱和は怠そうに立ち上がり、自室に向かった
時折、手首が痛む
片手では、煙草もスムーズに喫えない
煙草を咥えて漸く火をつけようとしたところ、携帯が鳴った
手に取ると、つい数時間前に電話をしたばかりのユイの名前が表示されていた
『もしもーし』
「おう、どした?」
『んー、特に用事はないんだけど。なんか気になっちゃってさ、菱和のこと』
「‥‥そっか」
『親に怒られたりしなかった?』
「ああ、少し」
『‥‥だよね。痛い?』
「まぁ‥‥ヒビ入ってるからな」
『‥‥だよね。今日は病院行くの?』
「ああ、これから保険証持ってかなきゃなんねぇんだ」
『そっかぁ‥‥‥‥あんね、後でリサに会ってこようかなって思ってんだけど、もし大丈夫そうなら一緒にどうかな?』
「‥‥どの辺で?」
『リサんち近所なんだ、だから俺んちかリサんちか‥‥外でも良いんだけど。まだ何も決めてなくて』
「ふーん‥‥なら、公園に行けばすぐ会える?」
『あ、そうだね。じゃあ公園に居る!』
「わかった。じゃ、また後で」
『うん!気ぃ付けて来てね!』
「母さん」
「なーにー?」
「ちょっと、行くとこ出来た」
時刻は正午前
あまり眠っていなく、本当はまだだらだらとしていたい気分だったが、友達からの申し出には応じたいと思う
菱和は、出掛ける段取りを始めた
***
ユイは、いつものようにアポ無しでリサの自宅を訪ねた
リサの口元には、絆創膏が貼られている
「よっ!怪我大丈夫?」
「うん、平気。ちょっと切っただけだし」
「そっか‥良かった」
「‥‥あいつは?」
「もう家帰ってるって。さっきも電話で話したけど、大丈夫そうだった」
「‥‥そう」
「‥出れそうなら、公園行かない?」
並んで歩きながら、幼い頃によく一緒に遊んでいた公園へ向かう2人
夏の陽射しが照り付ける、8月の午後
空は快晴で、遠くに飛行機の音が聴こえる
2人は、公園に置いてある日陰のベンチに腰掛けた
時折吹く風が、2人の髪を揺らす
「リサも菱和も、ほんと無事で良かったぁ。‥‥‥‥ごめんね、危険な目に遭わせちゃって」
「あんたが謝ることじゃないでしょ」
「んー‥‥‥‥俺の所為かなぁって、思ってたんだよね」
「何で?」
「俺が菱和を誘わなかったら、菱和も脱退することなかっただろうしなって‥‥」
「それとこれとは別問題だと思うけど」
「‥‥そう、かな」
「そうだよ。あの変な奴の下らない嫉妬でしょ。あいつがあいつの意思で抜けたんだし、それを尊重できない方がガキなんだよ。だから、誰も悪くない」
「‥‥‥‥そっか」
リサは、ユイはおろか菱和に対しても、昨晩のことについて咎める気持ちを抱いてはいなかった
寧ろ、ユイにも、身を呈して自分を護ってくれた菱和に対しても感謝をしていた
「‥‥ありがとね」
「ん?」
「来てくれて」
「‥‥んーん!」
ユイは、にこりとはにかんで見せた
ふと、公園に入ってくる長身の男が目に入る
「──────え、何で‥‥」
「俺が呼んだの!菱和ぁー!」
ユイは菱和に向かって笑顔で手を振った
菱和は顔中に絆創膏が貼られていた
左腕は吊られていて、いつも以上に気怠そうに感じられた
「改めてみるとほんと痛そー‥‥ねぇ、ほんとに大丈夫?」
「病み止め貰ってるし、平気」
包帯を巻いたり腕を吊ったりしていると、見た目には重傷だ
ユイは顔を歪ませていたが、その顔は一瞬にして豹変する
「───あ!俺、忘れ物!取ってくるからちょっと待ってて!」
そう云って立ち上がり、自宅へと一目散に走っていった
久々に見る、忙しく豊かなユイの表情
菱和は、声を掛ける隙すらなかったユイを見送った
「え、ちょっと‥‥」
菱和と共に公園に残されたリサは、何となく気まずさを感じた
それでも、傍らに突っ立っている菱和に声を掛ける
「‥‥座れば」
「‥‥どうも」
菱和はリサの横に腰掛け、怠そうに足を放り投げた
「‥‥‥‥折れてたの?」
「いや、ヒビ入ってた」
「‥‥そう」
「お前は、大丈夫?」
「うん、何ともない」
「そっか。‥‥良かった」
「──────‥‥護ってくれて、有難う。それと‥‥‥‥大怪我させて、ごめん」
「‥‥俺の方こそ、巻き込んじまって悪かった」
「‥ユイも云ってたけど、気にすることない。あんただって被害者でしょ。誰も、悪くないんだから」
「───‥‥‥‥やっぱお前も、良い奴だな」
「え?何?」
「いや、こっちの話」
「‥‥‥‥、いつ頃治るの?」
「一月くらいかかる、かな」
「‥‥そ。早く弾けるようになると良いけど」
突然、菱和はくつくつと笑い出した
リサは怪訝な表情を見せる
「‥‥‥‥何?」
「‥‥一応、心配してくれてんの」
笑みながらこちらを見ている菱和にリサはむっとし、そっぽを向いた
「一応、ね。悪い?」
「別に。‥‥‥‥ありがとさん」
素直ではないリサの労いに、菱和は穏やかに笑った
「ごめ、お待たせ!なんか色々持ってきちゃった!食べよ!飲も!」
ユイは袋に缶ジュースとお菓子を沢山詰め込んで戻ってきた
その袋を菱和とリサの間に置き、中を漁り始め、冷えた飲み物を2人に手渡す
自分も飲み物を持って、乾杯をし出した
3人は、暫く公園で談笑に耽った
夏休みが明ければ、ユイたちはまた屋上に集い出す
ユイも菱和も、恐らく今度からはリサもその中に加わっているような気がした
[0回]
深夜に突然帰宅した息子は、酷い怪我をしていた
顔中至るところに絆創膏が貼られ、左腕は三角巾で吊っている
話を聞けば、喧嘩をして手首にヒビが入った、と
時間が時間だったこともあり、菱和はこのままお咎め無しで済む筈は無いと思いつつ一旦自室で眠った
案の定、朝になってから母親に小言を云われた
それでも、小言程度で済んだことを感謝し、弁解も謝罪もした
母親は特に怒った様子もなく、リビングのソファにだらしなく座っている菱和の周りで掃除を始めた
忙しなく家事に勤しむ母親の姿を、菱和はぼんやりと見ていた
「‥‥なんか手伝おうか」
「何云ってんの。怪我してるんだし、折角久々に帰ってきたんだからのんびりしてれば良いじゃない。大体、怪我人に家事させるほど困ってないから」
「そっすか‥‥」
「もう少ししたら病院連れてくから、待ってて」
「ん」
───煙草喫いてぇ
菱和は怠そうに立ち上がり、自室に向かった
時折、手首が痛む
片手では、煙草もスムーズに喫えない
煙草を咥えて漸く火をつけようとしたところ、携帯が鳴った
手に取ると、つい数時間前に電話をしたばかりのユイの名前が表示されていた
『もしもーし』
「おう、どした?」
『んー、特に用事はないんだけど。なんか気になっちゃってさ、菱和のこと』
「‥‥そっか」
『親に怒られたりしなかった?』
「ああ、少し」
『‥‥だよね。痛い?』
「まぁ‥‥ヒビ入ってるからな」
『‥‥だよね。今日は病院行くの?』
「ああ、これから保険証持ってかなきゃなんねぇんだ」
『そっかぁ‥‥‥‥あんね、後でリサに会ってこようかなって思ってんだけど、もし大丈夫そうなら一緒にどうかな?』
「‥‥どの辺で?」
『リサんち近所なんだ、だから俺んちかリサんちか‥‥外でも良いんだけど。まだ何も決めてなくて』
「ふーん‥‥なら、公園に行けばすぐ会える?」
『あ、そうだね。じゃあ公園に居る!』
「わかった。じゃ、また後で」
『うん!気ぃ付けて来てね!』
「母さん」
「なーにー?」
「ちょっと、行くとこ出来た」
時刻は正午前
あまり眠っていなく、本当はまだだらだらとしていたい気分だったが、友達からの申し出には応じたいと思う
菱和は、出掛ける段取りを始めた
***
ユイは、いつものようにアポ無しでリサの自宅を訪ねた
リサの口元には、絆創膏が貼られている
「よっ!怪我大丈夫?」
「うん、平気。ちょっと切っただけだし」
「そっか‥良かった」
「‥‥あいつは?」
「もう家帰ってるって。さっきも電話で話したけど、大丈夫そうだった」
「‥‥そう」
「‥出れそうなら、公園行かない?」
並んで歩きながら、幼い頃によく一緒に遊んでいた公園へ向かう2人
夏の陽射しが照り付ける、8月の午後
空は快晴で、遠くに飛行機の音が聴こえる
2人は、公園に置いてある日陰のベンチに腰掛けた
時折吹く風が、2人の髪を揺らす
「リサも菱和も、ほんと無事で良かったぁ。‥‥‥‥ごめんね、危険な目に遭わせちゃって」
「あんたが謝ることじゃないでしょ」
「んー‥‥‥‥俺の所為かなぁって、思ってたんだよね」
「何で?」
「俺が菱和を誘わなかったら、菱和も脱退することなかっただろうしなって‥‥」
「それとこれとは別問題だと思うけど」
「‥‥そう、かな」
「そうだよ。あの変な奴の下らない嫉妬でしょ。あいつがあいつの意思で抜けたんだし、それを尊重できない方がガキなんだよ。だから、誰も悪くない」
「‥‥‥‥そっか」
リサは、ユイはおろか菱和に対しても、昨晩のことについて咎める気持ちを抱いてはいなかった
寧ろ、ユイにも、身を呈して自分を護ってくれた菱和に対しても感謝をしていた
「‥‥ありがとね」
「ん?」
「来てくれて」
「‥‥んーん!」
ユイは、にこりとはにかんで見せた
ふと、公園に入ってくる長身の男が目に入る
「──────え、何で‥‥」
「俺が呼んだの!菱和ぁー!」
ユイは菱和に向かって笑顔で手を振った
菱和は顔中に絆創膏が貼られていた
左腕は吊られていて、いつも以上に気怠そうに感じられた
「改めてみるとほんと痛そー‥‥ねぇ、ほんとに大丈夫?」
「病み止め貰ってるし、平気」
包帯を巻いたり腕を吊ったりしていると、見た目には重傷だ
ユイは顔を歪ませていたが、その顔は一瞬にして豹変する
「───あ!俺、忘れ物!取ってくるからちょっと待ってて!」
そう云って立ち上がり、自宅へと一目散に走っていった
久々に見る、忙しく豊かなユイの表情
菱和は、声を掛ける隙すらなかったユイを見送った
「え、ちょっと‥‥」
菱和と共に公園に残されたリサは、何となく気まずさを感じた
それでも、傍らに突っ立っている菱和に声を掛ける
「‥‥座れば」
「‥‥どうも」
菱和はリサの横に腰掛け、怠そうに足を放り投げた
「‥‥‥‥折れてたの?」
「いや、ヒビ入ってた」
「‥‥そう」
「お前は、大丈夫?」
「うん、何ともない」
「そっか。‥‥良かった」
「──────‥‥護ってくれて、有難う。それと‥‥‥‥大怪我させて、ごめん」
「‥‥俺の方こそ、巻き込んじまって悪かった」
「‥ユイも云ってたけど、気にすることない。あんただって被害者でしょ。誰も、悪くないんだから」
「───‥‥‥‥やっぱお前も、良い奴だな」
「え?何?」
「いや、こっちの話」
「‥‥‥‥、いつ頃治るの?」
「一月くらいかかる、かな」
「‥‥そ。早く弾けるようになると良いけど」
突然、菱和はくつくつと笑い出した
リサは怪訝な表情を見せる
「‥‥‥‥何?」
「‥‥一応、心配してくれてんの」
笑みながらこちらを見ている菱和にリサはむっとし、そっぽを向いた
「一応、ね。悪い?」
「別に。‥‥‥‥ありがとさん」
素直ではないリサの労いに、菱和は穏やかに笑った
「ごめ、お待たせ!なんか色々持ってきちゃった!食べよ!飲も!」
ユイは袋に缶ジュースとお菓子を沢山詰め込んで戻ってきた
その袋を菱和とリサの間に置き、中を漁り始め、冷えた飲み物を2人に手渡す
自分も飲み物を持って、乾杯をし出した
3人は、暫く公園で談笑に耽った
夏休みが明ければ、ユイたちはまた屋上に集い出す
ユイも菱和も、恐らく今度からはリサもその中に加わっているような気がし
[0回]
「取り敢えず病院行くぞ。リサも念の為検査してもらえ。お前らは‥‥放っといても良いか」
アタルは喫いかけの煙草を放り、踏みつけて火を消した
ユイと拓真は、口々に文句を云い出す
「そうやって差別するのが一番良くないと思いまーす!」
「そうだそうだ、リーダーのくせに」
「うっせぇな!お前らふたり歩いて帰らすぞ!!怪我してねぇんだろ!?とっとと行くぞ!リサ、来い」
どちらかというと、女には甘いアタル
リサの肩を抱き、先に部屋を後にした
「歩ける?」
「‥‥何とか」
「ほんとはおんぶ出来たら良いんだけど‥‥俺じゃチビ過ぎて流石に無理だから」
「確かに無理だな。菱和、掴まって」
ユイは菱和の左腕を自分の肩に回した
拓真も菱和の右腕を取り、多少ふらつきながらも二人で菱和を立ち上がらせた
菱和の歩みに合わせ、ユイと拓真はゆっくりと歩き出した
時折、菱和は痛みで顔を歪ませた
歩みを進める毎に、その顔から血液が落ちる
見た目には、菱和は重傷である
「菱和、痛いんでしょ。ってか、痛くない筈無いよね‥‥もう少し頑張って」
「もっと早く来れれば良かったな。まぁ、来ても俺らは喧嘩は出来なかったけど」
「でも、何とか間に合った‥‥かな?あっちゃん、結構飛ばしてくれたよね」
「何だかんだ云ってなー。超ギリギリセーフってとこなんじゃない?」
「骨折れてなきゃ良いね」
「そうだな‥‥なるべく早く治ると良いけど」
「始業式に包帯とかバンソコしてたら、クラスのみんな吃驚しちゃいそうだよね!」
「‥‥そゆことじゃなくてさ」
ユイと拓真は、歩きながらそんな会話をした
「──────ごめん」
「ん?え、何が?」
「‥‥‥‥」
菱和は俯きながら重い口を開いたが、きょとん顔のユイと拓真の問いに答えることなく黙ってしまった
何人もの無関係の人間を下らない諍いに巻き込んでしまった
罪悪感を抱かないわけがない
だが、ユイと拓真はそこまで気にしていない様子
「───リサを護ってくれて、ありがとね」
「菱和が居てくれなかったら、どんなことになってたか‥‥ほんとに有難う」
暫し神妙な面持ちの菱和を見つめ、ユイも拓真も、礼を云う
こんな騒動を起こしたのにも拘らず───心からの謝罪に対する返事は、心からの感謝だった
───なんか
「───お前らって、良い奴だな」
少し口角を上げて、菱和はそう呟いた
「でしょ?今頃わかった?‥なんつって!」
「‥‥菱和だって、めちゃめちゃ良い奴でしょ。知ってるよ、俺ら」
ユイと拓真は、にっこり笑った
***
救急病院に行くと、リサはすぐに帰宅しても差し支えなかったが、菱和は処置に時間がかかるとのこと
3人は菱和を残して、アタルに送られて帰宅した
一瞬だけ『本物の喧嘩』に加わったことは、ユイにとってはちょっとした冒険気分だったよう
帰宅後、ユイは気持ちが昂っていてなかなか眠れなかった
掌を見ると、菱和のものであろう血液がほんの少し付着していた
菱和の顔は、痣と傷だらけだった
きっと今頃、初めて菱和に声を掛けた日以上に、顔中に絆創膏が貼られていることだろう
───‥‥‥もしかして、‥‥
ふと、自分が菱和をバンドに誘わなければ今夜のようなことは起こらなかったのではないか、と思い始める
そうすれば、リサを拐われることも菱和が怪我をすることもなかったのではないか、と
菱和の加入にすっかり浮かれてしまっていたことを猛省し、その辺にあったクッションに顔を埋めた
突然、携帯が鳴った
携帯の画面には、菱和の名前があった
ユイは、直ぐ様通話ボタンを押した
「もしもし?菱和?」
『‥もしもし』
「どうしたの?」
『‥まだ起きてた?』
「うん‥‥なんか、眠れなくて」
『そっか‥‥大丈夫か?』
「うん。俺はどこも怪我してないし、大丈夫だよ。菱和こそ、まだ病院?腕大丈夫?」
『さっき帰ってきた。手首、ヒビ入ってた』
「うぇっ、ほんと!?家事とか、一人で大丈夫‥‥?」
「ああ、暫く実家帰る」
「そっか‥。‥‥でも、折れてなくて良かったぁ‥‥」
『まぁ、通院はしなきゃなんねぇけど。‥‥云ったろ、“大したことねぇ”って』
「大したことだよ!!そんな怪我させちゃって‥‥」
『‥‥‥‥やっぱり』
「ん‥?何?」
『‥‥何となくだけど、気にしてんじゃねぇかなと思って。今、“させちゃって”とか云ったし』
「‥だって‥‥そうでしょ。最初から、そう簡単に抜けれるような感じじゃなかったんだよね。俺、勝手に舞い上がっちゃってた。ほんとに‥‥ごめん」
『‥‥お前が責任感じる必要、全く無いから』
「‥‥、でも‥」
『‥‥‥‥俺は、お前が誘ってくれて嬉しかったよ。お前らとバンドやりてぇって、ほんとに思った。だから、絶対抜けるって決めた。まさか、骨イっちまうとは思わなかったけど‥‥でも、お前らとバンド出来んなら、こんな怪我どうってことねぇから。ほんと、そう思ってるから』
「‥‥‥‥‥、‥‥うん‥」
『ん。‥‥っつうか、すんなり脱退出来てりゃこんなことになんなかったんだよな。誘って貰ってこの様じゃ、顔向け出来ねぇな。折角“あだ名”まで付けて貰ったのに、申し訳ねぇけど』
「‥‥え?」
『いや、こんだけ迷惑かけちまって明日から「はい宜しく」ってのは幾ら何でも都合良過ぎだろ。‥‥誘ってくれただけでも、十分だから』
「‥え、ちょっ、ちょっと待って!菱和、一緒にバンドやるよね?俺らのバンドでベース弾いてくれるんだよね!?」
『‥‥‥‥‥‥』
「‥‥弾いて、くれるよね?」
『‥‥‥‥ほんとに俺で良いの?』
「当たり前でしょ!云っとくけどね、満場一致なんだから!拓真だってあっちゃんだって‥‥」
『‥‥‥‥』
「‥‥、菱和?」
『‥‥腕治るまで、待ってて貰える?』
「勿論!みんなで、待ってるから!」
『‥‥そっか‥‥‥‥』
「‥菱和ぁ」
『うん?』
「ほんとに、ありがとね!俺めちゃめちゃ楽しみにしてるから!」
『‥‥ん』
「お大事に、ね」
『ん。‥‥んじゃ、また』
「うん、おやすみ!」
誰かと共に楽しめる居場所を求めて、菱和はHazeに加入することを決めた
怪我をしようが血を流そうが傷だらけになろうが、それでもHazeに加入することを望んだ
そして、それと同じくらいに自分の大切な幼馴染みを大事に想い、護ってくれた
ユイは、心から菱和に感謝した
ステージでベースを弾いていた菱和の姿が思い返される
そして、自分たちと同じステージに上がり、自分の横でベースを弾く菱和の姿が思い浮かぶ
どちらの菱和のベースも、ユイの口の中を円やかな甘さでいっぱいにした
長い長い夜が更けてゆく
ユイは次第にうとうとし出し、明け方になってから漸く眠りに就いた
[0回]
◆◆◆喧嘩のシーンがあります 暴力的な描写が苦手な方はご注意下さい◆◆◆
***
「───リサ!!菱和ぁっ!!!」
角材を片手に、ユイがドアを蹴破って入ってきた
少し遅れて室内に入った拓真は、苦笑いをした
「‥‥絶賛お取り込み中、だよね。やっぱ?」
「何だてめぇらは!?」
予想だにしなかった二人の登場に、古賀たちはおろかリサも驚く
───石川‥‥‥‥佐伯‥‥?
菱和は自分の名を叫ぶ声に意識を取り戻し、微かに目を開けた
ぼんやりと、ユイと拓真の姿が見えた
ユイは、床に倒れて指にナイフを突き立てられている菱和を見て驚愕した
何故こんなことをされなければならないのか、ユイには全く理解出来なかった
例えそこにどんな理由があったとしても、悪意を持った力で相手を捩じ伏せる手段を採るべきではない
大事なものを護ろうと振るわれた菱和の暴力も決して誉められたものではないが、無抵抗の友達へと向けられた暴力はそれ以上に冷酷で無惨なものだった
リサを、菱和を、大切な友達を傷付けられたという目の前の事実に、どうしようもない怒りが込み上げてくる
古賀に向かって、角材を構えた
ナイフを握る古賀の手に、冷たく視線を落とす
「‥‥その手ぇ離せよ。“うちのベーシスト”に触んな」
「あ?」
「───触んなって云ってんだよっ!!!」
ユイは古賀目掛けて、構えていた角材を怒りに任せて投げ付けた
古賀は咄嗟に避け、菱和から離れる
角材は乾いた音を立てて壁にぶち当たり、バラバラに折れた
───おいおい、“剣道初段”はどこ行ったんだよ
拓真は冷静に心の中で突っ込み、古賀が怯んだ隙にリサに駆け寄った
「大丈夫か?」
「うん‥」
「くっそ、きつく縛りやがって‥‥あっちゃんも居るし、多分もう大丈夫だと思う」
拓真は拘束を解くと、着ていたシャツを脱いでリサの肩にかけた
リサは胸元を隠し、拓真の腕にしがみついた
ユイは菱和に駆け寄り、膝を付いて声を掛ける
「菱和、大丈夫?」
「‥‥‥‥お前‥どうして‥‥」
「どうしても何も、友達なんだから助けるのは当たり前でしょ!立てる?」
ユイはにこっと笑った
この緊迫した状況下において、とても不釣り合いな笑顔
───何だよこいつ、マジで空気読めないんだな
「へ‥」
何の緊張感も無いユイの笑顔につられ、菱和も笑みを零した
ユイが居る
その事実が、菱和を立ち上がらせる
「てめぇっ!!邪魔すんじゃねぇよ!!!」
古賀は持っていたナイフをユイに向けて振り翳した
ユイは古賀の声に反応し、菱和を庇おうと身構えた
菱和はその庇護を軽く退け、古賀がナイフを握る手を受け止めた
ナイフの刃は菱和の指の間を裂き、みるみる鮮血が流れ出る
「──────俺のダチに手ぇ出すなっつってんだろ」
菱和は膝を付いたまま、ナイフを握る古賀の手をじわじわと握り締めた
ドスの効いた声と鋭く睨み付ける菱和の眼光に、古賀はたじろいだ
ゆっくりと立ち上がった菱和は、掴んでいた古賀の手を引き寄せ、鳩尾に膝蹴りをした
嗚咽を出しぐらつく古賀の髪を鷲掴みにし、ほぼ感覚が無い左手を強く固く握り締め、力の限り腕を振り上げた
先程まで意識を手離しかけていた頭は冴え、力が漲る
自分でも見るも無惨なほどボロボロの身体の何処にそんな力が残っているのか、菱和自身不思議でならなかった
何の躊躇も厭わず駆け付けてくれた友達の存在が、その答えだった
菱和のパンチが顎に炸裂し、古賀の体は吹っ飛んだ
古賀は仰向けに倒れ込み、のた打ち回った
「──────ぃっ‥‥てぇっ‥」
菱和は古賀を殴った衝撃からくる激痛に耐え切れず膝から崩れ落ち、左腕を押さえた
手首の関節は外れているか、最悪は折れている可能性がある
心臓の鼓動と同じように、ズクズクと痛みが走る
咄嗟に左手が出てしまったことを、少しだけ後悔した
「‥‥菱和!その腕‥!!」
「‥ん、でぇじょぶ‥‥」
口角を上げ余裕を覗かせる菱和だが、その顔は苦痛に歪んでいる
唇が、僅かに震えていた
ユイは眉を顰め、傷付いた菱和の左腕にそっと手を添えた
血だらけの腕で護ってくれた菱和を、労った
「‥‥大したこと、ねぇから」
菱和はユイの頭をぽん、と軽く叩いて、ほんの少し笑った
顔も身体も傷だらけ
ボロボロになりながらも、自分と自分の大事な幼馴染みを護ってくれた菱和
ユイは胸がいっぱいになり、顔をくしゃくしゃにした
「‥‥何なんだよ」
古賀が起き上がり、呟く
その場にいた全員が、その声に反応した
「───何なんだよ!ダチがそんなに大事か!!てめぇはそんなに楽しく楽器弾いてナカヨシゴッコしてぇのかよ!!?」
古賀の怒声が響く
「‥‥そうだよ。文句あっか」
菱和は冷たく古賀を見つめ、憮然と返事をした
皮肉を込めた自分の言葉にさらりと返事をする菱和を睨み付けた古賀は、目を見開き、奥歯をぎり、と鳴らした
「───何が悪いんだよ」
ユイが、低く呟いた
「‥あ?」
「仲良くして、楽しく楽器弾いて何が悪いんだよ!!お前だって楽器弾いてんだったら演奏する楽しさくらいわかるだろ!!?」
ユイは古賀に怒鳴り散らした
部屋に入るや否や、真っ先に目に飛び込んできた光景───菱和の指を切断しようとしていた古賀の姿が、頭に焼き付いていた
同じ楽器を弾く者として、古賀のことが心の底から許せなかった
「ゴチャゴチャうるせぇんだよ!俺はな、てめぇみてぇに純粋に音楽楽しんでますってのがいちばんムカつくんだよっ!!!」
「───古賀、もう止めようぜ」
「そうだよ。菱和はもうボロボロなんだし、十分だろ」
駒井と高野は、古賀を窘め始めた
しかし、古賀は頑として二人の意見を聞き入れようとしなかった
「るせぇっ!てめぇら何黙って見てんだよ!?早くこいつらやっちまえよ!!」
「‥悪いけど、俺らはもう降りる。正直ここまでやる必要なんて無かったじゃん」
「何だ、てめぇら裏切んのか!?」
「そういうことじゃねぇって。もう意味がねぇって云ってんだよ。お前だって、引っ込みつかなくなってるだけだろ。もう良いだろ、マジで」
「待てよっ‥‥てめぇら───」
「はいはーい、そこまでー」
駒井と高野が部屋から出ようとしたところ、煙草を咥えたアタルがぱんぱんと手を叩きながら部屋に入ってきた
アタルの登場、その容姿に更にビビった2人は、思わず後ずさりをする
「あっちゃん、遅いよ」
「俺はもうお前らみてぇに若くねぇんだよ、少しは労れ。さぁて、と‥‥てめぇら。“うちのメンバー”に、随分派手なことしてくれちゃってんじゃないの」
ガキ二人に続いて、赤い髪のガラの悪い男の登場
やはりアタルの見た目のインパクトは強烈だったらしく、古賀たちは唖然としていた
そんなことはお構いなしに、アタルは咥えていた煙草を吐き捨て、古賀たちに近付いた
怒りの篭った笑みを零し古賀たちを舐めるように睨み付けると、ポケットから携帯を取り出し、顔の横で振って見せた
「お前らの頭とナシ付けた。増援も来ねぇからな。こんだけ好き勝手やらかしちまって、タダじゃあ済まねぇかもよ?」
「はっ‥‥!?」
古賀たちは青ざめた顔をしている
事情をいまいち把握出来ず、ユイはアタルに尋ねた
「あっちゃん、どゆこと?」
「なんかよぉ、“BLACKER”のリーダーが、“WINDSWEPT”のギターの奴とマブダチなんだとよ」
「‥“WINDSWEPT”のギター‥?‥‥‥‥それって、高橋くん!?」
「そ。何回か会ったことあるよな?SCAPEGOATとも面識あって、ハジからターシに頼んで“BLACKER”のリーダーに話通してもらってよ。『若い奴がうちのメンバーにちょっかいかけてる』っつったら、詫び入れられたよ」
アタルは新しい煙草に火を点けながら話した
「へえぇ、すげぇ人脈‥‥」
「バンドやってて良かったね!」
「まぁ、結果的に助けられたわな‥‥。っつぅかよぉ、お前らが勝手に呼んだ奴等は全滅で、代わりの兵隊まで寄越す始末で、“BLACKER”の面子丸潰れじゃん。頭の奴、めちゃめちゃブチ切れてんぞ?俺も同じくらい頭にゃ来てっけどよぉ‥‥‥‥」
アタルは鋭い眼光で古賀たちを威圧した
「───タイマンも張れねぇカス共が。これ以上何かしようってんなら、原型留めなくなるくらいグシャグシャにすんぞ」
至極冷静でいた筈のアタルだが、とっくに頭に血が上っていた
大勢で一人を襲う卑怯なやり口がどうしても許せず、ほんの僅かに残る理性で古賀たちを殴りたい衝動を抑えていた
アタルの放つオーラに悪寒が走った古賀たちは、青ざめた顔のまま身体を引き摺るように慌てて部屋を出ていった
古賀たちが去り、騒然としていた室内は途端に静まり返る
どうにかゴタゴタが解決したと実感し、ユイも拓真もリサも、ただただ安堵した
「あーあ、キレーなカオが台無しじゃねぇの。なぁ、男前?」
アタルは煙草を咥えたまま菱和の前にしゃがみ込み、菱和の顎を軽く掴んでニヤリと笑った
「‥ただ、かなりヤれるみてぇだな。外にいた奴らやったのお前なんだろ?一人で10人近くぶっ飛ばすとはな。やるねぇ」
「‥‥いえ」
菱和はアタルから視線を逸らす
アタルは立ち上がって煙草の煙を吹かした
「ほんと気に入ったよ、お前。喧嘩も出来て、ベースも申し分無い。おまけに男前。サイコーじゃねぇかよ?」
ニヤニヤと話すアタルに対し、菱和は俯いていた
「‥‥‥‥すいませんでした。迷惑かけて」
「気にすんなって!これから一緒にバンドやるんだからよ。な、“ひっしー”?」
「何だよあっちゃん、“ひっしー”って」
「あだ名だよ、あだ名。こいつだけ苗字じゃあ堅苦しいだろ?」
たった今付けられたあだ名で呼ばれ、菱和は漸く顔を上げた
不測の事態とはいえ、これだけ迷惑を掛けてどの面下げて一緒にバンドが出来るというのか
そう思っていたのに───
親しみを込めて“うちのベーシスト”と呼ばれ、あだ名を付けられ、菱和は胸の辺りがじんわりとした
[0回]
◆◆◆喧嘩のシーンがあります 暴力的な描写が苦手な方はご注意下さい◆◆◆
***
『あ、あっちゃん?取り敢えず知り合いに“BLACKER”って奴等のこと聞いてみたんだけど、やっぱギャング崩れのクソみたいな集まりだわ。頭の奴はメンバー放逐気味で、あんまり顔出さないって話』
「ふーん。無秩序なわけね」
『でさ、よくよく聞いてみたら、“WINDSWEPT”の“高橋”が“BLACKER”の頭とマブダチみたい』
「‥‥“タカハシ”?」
『うん。これがほんとの話なら、もしかしたら何とか出来るかも知れないかなって思ったんだけど‥‥』
「今そいつと連絡取れっか?」
『ああ、今ハジが連絡してる』
「そっか。‥‥悪りぃな、マジで」
『全然!寧ろこんなことしか出来なくてごめんなんだけど』
「いや十分だよ。またなんか動きあったら教えてくれ」
『りょ!』
***
菱和とリサがいる廃ビルの向かい側に、一台のセダンが停っていた
運転席にはアタルが、後ろの席にはユイと拓真が乗っている
アタルは煙草を咥えながら廃ビルを指さした
「あれだ」
「あの中に、いるんだね?」
「恐らくな」
「よしっ、行こう!」
「───ちょぃ待ち!‥なんか人倒れてる」
車のドアを開けようとするユイを、拓真が慌てて制止する
よく見ると、廃ビルの入口付近に7、8人転がっていた
その全員が、項を垂れたり腹や頭を抱えたりしている
「ひょっとして、菱和がやったんじゃ‥‥」
「かもな。ひと暴れしたんじゃねぇの?」
「でも菱和は、『暫く喧嘩はしてない』って云ってたよね?」
「‥確かめてみようぜ」
アタルは煙草を消し、車を降りた
ユイと拓真もアタルに続いて車から降りた
「コンバンハ」
転がっている何人かはアタルの顔と赤髪にビビった
特に凄んでいる訳でもないのだが、アタルはその見た目だけで強烈なインパクトを放っている
「なぁ。お前ら誰にやられた?」
「な、なんだよあんた‥‥あいつの知り合いか‥?」
アタルは冷たく見下ろしながら、心底不機嫌そうに話した
「何タメ口きいてんだよ、このタコ助。つーかこっちが聞いてんだよ、質問に答えろや。誰だよ“あいつ”って。背が高くてブアイソで髪の長い奴のことか?」
菱和の容姿を簡単に云っただけなのだが、アタルが話し掛けた人物はすっかりビビってしまっている様子だった
「───ひっ‥‥そ、そう、です‥」
「‥ビンゴ」
アタルはニヤリとした
それを聞いたユイは、直ぐ様走り出そうとした
「よし、行こっ!」
「ちょっと待てよ!まだ中にいるって決まった訳じゃ‥」
またしても、拓真が制止する
「地下にいるとよ」
振り返ると、先程質問をした人物の顎を掴んでいるアタルがいた
「あ‥そう」
「拓真、行くよ!!」
「行くよって、こいつらみたいなのがまだ中にいるかも知んないだろ!?」
拓真はユイを冷静にさせるつもりでいたが、ユイは拓真の意に反しにこりと笑った
「ダイジョブ!俺、剣道初段だから!‥‥中学からやってないけど!」
ユイはその辺に転がっていた角材を持って軽く素振りをし、廃ビルに入っていった
「自慢にならねっつの。‥ああもう!」
拓真は半ば自棄っぱちになりつつ、走り出すユイの後を追った
「‥‥随分威勢のいいこって、クソ度胸が」
アタルは立ち上がって煙草に火を点けながら、軽くほくそ笑んで二人を見送った
一息煙を吸うと、すっかり怯えた様子の男をちらりと見た
「さて、と」
「ひっ‥す、すいませんでした‥‥!」
「───ひとつ聞きてぇんだけどよ」
アタルは煙草を咥え、いやらしい笑顔を見せながら云った
「お前らのリーダーって、誰?」
***
廃ビルの地下では、古賀が菱和にリンチを繰り返していた
菱和の顳かみや顔から鮮血が流れ、床に滴り落ちている
古賀は殴るだけでは飽き足らなくなってきたのか、菱和の腹に蹴りを入れた
一瞬息が止まりそうになった菱和は声にならない声を捻り出し、力なく頭を垂れている
「───っこの卑怯者!!最低野郎!!!」
リサはリンチをされる菱和をただ黙って見ているしか出来ない自分に苛立ち、古賀たちにその苛立ちをぶつけた
古賀は菱和に手を出すのを一旦やめ、リサに近付いた
「‥‥うるせぇな、先にヤっちまうぞ」
リサの頬に平手が打ち下ろされた
リサの口元が、若干血で滲んだ
ビリビリとした痛みを感じつつも、リサは古賀に向き直り、ギラリと睨み付けた
「‥気に入らねぇな、その目」
古賀は再びリサに手を上げようとした
「───やめろ」
咳き込みながら、菱和が制止する
「そいつに、手ぇ出すな」
菱和の息が、荒く乱れている
擡げた首を漸く上げ、古賀を睨んだ
「そんなに大事か、この女が」
「‥‥、大事なダチだ」
菱和の長く伸びた前髪の隙間から、鋭い眼光が光る
古賀はそれを嘲るようにし、リサに拳を向けた
「そうかよっ!!」
菱和は振りかぶる古賀を見て、目を見開いた
後方にいる駒井に頭突きを食らわし、その拍子に怯んだ高野に肘鉄を入れて拘束を逃れると全力で古賀にタックルし、リサの頭を抱えた
「‥菱和、あんた───」
「お前だけは絶対護る」
体当たりを食らった古賀は床に倒れたが直ぐに立ち上がり、菱和がリサを庇う姿を嘲笑った
「‥っは、男前だなぁほんと。‥‥やれ」
先程まで菱和を拘束していた駒井と高野は不意打ちに多少のダメージを食らったものの、古賀の指示を聞いて菱和に迫った
容赦なく菱和に襲いかかる駒井と高野
菱和が攻撃を食らう度に、振動が伝わる
庇護を受けるリサは、堪らず叫ぶ
「菱和‥菱和!!もういいからっ!離れてっっ!!」
「‥黙ってろ」
菱和はリサをきつく抱き締め、低く呟いた
「お前はあいつの大事な幼馴染みだろ。絶対護る」
リサは居たたまれなくなり、涙が出そうになるのを堪えてぎゅっと目を閉じた
「‥‥顔だけじゃなく中身も男前かよ。マジ気に入らねぇ」
古賀は鉄パイプを持ち、菱和が先程ナイフで切り裂かれた左腕を力任せに殴りつけた
続け様に三度ほど、同じところを目掛けて振り下ろされる鉄パイプ
骨と金属がぶつかる鈍い音がする度に左腕に痛みが走り、菱和が奥歯を鳴らす音が聴こえた
「痛てぇか?菱和」
古賀は笑いながら鉄パイプを放った
冷たい金属音が乾いた音を立てる
菱和は左腕を押さえながら、リサの膝に崩れ落ちた
「菱和‥菱和!」
リサは涙ぐみながら必死に声を掛けた
菱和が痛みで顔を歪ませ、震えているのがわかる
「バカじゃないの、あんた‥‥」
「‥‥‥あいつにとって大事なもんは、俺にとっても大事だ」
菱和は左腕を庇いつつ、立ち上がろうとした
何故ここまで自分を護ろうとするのか───
「───ほんと、バカじゃないの」
リサの心に、尋常ではない怒りと苛立ちが募る
「あんた、こいつらじゃなくてユイたちとバンドやりたいんでしょ!?もうとっくに腹ん中決まってんでしょ!?だったらこんな奴らさっさとぶっ飛ばしなさいよ!!!」
「うるせぇ女だな、黙ってろ!!」
「あんたらなんかちっとも怖くない!!一人じゃ何も出来ないくせに意気がってんじゃないよ!!!」
リサは古賀の怒鳴り声に臆することなく、自由の利かない身体で菱和を庇いながら激昂した
「───生意気云ってんじゃねぇぞ!!」
逆上した古賀は再び鉄パイプを持ち、振り翳した
リサはぎゅ、と硬く目を閉じた
菱和は左腕で咄嗟に古賀の攻撃を防いだ
菱和の手首に、鉄パイプが直撃する
───やべ、外れたかも
骨が砕けたような鈍い音にリサは目を見開き、硬直した
「‥菱和‥‥!!」
「ああもう、うぜぇんだよっ!!!」
菱和がまだリサを庇おうとしていることに怒りが込み上げてきた古賀は力任せに鉄パイプを振り、菱和を殴りつけた
顳かみに鉄パイプが炸裂し、菱和は吹っ飛んだ
「菱和っ!!‥‥お願い、もうやめて‥!」
リサは涙ぐみながら古賀に訴える
俯せで床に転がる菱和
頭の中がぐらぐら揺れている
床には血溜まりが出来ていた
「‥‥そろそろ終わりにしようぜ、菱和」
古賀は菱和の髪を鷲掴みにし、無理矢理上を向かせた
菱和の身体はだらりと脱力している
食い縛った歯の隙間から荒い息が漏れ、顎から血が滴り落ちた
「これが最後だ。バンド抜けるの考え直したか?」
「───‥‥」
菱和は暫く虚ろな目で古賀を睨み付け、口に溜まった血液をその顔に吐き飛ばした
古賀の頬に、菱和の血液が垂れる
「‥‥死んでも、ごめんだ」
その言葉と共に、ふ、と笑った
刹那、古賀は菱和の顔を床に叩き付ける
「───じゃあ望み通り殺してやるよ」
古賀は菱和の手の甲を踏み躙った
リサは、怯えた目で古賀の行為を見つめた
「な‥何するつもり‥‥!?」
「一本一本、綺麗に刻んでやるよ」
古賀は菱和の手を踏みつけたまま床に固定して指を広げ、そのすぐ横にナイフを突き立てた
「おい、古賀!それはやり過ぎだろ!」
駒井と高野は急に焦り出した
「知るか。コイツが悪いんだ」
「だめっ!やめて!楽器、ベースが、弾けなくなる!!」
「そのつもりだよ。全部綺麗にバラしてやる」
「菱和っ!菱和ぁっ!!起きなさいよ!!菱和っ!!!」
リサが無我夢中で叫ぶ
───は‥‥情けねぇな‥‥‥畜生、身体が動かねぇ
菱和は指先すら動かすことも出来ず
徐々に意識が遠のいていった
「じゃあな、菱和」
「───やめてええええぇぇっっ!!!」
リサの叫び声が、虚しく響く
[0回]
◆◆◆喧嘩のシーンがあります 暴力的な描写が苦手な方は閲覧にご注意下さい◆◆◆
***
わけもわからぬうちに車に乗せられて来たところは、長らく無人だったであろう廃ビル
窓ガラスは割れ、至るところに空き缶や煙草の吸い殻が散乱しており、壁一面にスプレーで落書きがされてあった
嘗ての活気あるオフィスか何かの残骸はいつしか不良の溜まり場と化してしまったのだろうと、容易に想像がつく
リサは地下に通され、後ろ手に縛られていた
天井から吊るされた電球が薄暗く灯る地下の一室で、古賀は駒井や高野と共に菱和が来るのを待っていた
“BLACKER”の面々に菱和をぶつけ、ボロボロになったところで自分に跪かせ菱和の全てを掌握し、今後二度と逆らえないようにするつもりでいる
人質として拐われたリサは助けが来る可能性を微塵も感じられなかったのだが、真に身の危険を感じ、古賀たちに歯向かうようなことは一切しなかった
高野は一度地下室を出て、外の様子を見に行った
古賀は錆びれたパイプ椅子に座り、ニヤつきながらリサに話し掛けた
「意外と大人しいのな、お前。あいつと関わったばっかりに‥‥可哀想になぁ」
「‥‥どうするつもり」
「さて、どうすっかなぁ。お前をマワすのは簡単だけど、それだけじゃつまんねぇんだよなぁ。まぁ、菱和ボコってから考えるわ」
“マワす”という言葉が、耳障りに感じる
リサはきつく古賀を睨んだ
来るな
外にも変な奴等が沢山居た
来たら駄目だ、やられちゃう
折角あいつの本気が見られると思ってたのに
今日みたいなつまらないあいつじゃなくて、ほんとに楽しくベースを弾く姿を
こんなこと、面と向かってあいつに云える話じゃないけど
お願いだから、来ないで───
リサはこれから自分がどうなるかということよりも、菱和の身を案じていた
高野が急ぎ足で部屋に戻ってきた
「古賀、外の奴等全員やられたっぽいぞ!」
「ふーん‥‥じゃあ、もっとあいつら呼んどけ」
古賀は高野に携帯を放った
高野はそれを受け取り、“BLACKER”のメンバーに応援を寄越すようにと連絡をした
程なくして、重たい扉が開く音がした
軋む扉のドアノブを握り締め、菱和が静かに室内へと足を踏み入れた
薄暗い灯りに灯された菱和は、顔に幾つかの傷を作っていた
だらりと垂れた左腕は、赤く染まっている
部屋の奥には古賀と駒井と高野
そして、その脇にリサが座り込んでいた
菱和───
傷だらけの菱和の姿を見てリサは驚愕し、目を見開いた
古賀はニヤリと笑う
「‥お前、やっぱり喧嘩強かったんだな。普段は大人しい振りしてたのか?」
「‥‥何もしてねぇだろうな」
「無傷だよ、“まだ”な。でもお前の態度次第じゃ、お前もこの女もただじゃ返さねぇ」
古賀は椅子から立ち上がり、床を指差した
「脱退の話は無しだ。お前の居場所は、俺らのとこだよ。そこで土下座でもすりゃあ、今ならまだ許すぜ」
「‥嫌だと云ったら?」
「傷物になっちゃうかもなぁ、この女?」
「‥っ、離してっ!!」
リサが襟元を掴まれる
自由が利かないながらも抵抗しようとしていた
「良いねぇ、威勢が良くて。ヤり甲斐があるぜ、なぁ?」
下品に笑う古賀
菱和は無表情の中に怒りを滲ませ、語気を強めて云った
「そいつは関係ねぇ。離せ」
「だから云ってんだろ、お前次第だよ」
古賀はポケットからナイフを取り出し、リサの胸元を裂いた
「やっ‥‥何すっ‥‥!」
キャミソールと下着が、顕になる
「───胸糞悪りぃ」
菱和は低く呟いた
「‥それ以上そいつに何かしたら、外にいた奴等程度じゃ済まさねぇ」
古賀はナイフをポケットに納めながらニヤついた
「あ?やれるもんならやってみろよ。お前一人で勝てると思ってんの?」
───もう喧嘩はしねぇって、決めたんだけどな
「‥‥‥‥穏便に済まそうとしたのが間違いだったな」
菱和は拳を握り締めた
「良い子ぶってんじゃねぇよ。お前は不良だろ?」
「‥‥昔ちょっと、“悪かった”だけだ」
「どっちだって良いさ。おい、お前ら。“交渉決裂”だってよ」
古賀に指示され、駒井と高野は喧嘩の姿勢に入った
一緒にバンドをやっていたことなどもう関係無い、古賀に荷担した時点で手加減する気も沸かない
いやいや古賀に付き合わされていたことは、ずっと前から知っていた
でも、そんなことはどうでも良い
こいつらも、完膚なきまでに叩きのめす
「‥容赦しねぇぞ」
全ての感情を怒りに変え、菱和は二人を睨み付けた
暫しの睨み合いの後、駒井が踏み込んだ
菱和は、向かってきた駒井に回し蹴りを食らわす
重い蹴りが腹に直撃し、駒井は倒れた
嗚咽を出しながら腹を抱える駒井に近付くと、菱和は更に顔面と腹に蹴りを入れた
動きが鈍くなった駒井に一瞥くれると、今度は高野に視線を向けた
高野は駒井が蹴られたのを見て躊躇っていたが、程なくして殴りかかってきた
その攻撃をするりと躱し、菱和は背中に肘を入れる
その場に倒れ込む高野
菱和はその体を仰向けにし馬乗りになり、無表情のまま高野の顔面を何度も殴り付けた
高野の顔が、あっという間に血だらけになった
───凄い
リサは初めて本物の喧嘩を目の当たりにし、普段の無表情からは想像もつかない菱和の喧嘩の強さを実感した
古賀はその様子を傍観し、感心していた
「ふぅーん‥やっぱ強えぇんだなぁ‥‥」
「───あっ!!?」
菱和はリサの声に反応し、殴るのをやめて振り返った
古賀がリサの髪を掴み、頬にナイフを当てている
「‥‥でも、そろそろ大人しくした方が良いんじゃねぇか」
リサ───
「触んじゃねぇっっ!!!」
「───菱和!後ろっ!!」
リサが叫んだ刹那、菱和は背中に鈍い痛みを感じた
明らかに背中を殴り付けたものが人の感触ではないと思った菱和は、声にならない呻き声を上げる
菱和の身体を殴打したのは、駒井が手にしている冷たく錆びた鉄パイプだった
駒井は口を拭いながら鉄パイプを放った
乾いた金属音が響く
高野は震えながらゆっくりと立ち上がり、ふらふらと菱和から離れた
古賀は駒井と高野に、菱和の身体を起こすよう指示した
二人は菱和の腕を掴んで拘束し、膝で立たせた状態にした
「さぁて‥‥どうすっかな?‥ま、取り敢えず殴るわ」
古賀は菱和の顎を掴み、その顔面を殴った
[0回]
◆◆◆喧嘩のシーンがあります 暴力的な描写が苦手な方はご注意下さい◆◆◆
***
タクシーを降りた菱和は、街灯の少ない路地に入った
不良の溜まり場としてそこそこ知られている“例の場所”
古賀にしつこく誘われ、何度か訪れたことがあった
もう二度と足を踏み入れることなど無いと思っていたが、こんな形でまた来ようことになろうとは思いもしなかった
───金輪際、ごめんだ
菱和は既に廃ビルと化した、5階建て程の古びた建物へと歩いて行った
廃ビルの入り口付近には、“BLACKER”の面々が10人程屯していた
そのうちの何人かが、菱和に気付く
「お、誰か来た」
「お前か?“菱和”ってのは」
菱和はその声に答えることなく、真っ直ぐ廃ビルに向かった
“BLACKER”たちは、扉の前を塞ぐようにして菱和の行く手を阻んだ
「てめぇ、何無視してんだよ!」
一人の男が菱和の肩を強く掴み、顔面目掛けて拳を振り上げた
ところがその拳は、ぱし、と受け止められた
菱和はいつもの無表情で、男の顔を見た
灯りの少ない夜道でもわかるほどに、その眼光は一瞬で相手を怯ませる程の冷たく鋭いものだった
菱和の視線にたじろぎビビった男は若干後ずさりしたが、他の男たちは菱和の周りに群がった
「おい、お前だろ?古賀がムカついてる奴って」
「俺ら、古賀にお前ボコっても良いって云われてんだよ。どうしてもここ通りたきゃ、俺ら倒してから行くんだな」
汚い笑い声が、人気のない路地により反響した
菱和は特に反応せず、“BLACKER”の面々を見回した
「お前一人じゃ無理だろうけどなっ!!」
男の拳が、菱和の頬を打つ
菱和は若干よろけたが、殴ってきた男を無表情のまま睨んだ
さらりと流れる前髪からその目が垣間見え、男の姿を捉えた菱和は低く呟いた
「──────退け」
刹那、菱和は目の前の男の顔面を思い切り殴った
男の身体はふわりと浮き、ふっ飛んだ
仰向けに倒れた後、だらだらと血が流れる鼻を押さえ、立ち上がることも出来なくなった
互いに一発浴びただけなのだが、立ち上がれない様子の男に対して菱和はさほどダメージを食らっていなかった
今しがた人を殴った右手の手首を、ブラブラと振った
「───てめぇっ!!!」
それを合図に、“BLACKER”の面々は一斉に菱和に襲い掛かった
中学時代、それなりに場数を踏んでおり、喧嘩慣れしていた菱和
長身の割には俊敏で、容易く攻撃を避け、反撃する
何発か浴びたものの、ユウスケが云っていた通り“猫パンチ”程度のものにしか感じられなかった
“BLACKER”たちはどんどんとその場に倒れていき、あっという間に残り一人になった
その一人に視線を落とし、菱和はゆっくりと近付いた
「あ、あんま、調子乗ってんじゃねぇぞ‥‥!」
男はサバイバルナイフを取り出した
菱和はナイフに少しも臆することなく、男へと歩みを進めた
「───死ねやぁっ!!!」
男は、菱和目掛けてナイフを向けて走り込む
菱和は咄嗟に避けたが、男が振り向き様に振った手に握られたナイフの刃が、菱和の左腕を切り裂いた
血液が腕を伝い流れ出てくるのを感じる
シャツの袖は裂け、みるみる赤く染まり出す
菱和は、腕を伝い流れてきた血液で濡れる掌を見た
「ひっ、ひひ‥‥‥‥沈めや!!」
流れ出る鮮血を見てハイになってしまった男は、菱和を目掛けてナイフを振り翳す
菱和はそれを避け、血だらけの左手で男の頭を掴み、思い切り頭突きをした
男がよろけた隙に菱和はナイフを持つ手ごと蹴り上げ、男の手首はあらぬ方向にぐにゃりと曲がる
カラカラと金属音が鳴り、ナイフは地面に転がった
手首を押さえ、膝をつき悶絶する男の頬を掴むと、菱和はそのまま顔面を3回ほど殴り付けた
菱和が手を離すと、男は鼻血を吹き出して倒れ込み、再び悶絶した
軽く肩で息をし、立ち竦む菱和
最後の一人を倒され、騒然とする“BLACKER”の面々
既に戦意を喪失しており、中には逃げ出す者も居た
菱和は残っているうちの一人に近付き、低い声で尋ねた
「──────古賀は?」
「ちっ地下、に‥‥っ」
怯えたの男の身体は、みっともなくぶるぶると震えていた
菱和は男に一瞥くれると踵を返し、重く錆びたドアを開け、廃ビルへと入って行った
***
取り敢えず車に乗り込んだユイ、拓真、アタルは、これからどう行動するか話していた
アタルは煙草を取り出し、火をつけた
「確か菱和はタクシー乗ったっつってたな。『第2アカシアビル』か。どの辺なんだべ‥‥たー、ちょい調べてみ」
「うん」
スマホの地図機能を表示させ、拓真はビルの所在地を調べ始めた
「っていうか俺と拓真は喧嘩できないけど、もしそういう状況だったらどうすんの?」
「別にどうもしねぇよ。臨機応変に対応するだけだ」
「足手まといにしかならないと思うけど、大丈夫かな?」
「今更大丈夫も何もねぇだろ。お前の場合は止めても無駄だと思ったから黙って連れてきたんだよ。それに、お前らの大事な幼馴染みと“うちのベーシスト”、放っとくわけにゃいかねぇからな」
アタルは煙草を吹かしながら云った
“うちのベーシスト”
アタルはとっくに菱和を受け入れるつもりでいたようだ
ユイはアタルの言葉を聞いて、にこっと笑った
「まぁ穏便に話し合いで解決ってわけにはいかなさそうだよねー‥‥あ、これだ。『第2アカシアビル』」
「ふーん‥‥ちょっと距離あるな」
「行けそう?」
「15分くらいってとこか。なるべく急ぐけど、安全運転で行くかんな」
「おっけー!」
「‥シートベルト締めろチビ助!!」
アタルはユイを睨み、車窓から喫いかけの煙草を投げ捨てた
[0回]
「菱和くん、行こ」
ユウスケは、菱和を出口へと促した
菱和は俯いたまま、立ち竦んでいる
何でだ、何でこんなことに
俺が脱退することとリサが危険な目に遭うことと一体何の関係があるんだ
やっぱり、もっと早く抜けとくべきだった
まさか古賀がこんなことをするなんて、予想もしてなかった
いや、それ以前の話なのかも
そもそもあいつらのバンドに入りたいなんて、高望みなんてするべきじゃなかった
こんなことになるくらいだったら、つまらない生活を送っていた方がマシだったかもしれない
俺と関わったばっかりに、リサはおろか、石川にも佐伯にも上田にも、上田のバンドメンバーにも迷惑かけちまってる
全てにおいて、想像力が欠け過ぎてた
俺なんかに話しかけてきたりしないで
俺なんかをバンドに誘ったりしないで
何もしないで、ただのクラスメイトで居れば───
───俺なんか、欲しがるなよ
欲を持ちユイの誘いを受け入れてしまったこと、果てはユイやリサが自分と関わりを持つことになってしまったことまでもを憂い、菱和は自分自身に激しく苛ついていた
ぎり、と拳を握り締める音が聴こえ、ユウスケは菱和の顔を覗き込んだ
「‥‥菱和くん?」
「──────すいません」
「え!!?ちょっと‥‥っ」
菱和は持っていたベースをユウスケに押し付け、走っていった
「おい!!菱和くん!?」
「ハジ!追い掛けろ!!」
「ああ!」
ユウスケに急かされ、ハジは菱和を追い掛けた
***
ライヴハウスの入り口では、ユイと拓真、ケイが、上田やハジを待っていた
あれこれと下らない話をしていると、カナを自宅に送り届けたアタルが戻って来た
「あっちゃん。お疲れー」
「おー‥‥あれ、樹とハジとユウスケは?」
「上田は菱和呼びに行った。ハジさんたちは煙草喫いに行ったよ」
「あっそぉ。俺もちょっと一服するかな。っつぅか腹減ったわー、今何時?」
「もう少しで10時だよ」
「───ユイ!!!」
上田がライヴハウスから飛び出てきた
ユイたちは壊れる勢いで開いたドアに驚く
「上田ぁ!びっくりしたぁ。まだ菱和居た?」
上田は肩で息をしながら、ゆっくりとユイたちに歩み寄った
「‥‥ユイ、拓真、落ち着いて聞いて。菱和のバンドの奴らが、近藤サンを拉致った」
「───‥‥‥‥は?」
上田の話す内容にいまいち要領を得ない2人
アタルとケイも、怪訝な表情を浮かべる
再びドアが開き、汗だくになったハジと、ベースを抱えたユウスケが出てきた
ハジは膝に手を付いて、息を切らしながら上田に云った
「ごめ、いっちー‥‥菱和くん、一人で行っちゃった‥‥」
「はぁ!!?」
「追い掛けたんだけど‥‥途中でタクシー捕まえちゃって‥‥流石に、車は追えなかった‥‥」
申し訳なさそうに、途切れ途切れに話すハジ
上田は顔を顰める
「‥‥あいつ‥‥‥‥」
「それだけ責任感じてんだよ。彼全然悪くないんだけどね」
ユウスケは菱和に半ば無理矢理託されたベースを背中に背負った
「なんかよ、全然事情がわかんねぇ。最初から説明してくんねぇ?」
アタルは煙草に火をつけた
ハジとユウスケは、一部始終を話し出した
「俺ら、裏口で煙草喫ってたのね。そしたら、菱和くんのバンドメンバーとリサちゃんが一緒に出てきて、無理矢理車に乗せられてったんだ」
「確か、“ブラック”‥‥?忘れたけど、何とかってチームの奴らが出てきて、そいつらに足止め食らっちまった。菱和くんのバンドの奴がその何とかってチームとナカヨシらしくて」
「うーん‥‥なんかよくわかんないけど、何でそんなことになったの?」
「‥‥‥‥菱和のバンドの奴らは、菱和がバンド脱退するのが許せなくて、近藤サン拉致ったみたい」
「──────え?」
ユイは、上田の言葉に、誰よりも驚いていた
『今すぐには無理だ』
『少し、時間くれるか』
『お前らとバンド出来たら、楽しいんだろうなぁ』
『絶対抜ける、約束する』
『俺をバンドに入れてくれたら、それで良いよ』
菱和の言葉が、ユイの頭の中を駆け巡った
菱和が直面している問題をユイは知る由もなかったのだが、今夜のライヴで脱退すると云っていた菱和の言葉にすっかり浮かれてしまっていたことを猛省した
そして、自分の大切な幼馴染みに危害を加えようとしている何処の誰かもわからない人間のことを、強く憎んだ
アタルは溜め息混じりに煙草の煙を吹かした
「で、菱和はそいつらんとこ行った、ってか」
「そう。『一人で行くな』って云ったのに。菱和のアホ」
上田は眉間に皺を寄せ、唇を尖らせた
「───菱和は、どこに行ったの?」
「『第2アカシアビル』、って云ってたな」
「‥‥ん?そこって、確かもう廃ビルになってたんじゃなかったっけな」
ケイが思い出したように云う
ユウスケは先程“BLACKER”の一人に殴られた痕を指でなぞりながら、侮蔑の表情を見せる
「なるほど。大方ギャング崩れ共の溜まり場、ってとこね」
「よし、行くか!」
「ちょい待ち」
全員の気持ちが『第2アカシアビル』へと向かう矢先、アタルがそれを制止した
「おめぇらに迷惑かけるつもりはねぇ。俺ら3人だけで行く」
アタルの言葉に、SCAPEGOATのメンバーは顔色を変えた
「あっちゃん!俺ら迷惑とかそんな風に思ってないから!」
「乗り掛かった船だし、俺らも行くよ」
「バーカ!これはもう“うちのバンド”の話なんだよ。おめぇらの気持ちは嬉しいけどよ、俺らで何とかするから」
アタルは煙草を投げ捨て、ニヤっと笑いながら云った
「いや、でもさ‥‥」
「もし喧嘩でもして万が一サツが入り込んだりしてみろ。特にハジとユウスケ。おめぇらはもう学生じゃねぇんだから、無理にガキのお遊びに付き合う必要はねぇ。俺らは最悪、停学くらいで済むからよ」
拓真は神妙な顔をしているが、ユイはアタルの言葉に頷きニコニコした
揉め事に関わる人間が増えれば、余計なところにまで飛び火が向かう可能性が生じ、新たな揉め事を生む危険性もある
目の前の事態を冷静に捉えているアタルの言葉に、SCAPEGOATの面々は自分たちも加わりたい感情を何とか抑え込んだ
「───‥‥‥‥わかった。じゃあせめて、今俺らに何か出来ることないかな?」
「そんなら、その何とかってチームのこと調べてくんねぇかな?なんかわかったら、連絡入れといてくれ」
「おっしゃ。手当たり次第、当たってみるわ!」
近くのパーキングに停めた車へと向かうアタルに続いて、ユイと拓真もその後ろをついて行った
***
「ユウスケ、口大丈夫?」
「うん、全然平気。ほんと猫パンチだったからね」
「勢いだけでぜーんぜん大したことなかったぞ、“ブラッキー”‥‥だっけ?」
「“BLACKER”じゃないの?」
「どっちでも良いや、あんなクソ共」
「それにしても‥‥‥‥真面目で良いコだね、菱和くんって」
「ああ。あんな成りだからちょっと悪系の人なのかなって思ってたけど‥‥あの長身で頭下げて謝ってきたから、ちょっとびっくりした」
「──────俺さ、一年のとき菱和と同じクラスだったんだ」
「あら、そうだったんだ?」
「‥‥いつだったか、L CUBEでライヴやったときあんじゃん?」
「ああ、やったな」
「そんときたまたまベース持ってる菱和見掛けてさ、声掛けたんだけど全然学校来てなかったから俺のこと知らんかったみたいなの。で、それを拓真に教えたら、ちょうど尊さんが抜けるってときだったから、ユイがHazeに誘ったんだ」
「へぇー‥‥‥‥。タケちゃんのベースも良かったけど、菱和くんのベースもなかなかイケてるよね」
「俺もそう思う。Hazeに合いそうだよね」
「‥‥で、それから俺もちょいちょい関わるようになったんだけど‥‥なんか、無愛想だけどイイ奴、なんだよね菱和って。‥今思えば、一年のときから仲良くなってたかったなー‥‥」
「‥‥‥‥‥‥イイ奴、か‥‥」
「人は見掛けに寄らないね、ほんとに」
「ああ、実際話してみないとどんな奴かなんてわかんねぇもんな」
「‥‥俺らみたいに?」
「そうそう!」
「見掛け通りの奴、約1名ー」
「は?誰のこと?」
「そんな奴一人しか居ねぇじゃん」
「‥‥‥‥何で俺の顔見てんだよ?」
「───ははっ!!」
「ふひゃははは!おっかしー!」
「笑うな!バーカ!」
「───‥‥菱和くん、ちゃんとHazeに加入出来ると良いね」
「そうだな。対バンやるって約束したしな!」
「取り敢えず、ファミレスでも行ってるか。“BLACKER”のこと調べようぜ」
[0回]
リサはなかなか出口を見つけられず、未だユイたちと合流出来ずにいた
人も疎らなロビーやロッカールームをうろうろしながら、沸き上がるステージを遠くに聴く
先程の菱和の顔が浮かんでくる
あんな無愛想な奴でも、人前で演奏するときは変わるもんだと思ってた
なのに、あいつは少しも変わらなかった
演技でも良いから、楽しそうにしてろっての
どうせ、客の殆どはそれが演技だなんてわかりゃしないんだから
でも多分、あのバンドはあいつがいるべき場所じゃない
私にだってわかるくらい、他のパートとのレベルが違い過ぎる
そりゃあ、楽しくなんてないだろうね
だったらせめて、面白可笑しくしてる奴らのとこに行けば良い
ユイたちのバンドに入れば、あいつも演技をするまでもなくほんとに楽しく演奏出来る筈だ
何よりも、ユイたち自身がそれを望んでるのだから
折角それなりの腕があるのに、あんなつまんなそうに弾かれてりゃ楽器も可哀想だ
あいつの本性とかユイにちょっかい出されたこととか、もうどうでも良くなった
───私も少しだけ、あいつの本気のベースを聴いてみたい
そんなことを考えつつキョロキョロと周りを見ながら彷徨いていると、突然何者かに腕を捕まれ、人気のない場所に引き込まれた
「───!」
振り返ると、先程までステージで演奏していたBURSTのメンバーがいた
「お前、菱和の知り合いだろ?」
「‥‥は?何あんたたち?」
「ちょっと来いよ」
「やっ‥‥何すんの離してよっ!!」
古賀は抵抗するリサを無理矢理裏口の方へと連れていこうとした
***
裏口付近で、ユウスケとハジは煙草を喫っていた
「やっぱ混まないから良いね。のんびり喫えて」
「ほんとな。出待ちの女とか毎回マジうぜぇしな、うるせぇし。あぁ、美味ぇ」
ライヴハウスの入り口にも灰皿は置いてあるのだが、裏口は人気がなく閑散としており、落ち着いて煙草を喫うにはちょうどいい場所だった
出入りする人間のみ知ることの出来る、ある意味特別な場所でもあった
2人がだらだらしていると、一台の黒いバンがけたたましい急ブレーキ音を立てて裏口に横付けしてきた
ガラの悪い連中が何人か乗っている
内装も外装も、お世辞にもお洒落とは云えない改造や装飾が施されていた
「うわ、危ねー。何だあれ」
「はー、下品な車だねぇ」
バンを傍観する2人
突然開いた裏口
目をやると、3人の男に囲まれたリサが出てきた
「あ、リサちゃん?」
ハジはリサに呼び掛けた
その声に反応した男たちは、無理矢理リサをバンに押し込んだ
「早く乗れよ!!!」
「あっ───!」
「───リサちゃん!!?リサちゃん!!」
ハジとユウスケがバンを追い掛けようとした矢先、リサや男たちと入れ替わるようにガラの悪い男が4人ほど車内から出てきた
男たちは2人の前に立ちはだかり、その隙にバンは急発進して行ってしまった
ハジは目の前の男たちにガンを飛ばす
「おいおい、何なんだよお前ら。今のコ、俺らのツレなんだけど?」
「お前らこそ何だよ?俺ら“BLACKER”だぞ」
「“ぶらっかぁ”?‥‥知らねぇなぁ。俺らここ地元じゃねぇし」
「何その下品な名前。ナカヨシグループかなんかなの?」
「───舐めてんのかコラァ!」
男のうちの一人が、のらりくらりと話すユウスケに殴りかかった
かしゃん、と音を立てて、ユウスケがかけていた眼鏡が地面に落ちた
ユウスケの口元から、血が垂れる
「──────何すんの」
ユウスケは、殴ってきた男の顔をゆっくりと見た
限り無く無表情なのだが、それが逆に男の心臓をざわつかせた
ただ、静かに、怒りの籠った視線が、男に突き刺さる
その鋭い眼光に怯んでいる隙に、ユウスケは男の顔面を思い切り殴った
***
「菱和ー、居るー?」
控え室には、ベースを片付けている菱和が居た
上田に気付くと、菱和は顔を上げた
「‥‥来てたんだ」
「おう、バンドメンバー全員でな!いやー、やっぱ菱和のベース良いわぁ。良いモン見して貰ったよ。‥あれ、他のメンバーは?」
「知らねぇ。もう帰ったんじゃねぇかな」
「ふーん。これから時間ある?ユイたちと俺のバンドメンバーで飯食いに行くんだけど、菱和も行かねぇ?」
「‥良いのか?俺が行っても」
上田は菱和の言葉に噴き出した
「なぁに意味不明なこと云っちゃってんの!はっきし云って、お前が主役みたいなもんよ?まぁ、ご馳走は出来ねぇんだけど‥‥とにかく、打ち上げ兼ねて行くべよ?」
「‥‥そっか。わかった」
「ん!皆待ってるから早く行くべ!」
「──────いっちー!!!」
上田と菱和が控え室から出て出口に向かって歩いているところ、突然叫び声が聞こえた
名前を呼ばれた上田が振り返ると、ハジとユウスケが全速力で走ってきた
何やら唯ならぬ雰囲気を感じ取り、上田は2人を凝視した
「どうしたん?そんなに慌てて」
「ちょっとヤベぇことになった。リサちゃんが変な奴らに連れてかれた」
「‥‥‥‥はい?」
「絶対『お友達』って雰囲気じゃなかったから追い掛けようとしたんだけど、“ブラッカー”とかいう変な奴らに絡まれて‥‥」
「マジでごめん。ちょっと無理だった」
肩で息をするハジとユウスケ
上田と菱和の表情が、次第に凍り付いていった
菱和の携帯が着信音を奏でる
苛ついて画面を見ると、着信の表示には古賀の名前
嫌な予感が頭を過り、菱和は直ぐ様通話ボタンを押した
『よう、菱和。さっきお前と喋ってた女、取り敢えず拉致ったから』
「‥‥どういうつもりだ」
『さっきの話も実は聞かせて貰ってたよ。お前、別なバンドに入る気?』
「もうてめぇらには関係ねぇだろ」
『そんなことねぇさ。まだお前は俺らのバンドの一員だろうが。‥‥“例の場所”に来い。話の続きはそこでしようぜ。お前の脱退の件は、この女と引き換えだ』
「‥ざけんな」
『良いか、一人で来いよ?誰か連れてきやがったら、この女ヤっちまうからな』
『きゃっ‥‥』
恐らくリサの声であろう悲鳴に、菱和の目付きが変わった
「てめぇ、マジでいい加減にしろよ。そいつに触んじゃねぇ」
『それはお前次第だよ。じゃあな、早く来いよ』
古賀は一方的に通話を切り、菱和の携帯から規則的に電子音が聴こえた
菱和は苛つき、携帯を握り締めた
上田はハジとユウスケの話に顔を顰めている
「誰なん?その変な奴らって」
「“ブラッカー”ってわかる?なんかチームの名前みたいなんだけど」
ユウスケが上田に尋ねたところ、菱和が口を開いた
「───俺のバンドのメンバーの差し金です」
「あ?どゆこと?」
「ギターの奴が“BLACKER”の連中とつるんでて。ギャング気取ってるクソみてぇな奴らで、喧嘩とか薬とか下らねぇことやってるチーム」
「まぁ、そんな感じだったよね。チンピラにもなれてないどチンピラどもだったけど」
ユウスケは、口元を触りながらBLACKERの面々の感想を述べる
「でも、何で近藤サンを拐う必要があるわけ?」
「‥‥さっきあいつと話してたの聞いてたみてぇで、俺と面識あるって思われたから」
「‥‥話が繋がらないんだけど。それだけの理由で拐ったりするか?」
「───‥‥‥‥古賀は俺がバンドから抜けるって云ったのが気に入らなかったんだ。もうずっと前から脱退の話はしてたけど、なかなか決着つかないでいて。今の電話あいつからで、俺が抜けるのとリサと交換条件出してきやがった」
菱和は云い出しにくそうにしていたが、上田たちに脱退の件を話した
途端、上田たちは声を荒げた
「は!!?バカじゃねぇの!!」
「しょーもな。とんでもないガキんちょだねぇ」
「おー、マジムカつく。俺、リサちゃんのファンなのに」
「‥‥すいません、俺の所為で」
菱和はユウスケの口元を見て、頭を下げた
「‥ああ、気にしないで!取り敢えず軽くぶん殴っといたから。菱和くんの所為じゃないよ!」
「そうそう。ユウスケが一人殴っただけで、他の奴ら散ったからさ」
「どうするん?菱和」
「‥‥連れ戻してくる」
「場所どこだよ?俺も行く」
「『一人で来い』って云われてる。あいつらリサに何するかわかんねぇ」
「てか、ゆっちゃんたちにも報せなきゃ」
ハジがユイの名を口にする
石川───
リサは、ユイの大切な幼馴染み
それは散々見せ付けられてきた
ユイを、リサを傷付けられるのは、今の菱和にとっては何よりも赦しがたいこと
菱和はぎり、と拳を握り締めた
「───お前、マジで一人で行く気してるだろ」
いつもはチャラい上田が見せる、真剣な眼差し
憤りを抑えきれない様子だった
「悪りぃけど、それは出来ねぇ。可愛い同級生拐われて、俺もじっとしてられねぇわ。場所どこだ?俺らも行く」
「そんなことさせるわけねぇだろ。お前にもメンバーさんたちにも、これ以上迷惑かけらんねぇよ」
「‥‥菱和くん。ゆっちゃんもリサちゃんも、大事な友達なんでしょ?俺らにとっても、それは同じだよ。友達のピンチに何もしないのは、俺らも無理だわ。それに、殴られたっつっても猫パンチだったから全然平気よ?」
「おお。ダイジョブだって、喧嘩とか久々だけど俺らそこそこやるよ?バンドやってるモン同士、ちっとは頼ってよ」
責任を感じている菱和に、ハジとユウスケがにこやかに話した
菱和は申し訳なさそうに顔を伏せたが、観念したように古賀の居場所を伝えた
「‥‥‥‥多分、『第2アカシアビル』」
「ん、わかりっ!取り敢えずユイたちに報せるわ!」
上田はいつものチャラい表情を見せ、ユイたちの元に走っていった
[0回]
4曲ほど演奏し、BURSTの出番は終わった
菱和のバンドを観終わり、ユイと拓真、リサはSCAPEGOATのメンバーたちと一緒に会場から出た
「てか、上田たち他のバンド観なくて良かったの?」
「ああ、うん。俺らも菱和観に来たようなもんだから。それよかこの後なんか食い行かねぇ?」
「行きたい!‥‥けど、拓真とリサは大丈夫?」
「俺は大丈夫だけど」
「私も」
「じゃ、あっちゃんにメール入れとくわ」
拓真はアタルにメールを打ち始めた
「ね、そんなら菱和も誘ってみない?」
「おー、良いねぇ!あとで控え室行ってみっか」
「ゆっちゃん、体調どう?」
「平気だよ!菱和のベースばっか聴いてたから、口ん中すっげぇ甘い!」
「ゆっちゃんて、ほんと面白いね」
「今度、俺の“味”も教えてよ?」
「もっちろん!菱和が入ってライヴやるときは、対バンしよ!」
「おお、それ絶対楽しいよ!」
和気藹々と和む、ユイと拓真、SCAPEGOATのメンバーたち
リサは拓真の袖を軽く引っ張った
「私、ちょっとトイレ」
「あ、うん。わかった。出たとこで待ってるわ」
「お、俺も。リサちゃん、トイレこっち」
ハジはリサと一緒にトイレに向かおうとした
その後ろから、ユウスケが野次を飛ばす
「とかってー、連れションする気じゃねぇだろうなー!?」
「ばっか、流石に無理でしょ!てか今のセクハラだし!」
ケラケラと笑いながら、ハジはリサをトイレの方へと促して行った
トイレへ行く途中、ハジはリサに申し訳なさそうに云った
「ごめんねー、下品な奴らばっかでさ。‥‥って、俺が一番下品か。若いコと一緒に居るの久々でさ、ついはしゃいじゃって‥‥」
「‥‥いえ。私もこういうの久し振りなので、楽しいです」
「‥そ!良かった!多分俺の方が早く終わると思うから、ゆっちゃんたちと一緒に出口で待ってるね」
いそいそとトイレに入っていくハジに、リサは軽く会釈した
***
用足しを終えて、リサは出口を探した
決して広い箱ではないが、初めて来る場所はいまいち慣れない
うろうろしているうちに、出番を終えた菱和とばったり会った
リサは一瞬顔を顰めたが、菱和は特別驚いた様子もなくリサに話し掛けた
「───何だ、来てたんか」
「‥‥‥‥ユイに誘われたから観に来ただけ。私がここにいちゃ悪い?」
「‥‥別に。あいつらは?」
「外出てる。もうみんな帰るから」
「‥‥そ」
リサは菱和を見上げて、大きな瞳で見つめた
「‥‥みんな不思議がってる。何であんたがあのバンドに居るのか」
「‥‥‥‥ふぅん‥」
「まぁまぁ、なんじゃないの。ベース」
「そうかい。そりゃどうも」
菱和は少し口角を上げて、壁に寄りかかった
リサは、いかにもつまらなさそうな顔をしてベースを弾く菱和の姿を思い出した
「‥‥‥‥別に、あんたのこと認めた訳じゃないから。あんたがバイだろうがゲイだろうが、どうだって良い。でも、ユイたちのバンドに入ってから今日みたいな腑抜けた演奏したら、ただじゃおかない」
何度か見た、鳶色の目
その瞳に映る、自分の姿
それは、俺があいつらと演ってる姿なんだろうか
ちゃんと、こいつの目に映し出されるんだろうか
どちらにしても、こいつはそれを歓迎してくれている
少なくとも、『やわな演奏をするな』と云ってくれる程度には───
素直ではない、だがいつもとは少し違う態度に、菱和はふっ、と笑みを零した
「‥‥‥‥取り敢えず、俺はバイでもゲイでもねぇんだけど。いつの間にかめちゃくちゃ誤解されてるみてぇだな」
リサは、笑う菱和をじろりと睨み付けた
「どの辺が誤解だって云うの?」
「云ったろ、あれはただの悪ふざけだって。でもお前にしたら、マジで気に食わなかったんだろうな。っつうか、俺がお前でも相当ムカついたと思う。もうあいつに変な真似はしねぇよ。約束する」
菱和はリサを真っ直ぐ見つめた
その表情と言葉に少し安堵し、リサはふっと顔を逸らす
「‥‥‥‥あっそ」
「‥‥まぁ、あいつらとバンド始めて俺の気が変わるかどうかはまた別の話、だけどな」
「っ!!ちょっ‥‥!」
菱和は笑みを浮かべたまま、憤るリサを残して去っていった
閑散とする箱の隅に、物陰に隠れるようにして2人の会話をこっそり聞いている古賀の姿があった
***
出番が終わったBURSTのメンバーは、控え室に戻っていた
菱和は楽器を置くとすぐさま煙草を喫いに出て行った
脱退についての話は平行線のままで、苛ついてギターを投げ捨てた古賀も、一旦控え室から出て行った
駒井と高野が楽器の片付けをしていると、古賀が戻ってきた
「あー、苛々すんなぁマジで」
そう云うなり、椅子にどかっと座り込む
「もう諦めれば?代わりのベース捜せば良い話じゃん」
「お前ら何とも思わなかったのか?あいつ、俺らと居て『つまんねぇ』とか抜かしやがったんだぞ?マジでムカツクわ」
古賀はその辺にあったペットボトルを壁に投げつけた
「まぁ、菱和みたいな奴にとっては真面目にバンド出来る方が向いてんのかもな」
「ああ、あんだけ上手けりゃな‥‥てかまたサポートって形で誰か引っ張ってくりゃ良いんじゃん?」
駒井と高野は、菱和が脱退することに対して何とも思っていないようだった
古賀だけが納得しておらず、苛立ちを募らせる
「そんなのはどうでも良いんだよ。問題はあいつがムカツクってことだ」
「んなこと云ったって、菱和だって一歩も引く気なかったじゃん?」
確かにそうだった
ただの無口で無愛想な独活の大木みたいな野郎
普段は全く喋らないのに、脱退に対してはえらく頑なだった
仏頂面の裏側は、とんでもない頑固野郎だった
古賀は、天井を仰ぎ、ぼそりと呟いた
「───ひとつ、考えがあんだけどよ」
「何?」
「あいつさっき、女と喋ってたんだよ」
「女?」
「ああ、ちょっと目付き悪いハーフみてぇな女。あの野郎、『興味ねぇ』とか云っときながらその女とはめっちゃ喋ってやがったんだ」
「ふーん‥‥意外だな、菱和が女と喋るなんて」
「だろ?だからよ、そいつ拐おうぜ」
古賀はニヤリと笑った
駒井と高野は、顔を顰める
「──────え、何云ってんの?」
「バンド抜けんのとその女と交換条件出せば、あいつも考え直すだろ?結構親しく喋ってたしよ、まぁまぁ仲良さげな奴だったら、ダメージでけぇじゃん。良い案だと思わねぇ?」
古賀はいやらしい笑みを零す
「どうなんだろ‥‥、わかんねぇけど」
「っつうか犯罪だろそれ」
「とにかく、あいつにゃマジでムカついてんだよ。それくらいやっても良いだろうが。おい、“BLACKER”の奴らに連絡しとけ」
「は!!?“あいつら”まで使う気かよ!?」
「ついでだからボコってやろうかと思ってさ。これであいつは俺の言いなりになるしかないだろ?一石二鳥だ」
古賀は高笑いをした
駒井と高野は顔を見合わせて顔を歪ませる
途端、古賀は2人を睨み付け、怒鳴り散らした
「──────何ボケッとしてんだ早くしろよ!!!お前らも俺をムカつかせんのか!?一緒にやっちまうぞ!!」
駒井も高野も古賀には逆らえないようで、押し黙った後、頷いた
「‥‥わかった」
「ったく‥‥黙って云うこと聞いてりゃ良いんだよ!」
古賀は椅子から立ち上がり、また笑みを浮かべた
「さて、と。あの可愛こチャン、迎えに行くか」
[0回]
控え室で出番を待っている“BURST”の面々
古賀、駒井、高野のスリーピースで、ルックスの良さから主に女子高生から人気のあるバンドだった
ギターを持つ古賀は椅子に腰掛け、のらりくらりと菱和に話し掛けた
「なぁ、考え直す気ねぇか?菱和」
「無ぇな」
菱和は煙草を吹かしながら即答した
「前から話してたろ。これが終わったら、このバンド抜けるって」
「んー、納得いかねぇんだよなぁ。理由は?」
「何度も云ってんだろ。“つまんねぇから”」
「つまんねぇって‥‥理由としては弱い気がすんだけどなー?」
「十分明確な理由だと思うけど。お前らと一緒にやってても何も得るものがねぇんだよ」
「何が不満なんだよ?ライヴは数やってるし、女だって横流ししてんだろ?」
───モテたいだとか女とか‥‥‥‥結局こいつらは、そんなことしか考えてねぇ。そんなもん、
「───クソも興味ねぇ」
菱和は、吐き捨てるように云い、煙草を灰皿に押し付けた
古賀の目付きが、少し変わった
「───お前、ちょっと前からなんか雰囲気変わったよな。抜けたがってんのとなんか関係あんのか?」
「さぁ。とにかく、『今日で最後』って話は前からしてただろ。元々サポートとして入ってるってだけだったし、首の挿げ替えは幾らでも利くんじゃねぇの。俺なんかにこだわる必要ねぇと思うんだけど」
「‥‥そう簡単に足抜け出来ると思ってんのか‥?」
「‥‥‥‥出来ねぇってんなら、別な方法を考えるだけだ」
菱和は腕組をし、古賀に憮然とした顔を向ける
古賀が冷たく菱和を睨む
どんな理由があるのかはわからないが、古賀は菱和が脱退することに納得していないよう
互いに一歩も引こうとはせず、睨み合いが続く
「まぁまぁ、終わってからまた話し合えば良いんじゃねぇの?もうそろ時間だぜ」
駒井が古賀と菱和を窘めた
高野も、ゆっくりと立ち上がる
「──────菱和」
古賀が不適な笑みを浮かべて、菱和を呼ぶ
「また後で、ゆっくり話そうぜ」
菱和はすぐに古賀から目を逸らし、ベースを持った
***
ユイとリサは拓真たちと合流した
上田とハジも近くにおり、ユウスケとケイも列を割って入ってきた
「さっきのバンド、結構良かったよ!」
「あっそ‥‥」
はしゃぐカナを他所に、リサは既につまらなさそうな顔をしている
「ユイユイ、お口大丈夫?」
「うん、平気!」
「お前、こんなとこでゲロすんなよ」
「‥しないよ!」
ステージは暗転し、BURSTの面々が各々楽器の準備を始めた
スタンド席から見て左側に、菱和らしき長身の男の姿が見えた
やはり、バンド内でも一際背が高いようだ
ドラム担当である駒井が、カウントを始めた
一曲目のリフと共に、BURSTのメンバーはスポットライトに照らされた
飛び込んでくる、菱和の姿
silvitで聴いた、菱和のベースの音
あのとき、ユイの口の中は仄かに甘い味がした
ただ、何かに向かって攻撃し、威嚇するような印象も確かに感じた
───一体、何に対しての威嚇なんだろう?何だか、檻に入れられて暴れる野獣のような‥‥
狂ったように暴れる音の真意を、探る
───欲しい
それを知ってしまったあの瞬間から、欲しくて堪んねぇんだ
無い物強請りなのはわかっている
望むべきじゃないのかもしれない
それでも、最後の最後まで足掻きたい
欲しい
此処から出してくれ
呑まれても構わねぇから
欲しい
あの快感に、狂ってしまいたい───
そんな声が、聴こえた気がした
この音を、自分達に扱い切れるだろうか
否、扱えなければ自分達も呑まれるだけだ
そうならない為に、食らい付くだけだ───
ユイは菱和の姿に釘付けになり、気付けば鳥肌が立っていた
***
一曲目が終わり、最前列で観ている女子の集団から黄色い声援が飛ぶ
アタルは耳障りだと思いつつ、BURSTの演奏について感想を述べた
「‥‥何だよ、上手いのあいつだけなんじゃん。ベースだけめちゃめちゃ浮いてんぞ」
「ほんとだね‥‥なんか拍子抜け」
拓真も、アタルの意見に同意する
それを聞いていたユウスケやケイが、BURSTについて話し出した
「俺ら何度か対バンしてるけど、正直BURSTはルックスで売ってるバンドだから『上手い』とは言い難いね」
「菱和くんだっけ?彼のベースだけ明らかに突出しちゃってんだよね。俺らも、何で彼がこのバンドに居るのかずっと不思議だったんだ」
ハジも、自分が知る限りの情報を話す
「なんか、BURSTって結構ファンのコ食ってるって専らの噂なんだよ。菱和って奴も女から人気みたいだし、そういう意味では他の面子は手離したくねぇんじゃねぇの。‥‥よくわかんねぇけど」
「ふーん‥‥」
ユイと拓真にとって、その話を聞く限りではBURSTの第一印象は決して良いものではなかった
アタルは軽く頭を掻く
「‥‥ま、菱和のベースの腕と男前ってとこは認めるわ。あれだけのもんが入ったら、演れる曲広がるな。ライヴもすぐ出来そうだし」
「じゃあ、菱和の加入はOKってこと!?」
「良いんじゃねぇの?まだ一曲しか聴いてねぇけど、あいつほんとは相当弾ける奴なんじゃねぇのか?」
「うん、その筈だよ。俺らと演ったとき、もっと凄かったもん」
「だったら、“客寄せパンダ”にしとくにゃ勿体なさすぎだ。あいつがどう思ってっか知らねぇけど、俺は全然構わねぇぞ。あとはお前らが残り観て決めな。カナ、そろそろ行くか?」
「あ、はい!お願いします!」
「え、もう帰るの?」
リサは目を丸くしてカナを見た
「うん、うち門限厳しいからさ。もっと観てたかったけど‥‥アタルさんが送ってってくれるって云うから、お言葉に甘えてお先に」
「ああ、そっか‥‥」
「カナ、一応気を付けてね!あっちゃん運転荒い時あるから!」
「うっせーぞチビ助。俺は女乗せるときは超安全運転なの。行こうぜ」
意地悪そうな顔をしてカナに話し掛けるユイを小突いて、アタルは観客を掻き分けてカナを出口へと促した
「はい!じゃ、またね!」
「ばいばーい」
「っつーかさ、カナちゃん?あのコも可愛いねぇ。いっちーのガッコ、結構レベル高くね?」
SCAPEGOATのメンバーは、アタルとカナを見送りつつ上田に話し掛けた
「まぁね。長原と近藤サンは可愛いよね、やっぱ」
「うーん‥‥そうなのか?」
拓真の頭の上には、はてなが浮かんでいる
「たくちゃん‥‥あの2人見て、何とも思わないの?」
「えー‥‥なんか一緒に居すぎて“そういう目”では見れないっていうか‥‥」
「ああ、なるほどねー」
ハジやユウスケは、拓真の考えに納得して頷いた
***
ユイは、リサに耳打ちした
「リサ、どぉ?菱和のベース」
「‥‥よくわかんないけど、上手いんじゃない」
「でしょ?“あれ”が、俺らのバンドに入るんだよ!考えただけでわくわくしちゃう!」
「‥‥‥‥」
ユイは、目をキラキラさせて菱和を見ている
リサには、ステージでベースを弾く菱和がとてもつまらなさそうに演奏しているように見えた
今までユイや拓真が楽器を弾くところを何度も見てきたリサは、2人が楽しくなさそうに見えたことは一度もなかった
菱和のベースの腕は確かなものかもしれない
だが、楽器を弾く人間がそこに“楽しみ”を見出だせないことは、とてつもなく空しいことのように思えた
ユイの傍に居れば、バンド抜きにしても楽しくないことはない
あいつが求めてるものは、案外“そういうもの”なのかも知れない───
あれこれ考えているうちに、2曲目が始まった
菱和はいつもの無表情で、ベースを奏でている
───つまんなそうなのが顔に出てんだよ、バカ
菱和に、喝を入れてやりたい衝動に駆られた
[0回]
土曜の夕方
アタルはユイと拓真を車で迎えに行った
リサ・カナと合流し、5人はファーストフード店で軽く食事をしてから“M Labo”というライヴハウスへ向かった
助手席には拓真が、後部座席にはユイとリサとカナが、アタルの運転するセダンに乗っている
「私、ライヴなんて久々!尊さん居なくなる前に行ったっきりだからすっごい楽しみ!しかも、菱和くんが出るんでしょ?どんな感じなんだろー?」
「絶対カッコ良いよ!次からは俺らと一緒にライヴやるし!」
「それも楽しみ!ね、リサ?」
「‥‥別に」
和気藹々とはしゃぐ車内
学校祭での保健室の一件が思い返され、リサだけは浮かない顔をしていた
***
“M Labo”に到着した5人は、早速中へ入る
既に大音量でBGMが流れるライヴハウス内は、客でごった返していた
「ユイ、出てなくて大丈夫?」
「うん、ちょっと外出てる。菱和の出番になったら教えて」
「ほいほーい」
「じゃあ、少し前の列取っとくか」
「私も行くー!」
「あんま離れんなよ。下手したらダイブ食らうからな」
「え、それちょっと怖い‥‥」
「カナちゃん、あっちゃんの傍に居れば大丈夫だよ。この顔と髪見たら誰もダイブなんてしてこないから。いざとなったら、あっちゃん盾にしちゃって」
アタルは一言で云えば派手な顔をしている
ややつり目気味の目付きは、普通にしていても鋭く睨み付けているように見える
そして、髪は赤く染め、整髪料で逆立てている
また、長身で大柄な体格であり、パッと見“ガラの悪いあんちゃん”にしか見えないのだ
「てめ、勝手に決めんな!とっとと行くぞ」
拓真とアタルとカナは、ごちゃごちゃに混んでいるステージ前へと紛れて行った
「リサは、行かないの?」
「‥‥私も外出てる」
「ふーん。じゃあ、行こっ!」
ユイとリサは、一旦ライヴハウスの外へと出た
ライヴハウスの入り口は、出入りする客で犇めいている
ユイとリサは、入り口前に置かれたテーブルで話をしていた
「便利なんだか不便なんだかわかんないね、共感覚って」
「そうだね、俺もよくわかんない。でも面白いよ、色んな味がしてさ。味でその人の印象も全然違ってくるし」
「ふーん‥‥‥‥あいつは、何味だったの?」
頬杖をつきながら、リサは素っ気なくユイに尋ねた
「ん、菱和?実はねー‥‥」
ニヤニヤと勿体振るユイ
『実は、尊と同じ味』
そう話そうとした矢先
ユイは、後ろから声を掛けられた
「よー、ユイ!」
「───上田!‥‥てか、ハジさんとユウスケさん!ケイさんも!」
ユイが振り返ると、上田と並んで歩いてくる男性が3人
気さくに話し掛けてくる
「ゆっちゃーん、久し振りー!元気だった?」
「あれ、少し背伸びた?」
上田以外の3人は、ユイの肩に腕を回したりハイタッチをしたり、仲の良さそうな雰囲気だった
しかし、その外見は初対面であれば思わずたじろいでしまうようなものだった
ガラの悪いサングラスをしていて、手首に入れ墨のある男
黒と金のツートンヘアに伊達眼鏡、かなりゲージの大きいピアスをしている男
ボロボロのパンクファッションに身を包んだ、一見女の子に見えなくもない男
リサは、目を瞬かせた
固まるリサに、上田が話し掛ける
「コンバンハ、近藤サン」
「‥‥こんばんは」
上田以外の面々に度肝を抜かれたリサは、上田に返事をしたものの、何となく気まずさを拭えなかった
上田以外の3人は、すかさず顔を覗かせる
「なになに、ゆっちゃんのカノジョ!?」
「ううん、幼馴染みのリサ!」
ユイは、リサの心情などお構いなしにリサを紹介する
「へぇー!めちゃくちゃ美人さんだね!」
「ゆっちゃん、こんな可愛い娘とお友達なの?超うらやま!」
「リサちゃんってぇの?俺、ハジです!こんな成りだけど、俺ら全然アヤシイもんじゃないから!」
「いや、“俺ら”って。お前と一緒にすんなよ。てかお前がいちばんヤバいから」
「はー!?何処がだよ!」
「墨入ってる時点で色々ヤバいじゃん」
「そりゃ心外だな。この中でいちばんの常識人よ?俺は」
「いちばんあり得ねぇべ!!!」
ゲラゲラと笑う上田たち
その様子と雰囲気に、通行人ですら注目する
「上田のバンドの人たち。楽しいでしょ?」
「‥‥そうだね、楽しそうだね」
リサは、まだ目を丸くしたままだった
「な、アタルくん居る?」
「居るよ、もう中に入ってる」
「マジか!行ってこよー!」
「あ、俺も俺も!」
上田と入れ墨をした男は、バタバタとライヴハウスに入っていった
***
「‥申し遅れました。俺、ユウスケっていいます。“SCAPEGOAT”っていうバンド組んでて、たまにゆっちゃんたちと対バンさせて貰ってます。さっきのうるせぇ入れ墨ヤローがハジ。あの女みたいなのがケイ。宜しくね、リサちゃん」
ツートンヘアーのユウスケが自販機でジュースを買っているケイを指差しながら、礼儀正しく挨拶をした
「‥‥宜しく」
リサは、見た目と相反するユウスケの礼儀正しさに少し感心してしまった
ケイが飲み物を持って、ユイとリサに手渡した
「どうぞ」
「‥‥有難う御座います」
「ありがとケイさん!幾ら?」
「ああ、要らないよ。俺の奢り」
「‥ラッキー!」
人は見掛けに寄らない
上田は見た目も中身もチャラいのだが、“SCAPEGOAT”の面々、特にユウスケとケイは見事にそれを体現しているように見えた
「さっきの、入れ墨してる人がヴォーカルのハジさん。ユウスケさんがベースで、ケイさんがドラム。めっちゃカッコイイんだよ!」
「いやいや、それほどでもー」
「リサちゃん、ユイユイと幼馴染みなんだっけ?ユイユイの“子守り”もタイヘンだね」
「‥‥もう慣れました」
「んっ‥‥ちょっと、ケイさん、“子守り”って何すか!?」
ユイはケイの言葉を聞き、飲んでいたジュースに少し噎せる
「‥‥え?俺そんなこと云った?」
「云った云った!云いましたー!‥‥てか、SCAPEGOATはライヴやらないの?」
「んー、なかなか時間合わなくてね。練習も2週間に1回とかしか出来なくて」
「まぁ、俺ら社会人だからねー。ゆっちゃんとかいっちーみたいにガクセイだったら、もっと時間持てるんだけどなー」
「おいおい、一応俺もまだガクセイよ?」
「あ、そうだっけ」
話を聞く限り、“SCAPEGOAT”の年齢層はバラバラのようだ
ユウスケとケイは、ユイとリサに背を向けて煙草を喫い始めた
ユウスケはハイライト、ケイはブラックストーンを喫っている
ケイの喫うブラックストーンの香りが、ふんわりと漂った
「あー、甘い匂いがする」
ユイはすうっと息を吸った後、少し咳き込んだ
「あ、ごめんね!すぐ喫い終わるから」
ケイは軽く手を仰いで煙を払った
ユウスケもケイと一緒に手を払う
「よくそんな甘い煙草喫えるよなー」
「美味いよ、ブラスト。やっぱこれがいちばんだね」
「それ、ほんとに甘い味するの?」
「するよ。喫ってみる?」
「止めろって。ゆっちゃん、煙草なんて喫わない方が良いよー」
「ってか、俺らがそんなこと云っても全然説得力無いね」
「ふはは、ほんと!」
「確かに。それでも、ブラストなんて喫ったら倒れちゃうよ」
「そうなの?」
「うん。良い匂いするけど実はめちゃめちゃキツいからね」
「ふーん‥‥」
ユイは唇を尖らせた
煙草を吸う、年の近い友人たちは、自分よりも遥かに大人びて見えた
「あ」
ポケットに入っていた携帯が震えているのに気付き取り出すと、拓真からメールが来ていた
『そろそろ中入った方がいいかも』
「もうそろそろだって。中入ろ!」
「うん」
ユイとリサは揃ってライヴハウスの中へと向かい、ユウスケとケイも煙草を灰皿に押し付け、2人の後に続いて入って行った
[0回]
菱和からチケットを貰った次の日、ユイは拓真とアタルに連絡をした
二人とも特に予定もなく、ユイの家に集まることになった
昨晩の失態も含めて事の経緯を話すことになり、それを聞いた二人はゲラゲラ笑った
「道に迷うって、小学生かよ!お前ほんとバカだな!」
「下調べまでしたのに、マジで何しに行ったんだよ?」
「もおぉ、そんなに笑わないでよ!!お陰で菱和に会えてチケット貰えたんだから!はい、これ!」
ユイはむくれ、笑う二人に乱暴にチケットを手渡した
「ああ‥そうだっけ‥‥はー腹痛てぇ」
「今度は一人で行かせらんないな。場所は‥‥“M Labo”?ってどこにあんの?」
「こっからなら少し遠いな。車で行くか」
「出してくれるの?」
「ああ。次の土曜日だろ?多分でぇじょぶだと思う」
「じゃああと2枚分、リサとカナ誘っても良い?」
「5人か。まぁ乗れねぇこたぁねぇか」
「よっしゃ!じゃあリサに連絡してみる!」
ユイは携帯を手に取り、リサにメールを打ち始めた
「っつぅか、菱和って上手いのか?ベース」
「いやー、上手いなんてもんじゃないね。ありゃ引く手数多だよ。声掛けといて正解だったと思う」
拓真はアタルに、菱和のベースについての印象を語る
メールを送信し終えたユイも、菱和のベースの“味”を思い出した
「そういや兄ちゃんのベースと似てるとこあるよ」
「え、そうなの?」
「うん。だって、“同じ味”したもん」
「たけにいと?」
「うん」
「尊は何味だっけか」
「ミルクティー」
「たけにいは分からなくもないけど、あのベースがミルクティーって‥‥全然イメージと違うなぁ‥‥」
「完全に見た目と相反するな。結局、不良じゃなかったのか?」
「全然違う。優しいし、頭良いし、真面目だし。煙草は喫うけど‥‥あ、あとめちゃくちゃ料理上手いんだよ」
「ほんと、見た目だけだね。不良っぽいのは」
「ふーん‥‥ま、尊のベースと似てるってんなら俺らの中に入っても問題なさそうだな。このライヴ観てみて、最終決定にするか。‥‥っつうか、バンドの名前は?何番目に出るんだよ?」
「あ、聞き忘れてた!あとで連絡してみる」
「ほーんとお前肝心なとこ抜けてんのな。テキトーだし」
「大雑把なんだか細かいんだかわけわかんないあっちゃんよりマシだよ。‥‥‥‥あ、返事来た」
ユイの携帯が着信音を奏でる
ユイはアタルの言葉に目も合わせず云い返し、リサに返信する為に携帯を操作し始めた
「‥‥‥‥あいつ、殴って良いか?」
「‥‥デコピンくらいで勘弁してやってよ」
自他共に認める面倒臭い性格のアタルは、それを指摘され不機嫌そうな顔をした
***
週末
翌日に菱和のライヴを控えた夜、浮き足立つユイは自室でギターを弾いていた
部屋にはCDとスコアが足の踏み場もないほど散乱している
起床してから夜までほぼ弾きっぱなしだったユイは、ギターをスタンドに置いてベッドに寝っ転がった
「はー‥‥‥‥」
携帯の時計表示を見てみると、既に0時を回っていた
───もうこんな時間か
こんな日は特別珍しくも何ともない
食事を摂るのも忘れて、一日中ギターを弾きっぱなしで、腹の足しにはならないが心は満たされる
空腹など気にもならないほど夢中で弾き続けることは日常茶飯事だ
「───あ」
先日、『菱和のバンドの名前と順番を聞く』と云っていたことをすっかり忘れており、ふと思い立って菱和にメールをしてみた
『まだ起きてる?寝てたらごめんねm(__)m』
───またあっちゃんに文句云われちゃう‥‥抜けてるとかアホとか何とか
アタルのニヤけた顔が浮かんでくる
「ん」
携帯が鳴った
メールの返事が返ってきたようだ
ユイは少し安堵し、携帯の画面を見た
『なんかあった?』
絵文字も顔文字もない、素っ気ない文面
ユイは、すぐに返信をした
『聞くの忘れてたけど、菱和のバンドなんて名前??』
『BURSTってやつ』
『何番めにやるの?』
『3番目』
『わかった、ありがとう!』
『迷わないで来れそう?』
『大丈夫!車で行くから!明日楽しみにしてる♪』
これで、明日アタルに文句を云われずに済む───
ユイは軽く溜め息を吐き、携帯を枕元に置いた
程なくして、また携帯が鳴った
もう返事は無いだろうと思っていた矢先の返信
何だろう、と思い携帯を取った
『早く寝ろよ』
メール画面には、そう表示されていた
時刻は、0時半を回っていた
「‥‥‥‥、自分だって」
明日ライヴのくせに、と思い、ユイは唇を尖らせた
菱和との初めてのメールのやりとり
素っ気ない中の何気ない気遣いを感じたユイは、満足気に楽器の片付けを始めた
[0回]
「駅前の駐車場に、車停めてある。多分、車なら一時間くらいで着くんじゃねぇかな」
菱和は煙草を喫いながら歩いた
ユイはその後をついて行く
ライヴハウスから駅までは15分ほどの距離だった
駐車場には車が2、3台しか停まっており、菱和はそのうちのいちばん端にある車に真っ直ぐ向かった
鍵を開け乗ろうとしたが、ユイは車を見つめて立ち止まっている
「何してんだよ、乗れよ」
「あ、うん‥‥これ、菱和の車?」
「ああ」
ユイは不安そうに、助手席に乗り込んだ
静まり返る駅前に、エンジン音が響き渡った
菱和は何の躊躇いもなくハンドルを握り、車を発進させた
信号で停止した際、ユイはおずおずと菱和に尋ねた
「‥‥あの。菱和、もしかして無免許‥?」
菱和はユイを一瞥すると、財布からカードのようなものを取り出し、ユイに手渡した
「──────‥‥は!!!?」
ユイの声が、狭い車内に響いた
ユイが渡されたのは運転免許証だった
そのことにも驚いたのだが、記載されている生年月日が自分とは2年違うことに気付き、更に驚く
「‥‥‥‥‥‥年上、だったの?」
生年月日が2年違う───つまり、菱和はユイよりも2歳年上だった
その事実に驚きを隠せない様子のユイを、菱和はいまいち解せないでいた
「あれ、云ってなかったっけか」
「‥‥今初めて聞きました」
「そっか。悪い。てっきりもう話してたと思ってた」
菱和は信号が青に変わったのを確認し、アクセルを踏んだ
「ううん‥‥‥‥てか、今何歳?」
「19。っつーわけで、無免許じゃないです。法律は犯してません」
「そ、そーですね‥‥」
「‥何で敬語なの」
「いや、だって、年上だから」
「年上ったって2歳しか違わねぇし、同じ高校2年生だろ」
「そう‥‥ですけど‥」
ユイはすっかり畏縮してしまった
元々の性格もあるのだろうが、同級生と比べても菱和は一際大人びた雰囲気がある
───今19、てことは、来年はハタチ‥‥
そう考えると、余計に菱和が大人びて見えた
「‥‥今までの数々のご無礼、お許しください」
ユイは心から敬意を払って云った
ガラにもなく畏まった様子に、菱和はくす、と笑った
「いえいえ。‥‥でも敬語は要らねぇ。今まで通り、普通に接して」
ほぼ毎日一緒に学校生活を過ごしているのにも拘わらず、滅多に見ることの無い菱和の笑顔
自分とは違い小さな笑みだが、それでもその表情にドキリとする
「はい‥‥、じゃなくて、うん。わかった」
免許証の顔写真は、普段と変わらない無愛想で無表情な顔
髪は、今よりも少しだけ短い
───もっと、笑ってくれれば良いのにな
ユイは免許証を見つめながら、そう思った
***
菱和が車を走らせてから30分ほど経った
辺鄙な片田舎から、栄えた街並みへと景色が移り進んでいく
「‥‥そーいやさ。バンド名、何ての?」
「俺らのバンド?“Haze”だよ!」
「‥“Haze”?」
「うん!H-a-z-eで、“Haze”」
「‥‥、『Purple Haze』の“Haze”?」
「そう!流石、よく解ったね!」
「由来も『Purple Haze』から来てんの?」
「そんなとこかな。あっちゃん‥‥ああ、もう一人のギターがさ、ジミヘン大好きで」
「渋いな、それ」
「でしょ?ふふ‥‥。ジミヘンてさ、薬やってたんじゃないかって云われてるじゃん。俺らも“薬がキマるみたいに滅茶苦茶楽しいバンドやろうぜ”って意味みたい。まぁ、完全に後付けだと思うけど。ジミヘンに肖りたかったのと、英語で短い単語っていうのが一番の理由かな。薬なんてやったことないし、どんだけ楽しくなれんのかわかんないけどさぁ‥‥」
「‥‥楽器弾いてたら、変になる時ねぇ?」
「ん?」
「何つーか、気分が昂ってくるっていうか‥‥」
「あ、なんかわかる。楽し過ぎて変な気持ちになってくる!ワクワクするっていうか、ザワザワするっていうか‥‥何とも云えない気分になってくる」
「それに似た感覚だとは思うんだけどな。多分もっともっとヤバいもんなんだろうけど」
「そうなのかなぁ。そんな気持ちになれるなら、ちょっとやってみたいかも」
「‥‥帰ってこれなくなるよ」
「それは‥‥困るね。“ダメ、ゼッタイ”だね」
「そうだな。絶対駄目なやつだな」
無口で無愛想で無表情
だけど、親切で優しい“イイ奴”
自他ともに認める子供っぽさ全開のユイとも菱和は対等に接しており、相手にもそれを望んでいる
その事実に嬉しさを感じたユイは、終始ニコニコしながら菱和と話を続けた
***
「あ、あの公園で降ろして」
「自宅まで行かなくて良いのか?」
「うん、大丈夫!」
ユイは自宅の近所にある公園を指した
時刻は0時を少し過ぎていた
菱和は公園の横に車を横付けして停車させる
車を降りると、ユイは頭を下げて菱和に礼を云った
「ほんっっとに有難う!助かりました!」
菱和は少しこくん、と首を傾げ、財布から何か取り出し、ユイに差し出した
「ん」
「ん?」
「取り敢えず5枚あるから、時間あったら誰か誘って観に来いよ」
ユイが受け取ったものは、ライヴのチケットだった
ステージに上がってベースを弾く菱和が見られる───想像しただけで、ゾクリとする
「‥有難う、絶対観に行く!あ、チケット代幾ら?」
「要らねぇ。どうせクソみてぇなライヴだし」
「いやいや、そういうわけにはいかないっしょ!5枚も貰っちゃったし‥‥」
「いいよ。この前ジュースくれたじゃん、ガッコで」
「ジュースくらいじゃ足らないよ‥‥申し訳なさ過ぎる」
ユイは唇を尖らせ、困ったような顔をして唸った
その様子を見た菱和は、少し口角を上げた
「‥‥じゃあさ、俺をバンドに入れてくれたら、それで良いよ」
「───え?」
「‥約束したろ、今のバンドやめたら、お前らのバンド入るって。このタイミングで抜けようって、決めてたんだ。‥‥返事遅くなって悪かった」
ユイは目を瞬かせた
菱和は自分がバンドに加入することとチケット代を相殺するつもりだったのだが、ユイにとって“ベーシストである菱和”はチケット代とは比べ物にならないほどの価値がある
ずっと待ち侘びていた、菱和のベース
あのベースが、自分達の音に加わる
想像しただけで、鳥肌が立つ
「‥‥ほんとに、それで良いの?」
「ん」
「チケット代以上支払いたい気分なんだけど‥‥」
「‥‥、俺にそんな価値あるか?」
「ある!めちゃくちゃある!あー、早くライヴ終わんないかなー!‥‥って、そんなこと云っちゃ失礼か‥」
「別に。実際早く終わって欲しいし」
「そうなの?てか、俺も早く菱和とライヴやりたいなぁ‥‥ふふ」
「‥‥そだ。いちお、連絡先」
菱和はポケットから携帯を取り出した
「‥そういや、番号交換してなかったね!」
「ああ、ガッコじゃ不便なかったから気付かなかった」
ユイは菱和の携帯を受け取り、自分の電話帳に菱和の番号やアドレスを入れた
すかさず電話を掛けると、菱和の携帯が鳴る
ワンコール鳴ったところで電源ボタンを押し、ニコッと笑いながら携帯を翳した
「それ、俺の番号!」
「‥‥ん」
ユイの番号を登録し、菱和は車に乗った
「じゃ、また」
「うん!ほんとにありがと!気をつけてね!」
寝静まった住宅街に、車のエンジン音が響く
ユイは貰ったチケットを握り締め、車が見えなくなるまで菱和を見送った
[0回]
学校祭が終わると、校内は一気に意気消沈する
学生の本分である勉学に励むことは生徒の本来のあるべき姿だが、学校祭の後であっては頗るやる気が起きない
ユイは頬杖をつき、ぼーっとしながら授業を聞いていた
教科は英語
嫌いではないのだが、教師の言葉は右から左へと流れていく
「じゃあ、この文を‥‥‥‥菱和。解きなさい」
教師が菱和を指した
菱和は怠そうに席から立ち、黒板の前まで歩いていった
クラスメイトたちは、一斉に菱和に注目する
チョークの音がカチカチと教室内に響く
スラスラと英文を訳していく菱和
書き終わり、チョークを戻して、怠そうに席につく
「うん。ほぼ完璧だな。少し難しい問題だったけど、良く出来てる」
教師は菱和に感心する
室内の生徒たちは、驚きを隠せなかった
当然、ユイも驚いていた
───菱和って、頭も良かったんだ
益々“不良”からは程遠い菱和の印象が植え付けられた
***
屋上で過ごす、いつもの昼休み
ユイと拓真と菱和は、いつものように談笑に耽る
「菱和って勉強も出来るんだね。知らなかった」
「実はガリ勉タイプ?絶対そうは見えないんだけど」
「‥‥うちでは特に何もしてねぇけど」
「塾も行ってないの?」
「ああ」
「マジかよ‥‥ほんとに何者なの?菱和って」
「‥‥、別にフツーじゃね?」
「フツーじゃないよ!俺先生の云ってること殆どわかんないもん!」
「そりゃーおツムの出来からして違うんですな。ほーんと、たけにいの弟とは思えない」
「うわ。またバカにされた」
「‥‥そういや、夏休みは実家帰んの?」
「いや。ちょっと顔出すくらい」
「あ、もしかして短期バイトとかするの?」
「‥まぁ、そんなとこ」
「そっかー。一緒に海とか行きたかったなー」
「俺も、またセッションでもしたかったな」
「それも良いね!菱和、また今度一緒にやってくれる?」
「ああ」
「やった!じゃあ、これも約束だね!」
「ん?これ“も”?セッション以外にもなんかあんの?」
「え?‥‥まだ拓真には内緒!ね!」
ユイは菱和を見て、同意を促した
菱和はそれに答えるように、拓真の顔をちらりと見て何度か小さく頷いた
「え、何それ‥‥なんか怪しいー‥‥」
菱和が加入を快諾した件を、拓真はまだ知らない
ユイは、菱和が現在のバンドから正式に脱退してから改めて拓真とアタルに話すつもりでいた
「おーいたいた。3人お揃いでちょうど良かった」
上田が屋上に入ってきた
軽く手を上げて、3人に歩み寄る
「上田。どしたの?」
「良かったら行かねぇ?」
上田はライヴのチケットを差し出してきた
「夏休み中なんだけど、俺の知り合いが出るんだ。チケット代は要らないとさ。俺行けないから、誰か行かねぇかと思って」
「おお!ラッキー!行く行くー!」
「あー、俺この日駄目だ。バイト」
「あっそぉ。菱和は?」
「俺も行けねぇ。悪い」
「何だそっかー、残念だな。じゃあユイ、俺らの分まで満喫してきてよ」
「うん!有難う!一人で知らないとこ行くの楽しみー!」
ユイは上田からライヴのチケットを貰った
浮き足立つユイを他所に、菱和はもうすぐ始まる楽しい筈の夏休みを、到底“楽しみ”だとは思えなかった
***
「はー‥‥どーしよ‥‥」
夏休みに入ってから一週間ほど経ったとある日
ユイが上田から貰ったチケットの日付と同じ日
楽しみにしていたライヴ
一人で知らない土地へ行くワクワク感
それはこの当日、見事に打ち砕かれた
ライヴハウスの場所を事前に調べ、ライヴの時間に間に合うように電車の時刻を逆算して調べた
2回ほど電車を乗り継ぎ、目的のライヴハウスを目指して歩いていた
ところが、ユイは迷子になった
目的地はユイたちの住む街と比べると住宅街よりも田圃の方が多いような田舎街で、特に目印になりそうなものも無く、更には土地勘も全く無い
漸くライヴハウスを見付けたときには、既にライヴは終わっていた
入り口のシャッターは閉められており、辺りは閑散としていた
時刻は間もなく23時
仕方なく帰ろうとしたユイ
だが、財布の中は電車賃程度しかない
最終バスが21時くらいで終わるような片田舎では、終電も既に出てしまっている
タクシーに乗るお金もない
そして、歩いて帰るには遠過ぎる
───俺、何の為にここに来たんだろ‥‥
ユイは閉められたライヴハウスのシャッターを恨めしそうに眺めて、その場にしゃがみこんだ
ふと空を見上げると、星が沢山見える
自分の住む街以上にネオンの少ないこの場所では、空は大きく、星は一層光って見えた
今のユイには、それすらも恨めしかった
「───石川」
ユイは、名前を呼ばれてはっとした
声のする方を見ると、菱和がいた
何故こんなところにいるのか、全く想像がつかなかった
だが、知らない土地で知っている人間に出会えたことは、ただただ心強かった
「‥‥菱和!‥まさかこんなとこで会うなんて!」
「そりゃこっちの台詞だよ。何してんの、こんなとこで」
「あー‥‥うん。夏休み前に上田に貰ったチケット、ライヴ観に来たんだけど、道に迷っちゃって‥‥折角ここ見付けたと思ったら、もうライヴ終わってて‥」
「‥‥で?」
「終電ももう行っちゃったし、タクシーで帰るお金も無いから‥‥途方にくれてたとこ」
またしても、菱和に恥ずかしいところを見られてしまったユイは照れ笑いをした
「菱和は?何してるの?こんなとこで」
「‥‥お使いの帰り」
「お使い?」
「母親の知り合いがこの辺住んでて『荷物持ってけ』って頼まれたんだけど、そこで『飯食ってけ』って云われて、だらだらしてたら遅くなっちまって‥‥」
「そっかぁ。‥‥なんか、すげぇ偶然だね!俺が道に迷って、菱和が知り合いんとこで飯食ってなかったら会えてなかったもんね!」
「まぁ、そうなるな‥‥で、どうすんの?これから」
「うーん‥‥どうしようかなぁ‥‥って、どうしようもないんだけど」
「‥‥送ってってやるよ。足あるから」
「え?‥‥でもわざわざ悪いし、大丈夫だよ。始発待ってるから」
「始発って‥あと何時間あると思ってんだよ。‥‥ついて来な」
菱和はユイの腕を掴み、立ち上がらせた
[0回]
「ユイが“食われる”かもしんない」
「──────は?何に?」
「‥‥‥‥菱和」
「‥‥、何云ってんの?全然話が見えないんだけど?」
「あいつ、危ない」
「ははっ、何だそれ!ぜーんぜん危なくないって!菱和はマジで不良じゃないよ。てか菱和がほんとの不良だったら、俺らもうこの世に居ないと思うんだけど?俺ら生きてるし、殴られたりカツアゲされたこともないし‥‥」
「そういう意味じゃ、なくて」
「え?‥‥じゃあどういう意味?」
「‥‥‥‥」
「‥そんな心配すんなって!あのユイでさえまともに菱和と付き合えてんだよ?大丈夫だよ」
「‥‥それがいちばん、危ないの」
「え?ん、んんー‥‥そうなの?」
「‥‥もしあいつが“ゲイ”か“バイ”だったら、どうする?」
「菱和が“ゲイ”!?‥‥‥‥それで『食われる』とか云ったの?」
「‥‥可能性がゼロな訳じゃないでしょ」
「まぁ、そうかもしんないけど‥‥‥‥でもそういうのは人それぞれだし、別に良いんじゃないの?」
「‥‥とにかく、ちゃんと目光らしといて。あいつがユイに何かしたらすぐ教えて」
「え?うん‥‥取り敢えず‥わかった」
***
学校祭の一日目が終わろうとしている
ユイは、一人で屋上に居た
ステージは勿論楽しかった
だが、それを凌ぐ複雑な思いが、頭の中に渦巻いていた
保健室での菱和との一件
上田から教わった“余計な知識”───
ユイは柵に肘を付いて寄りかかった
夕方の涼しい風が、ユイの髪を揺らす
───菱和はもう帰ったのかな
屋上からでも、賑やかな校内の雰囲気が伝わってくる
同じ学校内である筈なのだが、何故か屋上だけが切り取られたように感じられる
普段拓真や上田と下らない話をしているその場所が、今だけはいつもと少しだけ違う遠い場所になっている気がした
普段は気付いていなかっただけで、今一人でいることで余計にそう思えているのかもしれない
一人で居れば、どんな場所であっても淋しい
───菱和はずっと、一人でここに居たんだよな。いつも、一人で
自分達が屋上に出入りする以前の菱和の孤独感を思うと、ユイは少しだけ胸の辺りがきゅっとなった
屋上のドアが開き、誰かが入ってきた
ユイの目に映るのは、怠そうな長身の男───
──────げ
『ステージを観たら帰るつもり』
その言葉通り、てっきり既に帰宅しているものだと思っていたユイは、ちょうど菱和のことを考えていたこともあってかその姿に少し狼狽えた
菱和はゆっくりと歩いてきて、ユイに倣い柵に寄りかかる
気まずさを拭えないユイは、何時ものように菱和に話しかけることも目を合わすことも出来なかった
菱和もまた、黙ったままだった
ただ、菱和のそれは気まずさから来るものではなく、“いつものこと”に過ぎなかった
二人の間を、風が吹き抜ける
先に沈黙を破ったのは、菱和だった
「───良かったよ」
「え!!?よ‥‥な、何が!?」
「‥‥ステージ。最初から観てた」
「あ、ほ、ほんと?」
「ん。結構盛り上がってたじゃん。曲もちゃんとまとまってたし」
「そっ‥‥か」
多少粗削りな部分はあったが、それなりに楽器を触り慣れている3人の演奏は人前で披露するのには全く遜色の無い出来だった
楽器経験者の菱和から直に感想を貰えたことを、素直に嬉しく思った
「‥‥終わり際は、動揺してる風に見えたけど」
意地悪そうにそう云って、菱和は柵を背にその場へしゃがみこんだ
束の間の安堵の後の、苦い顔
自分の失態への恥ずかしさが募り、次第にそれだけがユイの脳内を埋め尽くしていく
───見られてたのか‥‥恥ずかし過ぎる‥‥‥
やはりユイは、菱和と目を合わせられなかった
図星を突かれ、口を尖らす
菱和は突然ユイの腕を掴み、下に引っ張った
「───ぅわっ!!!」
すとんと視界が落ちる
尻餅をついたユイは驚く他なかった
「‥‥なっ‥何‥‥‥」
「‥やっぱ“それ”の所為?」
菱和は、ユイの首筋に目をやった
「あ‥‥‥‥いや‥‥うん‥‥」
───あいつが貼ってやったのかな、多分
何となくだが、絆創膏を貼ったのがリサだという見当が付いた
そして、リサの言葉を思い出す
『絶対、普通じゃない』
「‥‥そうだよな。“普通”じゃねぇよな」
「え‥‥‥‥あ、いや、確かにびっくりはしたけど‥‥」
「‥‥悪かった。別に深い意味はねぇから。あんま気にすんな」
「ん‥‥うん‥」
謝罪を受けたものの、返答に困る
ただ、今回のは『特に意味のない場合』のキスマークなのだと半ば無理矢理納得した
尻餅をついた状態のままだったユイは気を取り直すことにし、膝を抱えて座った
「‥‥ほんと、楽しそうに弾くのな」
「そう?まぁ楽しいから、ね」
「‥そっか」
菱和は空を仰いだ
鬱蒼とした前髪が風に揺れ、切れ長の垂れ目が見え隠れする
菱和の横顔を見上げ、ユイは尋ねた
「───菱和は、」
「‥うん?」
「楽しくない?楽器弾いてて」
「‥‥、今はあんまり。‥‥‥俺が今まで楽器弾いててマジで楽しいと思えたのは、初めて自分の楽器持って弾いたときと、この前お前らとセッションしたときだけ」
薄ら笑いを浮かべながら、菱和は本音を呟いた
「‥お前らとバンド出来たら、多分俺も楽しいんだろうなぁ」
「───やろうよ、一緒に。楽しいよ、きっと!」
いつものように、ユイがにこりと笑う
「‥‥まだ、ベース候補は俺のまま?」
「勿論!ってか、菱和以外考えらんない」
催促するでも諦めるでもなく、ユイは菱和の返事を待ち続けている
一緒にスタジオに入り、ライヴを演るその瞬間を待ち侘びている
きっと、菱和とバンドが出来たら今まで以上に楽しくなる───確実に、そう思える
「‥‥でもただそれだけじゃなくて、菱和ともっと沢山話したいし、もっと色んな顔見てみたい───」
そう云いながら菱和の方を向くユイ
菱和はユイを真っ直ぐ見つめていた
長く伸びた前髪から覗く、すっかり見慣れた無表情
黒く鋭く、そして穏やかに、自分を見つめる菱和の目
いつもとは少し違った印象を得、ユイは菱和から目を離せなくなった
保健室で見せたそれのように口はだらしなくぽかんと開いていて、とても間抜けな顔を菱和に見られているんだろう
ゆるゆるとそれを自覚したユイはゆっくりと菱和から顔を逸らしながら、残りの言葉を発した
「───なぁ、って‥思って、る‥‥よ」
「‥‥そっか」
菱和の色々な表情を見る前に、自分は間抜けな顔を何度か晒してしまった
自分が色々な菱和を見たいと思うように、自分も色々な面を見せていくことになるだろう
例えそれが忸怩たるものであったとしても、菱和とバンドをやりたい気持ちは変わらない
「‥‥今のバンド抜けるの、やっぱ無理?」
「───無理じゃなくす」
「え?」
「絶対抜ける」
誘われてから4ヶ月余り
当初から、誘いを前向きに考えていた
全く興味のなかった一クラスメイト
いきなり話しかけてきたかと思えば、矢鱈と絡んでくる忙しくて騒がしい奴だった
接する時間が増えていく中で、菱和には次々と新しい感情が生まれていった
学校で一緒に過ごす人間がいること
他愛ない会話を交わす人間がいること
誰かと楽器を演奏すること
それらが“楽しい”と思ったのは、この騒がしい奴のお陰だ
この4ヶ月で他人と関わり得た全てのもの、それを齎した目の前にいる訳のわからないクラスメイトは、いつからか“友達”になっていた
未知のものに捕らえられ、何とも不思議な感覚に襲われる
それは決して嫌なものではなく、寧ろ、毎日を退屈に過ごしていた菱和がいちばん欲していたものなのかもしれない
退屈な日々から抜け出すチャンスをくれた友達
その機会を逃す理由はなく、この“友達”となら、きっと退屈だと感じる暇すら無くなるだろう
「抜けたら、うちのバンド来てくれる?」
ユイは菱和の顔を覗き込んで尋ねた
「───ああ。約束する」
「‥うん、約束ね!」
結論から云うと、菱和はユイたちのバンドに加入すると約束した
バンドに誘ったことを覚えていてくれ、たった今明確に加入を約束してくれた菱和の言葉に、にこにこと笑い掛けた
ユイの笑顔につられて自分も笑いそうになった菱和はほんの少しだけ口角を上げて、軽く溜め息を吐いた
加入前に片付けなければならない問題がある
もうすぐ夏休みが始まる
待たせ過ぎてしまっていることは自覚している
だが、どうしてもやらなければならないことがある
それを片付けるなら、夏休みだ
───七面倒臭せぇ
その問題が夏休みごと消滅してしまわないかと、強く願った
[1回]
ピカピカ、チカチカ
カラフルなライトが照らす下
響くタイコと黒い箱
長年連れ添った、向日葵みたいな色をした相棒
遠慮なく、思い切りやらせて貰うよ
掻き鳴らす度に、身体に馴染む音
やっぱり楽しいね
“お前”も、そう思うよね?
これは最高に気持ち良い瞬間なんだ
一度味わったら、絶対抜け出せない
踊るよ
跳ねるよ
まだまだ、まだまだ
一緒に行こう、もっともっと、その“先”へ───
***
興味本位、暇潰し、上田の追っかけ、ただ騒ぎたいだけの奴
様々な目的を抱く生徒達を目の前に、ユイたちは全力で楽しんで演奏をした
ユイと拓真がバンドを組んでいることを知っているクラスメイトはほぼ観に来ており、実際に演奏しているところを観られる数少ないこの機会に、2人が演奏している姿と実力を知り感心していた
ポピュラーな楽曲だったこともあり、ステージは大いに盛り上がった
決して練習時間を多く取れたわけではないのだが、気心の知れた仲間とやる演奏は楽しいことこの上なく、特に大きなミスやズレもなく最後までしっかりと演奏が出来ていた
難易度の低い選曲だったことも幸いし、上田のベースも特に問題なかった
唯一の“ミス”といえば、演奏前にユイのギターの弦が切れたことだった
演奏が終わり、声援に応えながらステージを降りようとしたその時、体育館の入り口辺りに突っ立っている人物が目に入る
ステージ以外の照明が落とされているにも拘わらず、暗がりに立つそれが誰なのか、遠目でもすぐにわかった
───菱和、だ
菱和は壁に寄りかかり、いつものように怠そうに突っ立っていた
いつからそこにいたのか、自分達の演奏を聴いていたかどうかもわからない
今、菱和と目があっているように感じる
保健室での一件が思い起こされる
途端にユイは赤面し、急にギクシャクし出した
そして、ステージを降りる直前で躓きそうになった
「───ぅおっっっ!!?」
ユイの落ち着きの無さを知っている観客は、躓いたのもその所為だと思い『いつものことか』『ギター弾いてる時はカッコイイのに』『やっぱりどこか抜けてる』と野次を飛ばしつつ笑っていた
菱和はユイの様子を見て少し口角を上げ、体育館から出て行った
***
控え室に戻ったユイは、一先ず心を落ち着かせた
自分でも驚くほど、動揺しているのがわかる
数回深呼吸をし、平静を取り戻そうとした
控え室の入り口から、リサがひょこ、と顔を出した
拓真はいち早くリサに気付く
「おーリサ。聴いてた?てか頭痛もう大丈夫なの?」
リサは返事をせず、拓真を見つめている
手招きをし、拓真を呼んだ
「‥‥ちょっと来て」
「ん?何?」
「大事な話。急ぎで」
「お?何よ何よ?」
「あら、たっくんなんか悪いことしたんじゃないの~?」
上田は拓真を茶化した
「何もしてねぇし!てか、まだ片付け終わってないんだけど‥‥」
「片付けならユイと二人でやっとくよ。幾ら幼馴染みでも、近藤サンみたいな可愛いコ待たせるなんて罪深いぜ。早く行ってあげて」
上田は冗談交じりにそう云ったが、リサは若干目を細めた
「そう?んじゃ頼むわ」
拓真はリサに連れられ、体育館から出て行った
ユイと上田は片付けを終え、楽器を持って体育館を出た
並んで歩きながら、控え室に指定されている教室へ向かった
「大事な話って、何だろ」
「さーな。やっぱ拓真なんかやらかしたんじゃないの?」
教室には、誰も居なかった
時刻は正午を過ぎたが、まだまだ校内の活気は衰えず、生徒達はそれぞれ出払っている
ギターとベースを置いた二人は、教室で少しだらだらすることにした
先程のステージの反省点、来年もやるとすればどんな曲がやりたいか、本当に他愛のない話を続けた
「あ、そだ。ねね、上田。さっきの、教えてよ」
ユイは、口煩い拓真が居ないのをいいことに、嬉々として上田に尋ねた
「さっき?‥‥あぁ、キスマークのこと?」
「うん!それ!」
「いやー、教えても良いけどたっくんにお尻ペンペンされちゃうからなー‥‥」
上田はわざとらしくもったいぶった
「えー?教えてくんないのー?」
「‥‥てかさ、お前ほんとに知らないの?言葉も意味も?どういうものなのかも?」
「うん、知らない。初めて聞いた」
「マジかよ‥‥逆にすげぇわ。お前のこと少しだけ尊敬する」
「またそうやって!みんな俺のこと子供扱いし過ぎなんだってば!何で俺だけ!」
「いやいや、そんだけみんなお前のこと心配してるってことっしょ?」
「それは‥‥嬉しい、けど‥仲間外れみたいで、なんかやだ」
上田は、にらにらしているユイが単純に可愛く見えた
ユイの動きや反応が小動物のそれに酷似していると常々思っており、今見せている姿もハムスターか何かに見えた
拓真にほんの僅かな罪悪感を抱きつつ、上田は話し始めた
「‥‥キスマークっつーのは、“恋人同士が付ける印”みたいなもん、かな」
そう云って腕捲りをし自らの腕に吸い付き、わざと内出血を作ってユイに見せた
「ほれ。これがキスマーク。実際はただの内出血だから、こうやって自分でも簡単に付けられる。‥‥まぁ、首は誰かにやって貰わないと無理だけどな」
「‥‥‥‥へぇ。‥で、何で俺はまだ知らなくて良いことなの?」
「はっきし云って、キスマーク付いてんのって結構恥ずかしいことなのね。『夕べはお楽しみでしたね~』みたいな。だから、絆創膏で隠す女が多いんだよ。‥‥でね、お前のそれ、どうしてもキスマーク隠す為に絆創膏付けてるようにしか見えんかったの」
「‥‥でも俺、そんなことされた覚え無いんだけど?」
「ふふ、わかってるよ。そう見えたってだけ。どうせ傷の上から擦ったか掻いたかしたんだろ?」
上田は呆れた顔をした
多少触ったりはしたが、ユイには傷を擦ったり掻いた記憶は無かった
唯一思い出せることは、菱和に傷を舐められて、噛まれたこと───
───“噛まれた”?
あのとき、噛まれたのだとばかり思っていた
よくよく思い返してみると、噛まれたというよりは“吸われた”ような気がしないでもない
事実、菱和はユイの首筋にキスマークを付け、リサはその上から絆創膏を貼った
上田がユイの首に貼られた絆創膏に対して抱いた印象───首筋のキスマークを隠す為に貼ったものであるという解釈は、強ち間違いでは無いということになる
ユイが神妙な面持ちでいることに気付き、上田はその顔を覗き込んだ
「? どうしたん?」
「‥‥‥‥なんでも、ない」
ユイは、何故菱和があんなことをしたのかを考えていた
『恋人同士が付ける印』
上田の話を聞く限り、“それ”今の自分と菱和の関係性において刻まれる可能性はほぼ皆無に等しいと思った
菱和はクラスメイト、友達の筈だ
なのに、恋人同士がするであろう行為を、何故自分に───?
「‥‥ね、キスマークって、友達に付けたり‥‥‥しないよね?」
ユイの素直な疑問に、上田は噴き出した
「お前、何云ってんの?そんなのあるわけないじゃん!拓真とか俺に、“こんなこと”したいと思う?」
上田は先程自分の腕に付けて見せたキスマークの痕をユイの目の前に翳した
心なしか、さっきよりも色が濃くなっているように見えた
ユイはゆっくりと首を横に振った
「だろ?‥‥もし友達にそんなことする奴が居るとしたら、多分そいつは友達以上の特別な感情を持ってるってことになるんじゃない?」
「特別な感情、って?」
「キスマーク付けるってのは、独占欲の現れだから。『こいつは俺のもの』っていう印」
“独占欲の現れ”
“自分のものであるという印”
いずれも、ユイにはピンとこなかった
少なくともユイ自身は、自分に対する菱和の“特別な感情”は微塵も感じたことが無い
剰え、ユイは自分の鈍さに対する自覚がほぼ無いようなものだ
こと恋愛に関しては、拓真もリサも『こいつは将来無事にお嫁さんを貰えるんだろうか』と本気で心配するほどに疎い
上田の話を聞けば聞くほど整理がつかなくなる
自分と菱和は友達
でも友達にキスマークをつけることは普通のことじゃないらしい
なら、どうして?
それに、どういう意味が‥‥?
ただ只管に、そのことだけが頭の中を駆け巡っていた
───このままずっと考えていたら、知恵熱出そう
「‥‥あ、てか俺がここまで話したの、拓真には内緒な。お尻ペンペンどころかタイキックでも喰らいそうだわ」
「‥‥うん。云わない。教えてくれて有難う。‥‥‥‥てか上田、そういう話詳しいね」
「まぁな。自分で云うのも何だけど、俺結構モテるから」
全く嫌味なく、さらりとそう云った上田
ユイは、万が一自分が恋に落ちたり、まかり間違って自分に彼女が出来た時は上田に相談しようかと考えていた
[0回]
とある男子トイレで、ユイは鏡で自分の首筋を見ていた
ギターの弦で傷付いた赤い線の周りは内出血しており、痛々しくなっている
必死で鏡を覗き込み、焦った
「何だよこれ‥‥なんか赤くなってるし‥!」
「───触んない方が良いよ」
声がし、振り返ると、リサが突っ立っていた
「リサ。‥‥ここ、男子便だぞ?」
「知ってる。誰も居ないんだからそんなことどうだって良いし。ほら、これ。貼れば目立たないと思うから」
リサはポケットから絆創膏を取り出し、ユイに手渡した
「おお、サンキュ!‥‥てか、貼ってくんない?上手く貼れる自信ないや」
「‥‥はいはい」
リサはフィルムを剥がし、ユイの首筋に絆創膏を当てようとした
ふいに、その手が止まる
リサが見たそれは、明らかにキスマークだった
───あいつ、『舐めた』どころの話じゃないんじゃん!平然と嘘吐きやがったな‥‥次会ったら覚えてろよ
先程の菱和の不適な笑みが頭を過り、苛立ちが募る
今すぐあの顔面にパンチしてやりたいという衝動に駆られた
「リサ、まだー?」
ユイの声で、リサは我に返った
「‥ああごめん、今貼る。‥‥ちょっとはみ出るけど、これで何とかなるんじゃない。血はもう止まってるみたいだし」
「うん‥‥でもなんかちくちくするなー‥」
「自業自得だね。どうせ弦替えてなかったんでしょ?」
「さーすがリサ、良くわかったね!練習する時間考えたら、弦替える時間惜しくてさ」
「そ。‥‥もうそろそろ時間じゃない?」
「あ、ほんと!アリガト、助かった!ステージ観ててなー!」
リサはバタバタと走っていくユイを見送った
遠くに聴こえる声たち
まだまだ、学校祭は賑わっている
そういえばあいつ、どうしたかな
あいつもユイのステージ観に行くんだろうか
会いたくない、でも保健室に戻るのも嫌だ
取り敢えずカナを捜そうか───
リサはポケットから携帯を取り出した
カナにメールで連絡をしてみる
送信ボタンを押して携帯を仕舞うと、すっと廊下の窓を開けた
キスマーク
ただ、“あの男”がそんなものを付けてくるなんて到底予想外だ
友達という関係である筈なのに、そこまでする意味が全くわからない
それに、男が男にする行為としては不自然過ぎる
まさか、あいつは男が好きなの?それとも両刀使いってやつ?
ってか、そんなこと考えたくもないけど、ほんとにわけわかんない
ほんとに、深い意味がないとでも───?
「‥‥‥‥‥‥」
リサは、菱和がユイにキスマークを付けた真意を探るのを止めた
纏わり付く菱和の顔を、一刻も早く記憶から消し去りたかった
ユイは、恥ずかしいとか困ったとかそういうことではなく、単純に赤くなった首筋を気にしているだけだった
ユイが鈍感なのは、既にわかりきっていることだ
───キスマークの意味もわかってないんだから
朝とは別な意味で、頭が痛くなった
***
「───やっべ!」
体育館に入ると、既にステージが始まっていた
ステージ上では、カラフルな照明に照らされた5人の生徒がダブルダッチをしている
その生徒たちが何番目なのかはわからないが、もしかしたら自分たちの出番は次かも知れない
最悪の場合、終わってしまっているかも知れない
そう思い急いで体育館倉庫に行くと、順番を待つ生徒たちの中に拓真と上田の姿があった
ユイはほっとして二人に駆け寄った
「ユイー!ギリギリセーフだったな!」
「やーっと戻ってきたよ。何してたんだよ」
「ごめん!保健の先生居なくて、リサにこれ貼ってもらってた」
「あーそう。んとに‥‥危うくヴォーカルとギターがない地味な演奏するとこだったよ」
胸を撫で下ろす拓真の横で、上田はニヤニヤした
「別に俺はそれでも構わんかったけどねー。‥‥‥‥てかさ、それキスマークみたいじゃね?」
上田には、ユイの首筋に貼られた絆創膏が年頃の女子がキスマークを隠すのによく使う常套手段のように思えた
「え?何マーク?」
「いっちー、ユイに余計なこと教えないでねー」
拓真はスティックをくるくる回しながらユイと上田の間に然り気無く割って入った
“いっちー”は、上田の下の名前である“樹(いつき)”からくるあだ名
「余計なことって?」
ユイは拓真の横からひょこっと顔を覗かせ、上田に聞いた
拓真は更にそれを遮る
「お前はまだ知らなくて良いの!」
「何だよ!?子供扱いして!上田、何マークって云ったの?」
「キ・ス・マ・ー・ク!」
上田はにっこりと笑いながら、ゆっくりと云った
「上田くん?今俺が云ったこと聞こえてなかった?」
拓真は微笑みながら上田を睨んだ
「うわ、たっくんこえぇ。ユイ、あとでたっくんが居ないとこでゆーっくり教えてやるよ」
「駄目だっつーの!ずっと見張っててやっかんな!」
「やーだぁ、ひょっとしてたっくん俺のストーカーになりたいの?」
「誰がお前をストーキングするかっての。仮に俺が女だったとしてもこっちから願い下げだね」
「んなこと云って、俺のこと大好きでしょー?」
「離せ!鬱陶しいぃ!」
上田はふざけて拓真に絡んだ
ユイの場合は単なる怪我でやむを得ないことなのだが、拓真も上田と同様、場所が場所なだけに『首に貼られた絆創膏はキスマークを隠す為のもの』ということが真っ先に思い浮かんだ
敢えてそれを口にしなかったのは、リサと同じくらいユイの鈍感さと恋愛経験やそれに付随する知識の疎さを知っているからだ
自らの願望も含めて、純朴少年そのもののユイに余計な知識を植え付けて欲しくはないと思っていた
ユイは『キスマーク』と聞いてもいまいちピンときていない様子だった
じゃれ合う拓真と上田を見て首を傾げ、唇を尖らせ、釈然としないままステージに上がることになった
ステージ前には、観客もとい生徒が沢山居た
上田は女子生徒にそれなりの人気があり、黄色い声援に手を振って応えている
それぞれ楽器とアンプを繋ぎ、拓真は椅子やスネアの調節をする
「えーと。これからやる曲は、多分みんなも一度は耳にしたことがあるようなやつです!良かったら一緒に歌ってねー!」
上田がMCを入れると、女子生徒たちの悲鳴に似た歓声が飛ぶ
ユイと上田は揃って拓真に目配せをした
それを確認した拓真は、カウントを始める
観客に見守られながら
3つの音が、動き出す
[0回]
ユイが去った保健室は、しんと静まり返っている
保健室にはベッドが3つあり、それぞれカーテンで仕切られている
菱和はいちばん自分に近い位置にある左端のベッドに腰掛けた後、天井を仰いだ
首筋の赤い線
仄かに口に残る血液の味
そして、あの顔───
別に本気であの傷をどうにかしようとした訳じゃない
あいつを困らせるつもりもなかった
『唾をつけとけば治る』
あいつがそう云ったから、ただそれだけのことだ
───でもちょっと、やり過ぎた‥‥かな
慌てふためくユイの顔を思い出し、菱和は呑気にそう思った
突然、カーテンの開く音がした
振り返ると、右側のベッドを仕切っているカーテンから仏頂面のリサが顔を覗かせていた
***
賑やかな校内の雰囲気とは程遠い、重くのし掛かる頭痛
数日前から続いていた頭痛は学校祭当日にも止まず、リサは朝から保健室のベッドに横になっていた
自宅で服用した薬が効いているのか朝よりは幾分マシになっていたが、元々冷めたところのあるリサは特別学校祭を楽しもうとは思わず、いっそのことサボるつもりでいた
枕元に置いてあった携帯に目をやると、間もなく正午になろうという時間だった
『頭痛いのなおった?明日、昼くらいからバンドやるから来れたら見にきてな!』
昨日届いたユイからメールには、そう書かれていた
───もうそんな時間か。ユイのステージくらいは観に行こう‥‥
そう思い布団から出ようとすると、保健室のドアが開く音が聴こえた
誰か入ってくる
リサは何となく気まずく思い、息を殺して保健室への来訪者が去るのを待った
そして、あのやり取りがあった
『“唾付けときゃ治る”んだろ?』
実際に見たわけではない
ただ、ユイが菱和に何かされたということだけは確かだ
その一部始終をカーテン越しに聞いていたリサは、さっさとベッドから起き上がらずやり過ごそうとしたことを激しく後悔しながら、未だ保健室にいる菱和と対峙することにした
***
「───何してたの、今」
カーテンの裏から現れたリサに声を掛けられた菱和は若干驚くも、先程のことなどまるでなかったかのように素っ気なく云った
「‥何だ、居たのか。いつから居た?」
「朝からずっと。てか具合悪い人間が寝てることくらい想像つかない?ここ、保健室なんだけど」
「そりゃ大変悪うございました。全然人の気配しねぇし、気付かなかったわ」
全く悪びれた様子を見せず謝罪を述べる菱和
その態度に、リサは苛つきながら低い声で云った
「───ユイに何したの」
「‥‥何が?」
「何したのかって聞いてんの」
「‥‥‥‥血ぃ出てたから、舐めてやっただけ」
「どこを?」
菱和は、ゆっくりと自分の首筋を指差した
正確には、『傷口を舐め、更にキスマークを付けた』のだが、そこまでは云わなかった
それでもリサは、ユイがされたことに驚愕し、憮然とした面持ちで菱和に云った
「マジあり得ない。何でそんなことすんの?」
「あいつが云ったんだ、『唾つけとけば治る』って。そこで聞いてたろ?」
「だからって、ほんとにそんなことする奴居る?」
「居るだろ、‥‥目の前に」
リサの眉間に、皺が寄る
「‥‥、そんなの、絶対普通じゃない」
「‥‥“フツウ”?何だそれ?」
「もし普通だと思ってんなら、あんたがズレてんだよ」
「ふぅん‥‥そっか、そういうもんか。覚えとくわ、一応」
───何なのこいつ、ムカつく
リサは、菱和の淡々とした返事が返ってくる度に苛ついていった
ユイが不良と噂されているクラスメイトとつるむことによって、喧嘩に巻き込まれたり煙草を覚えてしまったり等、そういう危険がある可能性をずっと危惧していたが、どうやらそれは見当違いだったと悟った
何よりもいちばん危険なのは、“こいつ自身”だ、と
「とにかく、ユイに変なことしないでくれる?」
「‥‥何それ」
「ほんとはユイがあんたと一緒にいること自体嫌なんだけど、あいつはそれを望んでない。だったらせめて、変なことだけはしないで」
───傷舐めたくらいでそんなにご立腹かよ
「お前、あいつの彼女か何か?」
菱和は唐突にリサに問う
「‥‥は?」
「妙にあいつのこと心配してるみてぇだし、そういう関係なのかなと思って」
「全然、違う」
「じゃあ、好きなんだ?あいつのこと」
「別に‥‥そんなんじゃない」
「‥‥ふぅん」
彼女でもなければ特別な感情を寄せているわけでもない
菱和の頭の中に、ユイは空気の読めない所謂“困ったちゃん”で、リサはそれに世話を焼く母親若しくは姉、という構図が浮かび上がった
途端、菱和はく、と笑った
「───お前、保護者みてぇだな」
「───‥ほご、しゃ‥‥!!?」
リサは、菱和の言葉に顔を歪ませた
「なんか、口煩い姑みてぇ」
「‥あんた‥‥」
意地悪そうにくつくつと笑う菱和に、リサは沸々と怒りが込み上げてきた
『こいつは完全に自分をおちょくっている』
そう思うと、より一層苛立ちが募る
菱和は笑みを浮かべたまま、軽く息を吐いた
「‥‥さっきのはただの悪ふざけだ。特別深い意味はねぇ」
「───だから、それを止めろって云ってんの!!」
「関係ねぇじゃん、保護者でも恋人でもないお前には」
激昂するリサに対して、さらりと正論を述べる菱和
リサは反論したかったが、言葉が見つからず俯いた
そう、自分はただの幼馴染み、“友人A”だ
ただの友人Aに、ユイと菱和がどうしようと口出しする権限はない
そんなのわかってる
でも───
「‥‥あんたにとってユイはただのクラスメイトかもしんないけど、私にとっては大事な幼馴染みなの。ユイはあんたのこと、ほんとに友達だと思ってる。あんたと仲良くなれて、ほんとに嬉しいみたいだから‥‥‥」
こんなこと、誰かに云うまでもない話だと思ってた
だけど、少し事情が変わった
ただの友人Aで結構
バカみたいって嘲笑われても良い
大袈裟かもしれないけど、あいつを守る為なら形振りなんて構わない
小さいときから見てきたあいつの“危うさ”を、私は知ってる
ユイがずっと、今のままでいられるように
願っているのは、それだけだ
「‥だから、わざと変なことしたり困らせたりしないで」
リサは真っ直ぐ菱和を見つめた
強い意思と言葉と、いつか見た自分を捉える鳶色の瞳
教室で感じたリサの視線を思い出す
屈託のない笑顔と、クールな瞳
相容れることが困難であると思わせ、期待を裏切る二人の関係性
そっか
例え俺があいつを友達だと思ってなかったとしても、“あいつの中では”多分俺は既に友達なんだろう
友達にキスマーク付けるなんざ、確かに正気の沙汰じゃない
しかも、野郎同士でやることじゃない
良いとこも悪いとこも全部見てきたような大事なダチが、同じクラスになって4ヶ月そこらの訳わかんねぇ不良じみた奴にキスマーク付けられたんだ
そりゃ、怒るわ
「───それは俺も同じなんだけどな」
菱和はふ、と笑い、ぽつりと呟いた
「‥‥‥‥は?」
「お前があいつのこと想ってんのと同じだ、ってこと。‥‥ベクトルは少し違うかもしんねぇけど」
───何を、云ってるの‥‥?
菱和の発言は、全く要領を得なかった
同じ?こいつと?
‥‥何が?
冗談じゃない、一緒にするな───
リサは菱和を睨みつけた
「───私の名前、“お前”じゃないんだけど」
菱和は首を軽く傾げ、リサを見上げる
「‥‥‥‥知ってるよ、“リサ”だろ」
「気安く呼ぶな」
吐き捨てるようにそう云い、リサは保健室から出ていった
保健室は再び静まり返る
「‥‥何なんだよ‥‥‥‥」
友達‥‥トモダチ、か
自分がそんな風に思われる日が来るなんて考えもしなかった
学校なんてやっぱりつまんねぇ場所だ
狭い箱に長時間拘束されて、教師が偉そうに教科書に書いてあることばかり述べやがる
学校祭だって別に面白くも何ともない
ただ少し羽目を外せる良い機会ってだけだ
でも多分、そこに何か一つ加われば、きっと楽しく感じられるんだろうな
“友達”が居るなら
菱和がリサに云った『お前と同じ』は、『自分もユイを友達だと思ってる』ということに他ならず、あまり感情を表に出さない菱和の素直な本音だった
菱和は、ユイとリサをからかってしまったことをほんの少しだけ反省し、ベッドに寝転がった
***
『リサも一度話してみりゃわかるよ』
『俺は、菱和の人間性が好きなんだよね』
ユイの言葉が谺する
初めて交わした会話は、最低最悪なものでしかなかった
───あいつの人間性なんて、わかりたくもない
リサはそう思い、絆創膏を取りに教室へ向かった
[0回]
学校祭当日
各教室は、学校祭ではお馴染みのお化け屋敷や喫茶店などに様変わりし、生徒に混ざる保護者や一般客でごった返している
『俺らの出番、昼くらいからだから!遅れないで観に来てね!』
前日、ユイに念を押された菱和は、ステージ発表が始まる正午頃になって漸く登校した
今までの自分からすると、こんな日に登校したことはとてつもない変化のように思える
だが、頭から自分を不良と決め付ける周囲の反応は、何ら変わらない
この学校の生徒が校内彷徨いてて一体何が珍しいっていうんだ
でも、それが当然の反応だっていうのはだいぶ前からわかってることだ
ユイたちと過ごすようになって3ヶ月余り
一人で校内をぶらつくのも、自分を恐れる視線も、思えば久々だった
───あいつが一緒に居たら、また少し違ったんだろうか
初めてまともに学校祭を目の当たりにした菱和は、その雰囲気よりもまずすれ違う人々の視線を鬱陶しく感じ、ステージ発表までの時間を潰す為に行く宛もなく校内を歩いた
***
午後からステージに上がり、バンド演奏をするユイたち
結局、当初の予定通り誰もが一度は耳にしたことのある無難な曲をやることに落ち着いた
体育館のステージでは、照明やPAの準備が進められている
体育館横の倉庫は控え室として使用されており、他にもバンドやコントなどをやる予定の生徒たちの姿があった
ユイはそわそわしながら指慣らしに練習をしていた
上田も、楽器の調整をしている
「噂のテンダーバードじゃないんだ?」
「おう、あまりにもダサ過ぎてやめたわ。普通にユウスケのベース借りてきた」
「てか、今度ユウスケさんにライヴでテンダーバード使ってって云っといてよ」
「やめとけって。あいつマジで真に受けんぞ?」
───菱和、来てるかな。どうせなら一緒にガッコ来れば良かった。連絡してみようかな。連絡、‥‥レンラク‥‥‥‥?
拓真と上田がケラケラと笑う横で、ユイは菱和のことが気になりつつ、ピックを弾く
───そういや、ケータイの番号とかまだ知らないや
菱和のことを考えながら黙々とギターを弾いていたユイ
突然、バチンと金属音が鳴り、ギターの弦が切れた
切れた弦は勢いよく撓り、弧を描いてユイの首筋を掻いた
「───ぃってぇっ!!」
弦の切れた音とユイの声に、控え室内の生徒たちが驚く
「───!おい、どうした?」
ユイの首筋はミミズ腫れのようになっており、血が滲んでいた
細く鋭いギターの弦が、だらしなく震えて揺れている
上田はベースを置いて、ユイに手を差し出した
「血出てるぞ?弦替えとくから、保健室行ってこいよ」
「え、ほんとに!?‥じゃあお願い!替えの弦、ケースん中入ってるから!」
「なるべく急げよー」
ユイはギターを上田に託し、首元を押さえながら保健室へと走って行った
***
ユイは賑わう校内の人集りを掻き分け、保健室へと辿り着いた
保健室のある校舎には人気がなく、しんとしている
ドアには『不在』と書かれた看板がぶら下がっていた
ひょっとしたら保健室の先生も学校祭を楽しんでいるのか、と想像し、少しだけ『ズルい』と思った
───勝手に貰ってこ。先生探してる時間ないし、バンソコの1枚くらい無くなっても誰も気にしないよね
「───よう」
保健室のドアに手を掛けようとしたところ、後ろから聞き覚えのある声がした
振り返ると、いつものように怠そうに立つ菱和が居た
「───菱和だ!おはよ!」
「『おはよ』って‥‥もう昼じゃん」
「あはは、そう云われればそうだね!朝から来てた?」
「ついさっき来た。昼頃って云ってたろ、出る時間」
「うん、もうちょい!どっか回った?迷路とかお化け屋敷とか」
「どこも行ってねぇ。っつうかまず一人じゃ絶対つまんねぇ」
「あ‥‥ごめんね、俺最初から一緒にガッコ来てれば良かったなって思った。そしたら、色々回れたのに‥‥」
「別に。元々バンドだけ観て帰るつもりだったし」
「‥じゃあさ!ステージ終わったら、お化け屋敷行こ!」
「‥‥遠慮しとくわ」
「あれ~?ひょっとしてそういうの苦手?」
「いや、そういうわけじゃねぇけど。お化け役の奴がビビるんじゃねぇかって」
「ふはは、何だよそれ!」
連絡先を知らずとも、菱和と他愛もない会話が出来るようになった
それだけで、ユイは充分だと思った
ふと、菱和はユイの首元に視線を落とした
赤く滲んだ線がくっきりと見える
「───どしたん、それ」
菱和に問われ、ユイは傷のことや保健室に来た目的を思い出した
「え?あ、これ?練習してたら弦切れちゃって、直撃しちった」
「‥血、出てる」
「うん、そうなんでしょ?自分じゃ見えないんだけど‥‥もぉ、暫く弦張り替えてなかったから───」
傷に触れようとした手が、パッと捕らえられる
菱和はユイの手を引き、乱暴に保健室のドアを開け、中へ入った
いきなり手を捕まれ、乱暴に開けられた扉の音にユイはたじろいだ
目を丸くするユイを、いつもの無表情で菱和は見下し、覗き込む
「見してみ」
「‥だいじょぶたいじょぶ!唾付けときゃ治るから!」
ユイは笑って菱和から手を離そうとしたが、菱和はユイの手首を掴んだまま、少し俯いた
「ふぅん‥。‥‥そっか」
「‥‥?‥──────」
刹那、ユイは菱和に肩を強く掴まれ、手首と共に壁に押し付けられた
背中に硬く冷たい壁の感触が伝わり、菱和の香水の香りがいつもより強く漂った
「───い‥‥っ!!」
首筋に鋭い痛みが走る
傷痕に沿うようになぞる生暖かい感触
背筋の悪寒
最初のものとは違う、鈍い痛み
自分が何をされているのか認識する隙もなく、ユイの顔が歪む
「───や、めろよ‥っ!!」
ユイは無我夢中で菱和を突き飛ばした
若干よろけた菱和は、首筋を擦りながら面食らった顔のユイを無表情で見つめた
「‥‥‥‥“唾付けときゃ治る”んだろ?」
そう云って、不適な笑みを浮かべる
───何だ、今の
今まで見たことのない菱和の表情と行動に、ユイは混乱した
傷口を舐められ、噛まれたということ
取り敢えずそれだけ理解すると、みるみる顔が真っ赤になった
「───う‥‥あ」
口をぱくぱくさせ、かなり間抜けな顔になっているのがわかる
自分の姿に居たたまれなくなり、ユイは慌てて保健室を脱出した
[0回]
教室で休憩をとる、ユイのクラスの生徒たち
キンキンに冷えたドリンクに、ポテチやチョコなどの菓子を口にし、談笑に耽る
中には、肉まんやチキンなどのホットスナックを頬張る生徒もいる
どれも日常とはかけ離れた特別な感覚で味わうもので、何故だか一層美味しく感じてしまう
ユイはカナにロイヤルミルクティーと、ほんの詫びの気持ちを兼ねて一緒に買ったポッキーの箱を渡した
他の生徒たちが談笑する中、直ぐ様屋上へと駆けて行った
空はうっすらと赤く染まり、陽が傾き始めている
屋上の扉を開けると、菱和の姿があった
何時ものように、怠そうに座り込んでいる
カナが云っていた通り、菱和はいつもの場所に居た
そのことに何となく安堵し、ユイは菱和に駆け寄り声を掛けた
「やっぱここに居た!教室戻ろうよ」
「‥‥今日はもういい。もう少し涼んだら帰る」
「え?‥‥‥‥えぇー‥‥」
残念がるユイを尻目に、教室に戻る気など微塵も無い菱和は少しも動こうとはしない
ユイは仕方なく、菱和の隣に座り込んだ
「‥‥楽しくない?」
「そんなことねぇよ。‥‥楽しいよ」
「‥でしょ?」
ユイは満足げに、にこりと笑った
他人と関わりを持つのは、本当に面倒臭かった
誰もが恐れてきた自分の姿
それにビビるような奴らなんて、相手にしてても仕様がない
だから今まで遠ざけていた
会話はおろか、誰かと一緒に過ごすことなんて、これから先も無いんじゃないかと思ってた
でも違った
人の顔を見ては、何かと笑顔で話しかけてくる奴が居る
何の自覚も遠慮もなしに、ずかずかと、土足で他人の領域に入ってきやがる
別に嫌な訳じゃない
寧ろ、あの騒がしい雰囲気も会話も楽しんでいる自分がいる
よく飽きもせず俺に構ってくること
そうだよ、“わざわざ”“俺と”関わってくるなんて
行く宛を捜してまで一緒に居るなんて
一体何なんだろう
何が、そうさせてるんだろう───
「‥‥飲まねぇのか、それ?」
ユイの手には、同じドリンクが2つあった
「あぁ、忘れてた‥‥はい!菱和の分!何が良いかわかんなかったから、俺と同じやつだけど。今さ、休憩がてら買い出し行ってきたんだー」
ユイはペットボトルを菱和に手渡した
ラベルを見てみると、以前コンビニでユイが“俺のジュース”と宣言した桃のフレーバーティーだった
キャップを開け、一気飲みするユイ
仄かに甘い紅茶が喉を通り、飲み干した口の中にほんのりと桃の香りが漂った
慣れ親しんだお気に入りの味だ
3分の1ほど一気に飲み干し息を吐くと、菱和は少し汗をかいたペットボトルを見つめていた
「‥‥、これじゃない方が良かった?」
少し不安げに顔を覗き込むと、菱和はユイが持っているペットボトルを指差した
「‥‥それちょうだい」
「‥え、これ?飲みかけだよ?」
「‥‥わかってる」
いまいち要領を得なかったが、ユイは菱和に自分のペットボトルを手渡した
菱和はペットボトルを受け取ると、ユイと同じように一気飲みをした
立て続けにごく、と鳴る喉
琥珀色の液体が、その喉を潤しながら通る
ふ、と息を吐き、親指で軽く口唇を拭った
ただ飲み物を飲んでいるだけのその姿に、ユイは何故か目が離せなくなっていた
「これ、やるよ」
菱和は、先程受け取った未開封のペットボトルをユイに差し出した
「え?」
「‥‥俺の分持ってきてくれたお礼。帰ってからでも飲めば」
ユイはきょとんとした
人付き合いに関してはユイよりも不器用な菱和が時折見せる何気ない優しさ
それに触れているとわかり、みるみる嬉しくなった
拓真、リサ、カナ、そして菱和
自分の周りに居てくれる友達の顔を思い浮かべながら、穏やかに笑った
「───菱和ってさ、優しいよね。‥‥俺の周りは、優しい人ばっかりだ」
自分が優しいと思ったことなど、一度もない
だが、そう感じている奴が隣にいる
ユイは、自分の想いを素直に言葉に出来る
感じるままに言葉に出来ることを、羨ましいと思える
ユイが本音を吐露したことで、菱和も感じたままの心を口にした
「‥‥それは、人徳なんじゃねぇの」
「人徳?‥俺の?」
「何の見返りも求めないで“誰かに何かしてやりたい”って思う気持ちは、そんだけ相手のこと大事だって思ってなきゃ湧いてこないだろ。だから、そう思わせる何かがある‥‥ってことなんじゃねぇのかな」
無愛想だが、実直に話す菱和
今までのユイを見ていて、周りに“何の見返りも求めず優しくしてくれる人間がいる”ということはわかっていた
それは、ユイが自ら構築した人間関係から生まれてきたものだ
無愛想に自分のことを話す菱和の横顔に、既視感を覚える
いつも無愛想にしているが、その裏に隠れた優しい心
気恥ずかしさや照れを隠すような一見冷たい態度
その不器用な優しさを、ユイは知っている
───リサと菱和って、似てるな
ユイの心が、綻んだ
「菱和が優しいのも、俺の人徳のお陰?」
「‥‥、そうかもな」
「‥そっか!」
ユイは、にしし、とはにかんだ
つまらなかった筈の学校
うざったかっただけの喧騒と笑い声
誰かと一緒に過ごす時間
下らない冗談
好みの音楽
他愛もないものを共有すること
重いだけの簡素な音とぴったりと重なった賑やかな電子音
それを引き連れる、細い金属の線を滑る指
同調するかのように湧き高鳴る心臓
全ての感情を排除し、昂揚する頭の中
放課後の匂い
吹き抜ける風に微かに混じる、他人の体温
いつもと少し違う紅茶の味
すっかり脳裏に焼き付いた、純真無垢な笑顔
“毒されてく”
全て、ユイが菱和に齎したものだった
同じ飲み物を共有した二人
菱和との距離が縮んだことを、ユイは真の意味で理解していなかった
[0回]
着々と学校祭の準備が進む校内
風船や画用紙で彩られた教室
当日を待ち侘びる生徒たち
何となく懐かしく感じる、放課後の匂い
殆どの生徒が最後の追い込みをする中、拓真はバイトがあり、リサは体調が思わしくなく、二人とも「申し訳ない」と云い残して帰宅した
「ユイー、飲み物買い行かねー?」
「行く行くー!」
作業が一段落ついたところで休憩を挟む雰囲気になり、クラスメイトがユイを呼んだ
ユイは鞄から財布を取り出すとふと教室を見渡し、つい先程まで一緒に作業をしていた菱和の姿が見当たらないことに気付く
「───あれ、菱和は‥‥」
「菱和くんなら、『一服する』って云ってどっか行っちゃったよ」
たまたま菱和の行方を知るカナが、それを伝えた
「あ、そう‥どこ行ったのかな‥‥」
「ユイくんたちがいっつも行ってるとこじゃない?」
「そっか、そうかもね。アリガト!俺今コンビニ行くけど、なんか飲む?序でに買ってくるよ!」
「え、良いの?んー‥‥じゃあ、ロイヤルミルクティーにしよっかな」
「わかった、オッケー!買ってくんね!」
「───あ、ねぇ!」
走り出そうとするユイを、カナが呼び止める
ユイは足を止めて振り返った
「お、何?」
「あ、あのさ。最近ずっと、菱和くんと一緒にいるよね」
「え?あ、うん」
「‥‥たまにはさ、リサにも構ってやってね」
「‥?」
「私が心配することじゃないのはわかってるんだけど、ユイくんたちが菱和くんと仲良くなってからあのコいつも以上につまんなそうな顔してるから、さ。菱和くんと上手くやってるのは私でもわかるけど、リサはまだ少し心配してるみたいだから‥‥」
カナは申し訳なさそうに、最近のリサの様子を打ち明けた
───居ないのを良いことにこんな話したなんて知れたら、きっと怒るだろうな
『またそんなお節介焼いて‥‥心配ないって云ってんでしょ』
リサの顔と声が、安易に想像出来る
確かに、ユイと拓真は菱和と接する時間が増えた結果、リサと一緒に居る時間が若干減った
だが、ユイも拓真も、決してリサを蔑ろにしているわけではない
カナも充分理解しているのだが、それでも、リサの微妙な表情の変化を敏感に感じ取っていた
カナの表情を見て、ユイは必要以上にリサに心配をかけてしまっているということを自覚した
カナがわざわざ話してくるということは、それは思ったよりも深刻で根深い
リサの仏頂面が、ユイの脳裏を過る
自分を心配してくれているリサ
そしてリサを気遣ってくれているカナ
同じ空間に居なくとも、思いやれる人間が居ること
それはこの上なく、ただただ嬉しいことだ
「───カナってさ、‥‥優しいね」
「‥、え‥‥」
「‥ダイジョブ!この前リサと“でぇと”して、ちゃんと話したから!」
『あいつらが満足してるなら、私はそれで良いんだってば』
『仮に何かあったとしても、その時私が出来ることをやれれば‥‥それで良いの』
『‥‥‥‥でも』
「──────『有難う』」
ユイはカナに笑い掛け、買い出しに出掛けていった
カナは、ドキリとした
ユイの『有難う』が、まるでリサから云われたかのように感じた
自分のことのように『有難う』と云ったユイ、そしてそれに重なるリサの声
全てただの錯覚なのだが、カナは暫く立ち尽くしてしまっていた
接する時間が少し減った程度で、ユイとリサの関係が悪くなることはない
それほどまでに、二人は互いを想い合っている
ただの幼馴染みだけでは済まされない程の、信頼や愛情
それは、最早カナの想像の範疇を遥かに超えているものだった
───ああ、そっか。そうだよね
「リサったら、ほんと幸せ者なんだから」
ユイとリサの関係を、微笑ましく、羨ましく思った
[0回]