忍者ブログ

ガレキ

BL・ML小説と漫画を載せているブログです.18歳未満、及びBLに免疫のない方、嫌悪感を抱いている方、意味がわからない方は閲覧をご遠慮くださいますようお願い致します.初めての方及びお品書きは[EXTRA]をご覧ください.

NEW ENTRY

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  • 04/27/02:03

ReBirth スマホ向け

*時系列:現在*

拍手[0回]

PR

凪 スマホ向け

*時系列:現在*

拍手[0回]

出会い PC向け

出会い スマホ向け

友引の前日・朝 PC向け

友引の前日・朝 スマホ向け

アイベツ イラスト スマホ向け

カラーもモノクロもごちゃまぜ
御厨さんの比率が高いです



ツイッターの企画「ご当地美味いものSS」にて
こーちゃん視点


みっく視点

拍手[1回]

“Caricia”②PC向け

“Caricia”②スマホ向け

“Caricia”①PC向け

“Caricia”①スマホ向け

Hans namn är “Tråden” スマホ向け

Hans namn är “Tråden” PC向け

10 おそろ

その日の夜
菱和はバイト先が決まった旨、報告を兼ねてユイに電話を掛けた

『もしもし!』

溌剌とした声が跳ねる

「もし。おつ」

『お疲れ様!』

「バイト、決まった」

『! ほんと!うあー、良かったね!おめでと!』

電話の向こうの声が踊る
まるで自分のことのように喜んでいる様子に、菱和の頬が自然と綻ぶ

「‥‥でさ、今度買い物付き合って欲しいんだけど。バイト先で使うもん買いたい」

『良いよ!何買うの?てか、何のバイトするの?』

「‥‥、まだ内緒」

『何で!ケチ!』

「買い物行くときに云う。それまで待ってて」

『むー‥‥‥わかった‥‥。いつ行く?』

「何も用事ねぇなら明日の放課後とか」

『おっけ!じゃあ、明日行こう!』

「‥‥‥、ちょい、久々じゃね」

『ん?何が?』

「デートすんの。‥‥超楽しみ」

云われてみれば───
菱和がリクルート真っ最中の間、ユイは邪魔にならないようにと自分からの連絡を極力避けていた
学校では一緒に過ごしていたが、こうして電話をするのも実は久し振りのこと
菱和の云う通り、“デート”も久し振りになる
柔らかい声で『楽しみ』などと云われ、汗がぶわ、と噴き出す
沈黙が訪れたことを怪訝に思った菱和は、声を掛ける

「‥‥‥もしもし?」

『う、あ、はい』

「何だよ、なした?」

『いや、別に‥‥‥‥俺も、楽しみにして、る』

電話を切った後も、ユイの頬は暫く紅潮していた

 

***

 

翌日の放課後
二人は約束通り、デートへと繰り出した
ユイは学校を出る直前までそわそわしていたが、菱和と並んで街を歩くうちに気持ちが落ち着いていった
その折、予てより気になっていたことを尋ねる

「‥でさ、結局、何買うの?」

「髪留め」

「かみどめ??」

「別に百均とかでも良いんだけど、ちょっと良いもん身に付けてぇなと思って。場所が場所だから本来切んなきゃなんねぇとこだけど、『このままで良い』って云われたんだ。でも結わなきゃなんねぇから」

「髪を縛らなきゃならない職場、ってこと?」

「うん」

アルバイト経験がないユイには、髪を結う必然性を求められる業種が全く思い付かなかった

「‥‥‥‥‥、何のバイトすんの?」

「喫茶店の調理」

「‥‥料理、するの?」

「うん」

「っマジ!?すげぇ!!特技と実益めっちゃ兼ねられて、すっごいピッタリな仕事じゃん!うわー、すげぇなぁ‥!!」

漸く知ることが出来た、菱和のバイト先と髪を結わねばならない理由
そして、菱和の料理の腕前を十二分に理解しているユイは目をキラキラさせ、ひたすら感心した

「‥“特技”は云い過ぎ。“趣味”くらいにしといて」

「全然!アズの料理はもう特技に認定しちゃって良いってば!」

「いや、料理は好きだけどさ、所詮素人だよ。殆ど感覚でやってるし、基本的なことはあんまわかってねぇから」

「‥‥そぉ?そんなもん?」

「そんなもん」

「んー‥‥そうかぁ‥‥‥」

いまいち納得出来ていないユイは、頬を膨らませた

「‥‥まぁ、『趣味と実益兼ねられたら』っていうのは母親から云われたことなんだけど」

「お母さん、から?」

「うん。で、行く行くは、免許取れたら良いなって」

「免許?もう、持ってるじゃん?」

「車はな。俺が欲しいのは、調理師免許。将来それで食ってくかって云われたらまだそんなこと考えらんねぇけど、持っとくに越したことねぇかなって」

菱和の言葉に、ユイは目を瞬かせた
漠然としているが、将来を見据えての決断
母の助言もあったのだが、決断したのは他でもない菱和自身
高校三年生でありながら将来の展望などほぼ考えていないユイは、菱和が大人びて見えてならなかった

「すげぇなぁ、そんなことまで考えてるなんて‥‥‥‥俺も、もう、そういうの考えた方が良いのかなぁ‥‥‥」

「まぁ、受験すんのか就職すんのかくらいは考えといて良いんじゃねぇの」

「そうだよね‥‥全然考えてなかったよ‥‥‥『今が楽しかったら何でも良いや』って‥もう高三なのに‥‥」

「『今が楽しかったら何でも良いや』も、結構大事だと思うけど。そういう風にしてる方が、お前らしくて好き」

時折、肩がぶつかるくらいの距離感で
隣を歩く菱和の不意な“好き”に、どくんと鳴る心臓
思わず顔を上げると、その横顔は易しく笑んでいた

「───大体、お前がいきなり受験勉強始め出したら不安になるわ」

「‥何だよそれ!酷いな!」

次第に意地悪な笑みへと変わっていった菱和の横顔と、悪戯にからかう言葉
ナーバスになったり怒ってみたり、コロコロ変わるユイの表情に、菱和はくすくす笑った

一頻り“愉”しんだ後、菱和の笑みは苦笑いに変わっていく

「───‥‥‥‥‥、結構大変だったんだ、面接」

「え、そうなの?」

「思ったよか時間掛かった。まぁ、こんな見た目だし、ブアイソだし、落とされて当然だわな。正直、『俺に就職なんて無理じゃね?』と思った」

自分の見た目や性格上仕方ないことだということは承知していたが、なかなかバイト先が決まらない“やきもき”感に思いの外辟易していたことを思い出した菱和は、自虐に塗れた愚痴を零した

それが愚痴であること、苦悩を打ち明けてくれたことを理解すると、ユイは柔らかく笑んだ

「‥‥‥‥‥でもさ、結果、受かってんじゃん。その喫茶店の人が見た目で判断しなかったのは、アズがちゃんと頑張ったからでしょ。時間はかかったかもしんないけど、全然無理じゃなかったじゃん!すげぇや、アズ!!」

弾ける笑顔と、賞賛
面接が上手くいったことと同じくらい、菱和にとっては嬉しいものだった

「‥‥‥うん。ありがと」

「うん!」

自然と、2人の歩幅がどんどん弾んでいった

 

***

 

訪れたのは、シルバーアクセの店
髪を結うものを捜しに来たのだが、普通のアクセサリー店は女性向けのアイテムが多く、男だけでは些か入店しづらさがある
そこで目を付けたのが、シルバーアクセ店だ
シンプルなゴムにちょっとした飾りが付いているような、メンズ向きのものも多数置いてある
何より、男同士でも入店を躊躇わずにいられる雰囲気
案の定、クールな品が所狭しと並んでいた

「いっぱいあるねぇ、迷っちゃうな!ねぇ、どんなのが良いの?」

「ゴテゴテしてなかったら、どんなんでも良いや」

「ふーん‥‥‥あ、見て!これ、超カッコイイ!」

「鳥の羽根?そういうの、好きなんだ」

「普段こういうの付けないけど、いっつも『良いなぁ』とは思ってたんだよね」

兼ねてより身に付けたいと思っていたものは、エスニックな雰囲気のブレスレット
木製のビーズで彩られており、鳥の羽根のモチーフが付いている
手に取り腕に嵌めてはしゃぐユイを、菱和はゆったりと眺めた

「ねぇねぇ、こんなんどぉ?ちょっと、付けてみてよ!」

「‥‥似合うと思ってんのかよ」

「うん!」

「ぜってぇ嘘だろ」

インパクトはあるが、何とも奇妙なデザインのネックレスをニヤニヤしながら菱和の首にかけようとするユイ
物色しつつあーだこーだと戯れ、2人は店内を歩き回った

 

「───あ、これは?」

ふとユイが手に取ったのは、くすんだシルバーの飾りが付いている黒のゴム
飾りには鳥の羽根のような模様が刻まれており、大きくもなく小さくもなく、至ってシンプルなものだった

「うん。気に入った」

「え、良いの?もっと見なくて大丈夫?」

「うん。これが良い」

ユイが選んだものを、甚く気に入った様子の菱和
ご機嫌な様子で、ゴムを指でくるくると回す
即決してしまったことに驚くも、自分のセンスが菱和に受け入れられたことを、ユイは気恥ずかしくも嬉しく思った
そして、一つ提案をする

「‥ね。これ、プレゼントさせて!」

「ん‥?」

「バイト決まったお祝いってことで!ダメ?」

「‥‥、良いのか?」

「勿論!」

また、弾けるような笑顔
それが見られただけでも十分なのに───それ以上のものを、齎す

「‥‥じゃあ、俺も」

菱和はふ、と笑むと、踵を返した
そして、アクセサリーを一つ手にしユイの下へ戻ってくる

「‥さっき俺が『良いな』って云ってたやつ‥‥」

「これは、俺からってことで」

「‥‥良いの?」

「うん。値段も同じくらいだし、どっちも羽根っぽくてちょうど良くね」

「わぁ‥なんか、お揃いっぽくて嬉しい!」

「“おそろ”ってやつ?」

「初めてだ、えへへ!」

天真爛漫な笑顔が、また溢れる
菱和も、自分なりの笑顔を零した

「はい!」

「どうも。‥‥これ」

「ありがと!」

それぞれ会計を済ませ、互いに交換し合った
開封し、早速手に取ってみる
宝物を眺める小さな子供のように、ユイはブレスを繁々と見詰めた

「‥あれ、これどうやって付けるんだろ‥‥」

「貸してみ」

戸惑うユイの手からふわりとブレスを取ると、菱和は長さを調整し、細い手首に付けた

「ここ。この紐で調整すんの」

「あ、これか。わかった、どうもありがと」

付け方をおさらいするユイの横で、菱和もゴムを手首に通した

「‥え、髪縛んないの?」

「“こう”した方が、“おそろ”っぽいだろ」

そう云って、菱和は口角を上げながら手首を翳す

揺れるくすんだシルバーの飾りと、笑顔
“おそろ”のものを身に着けている実感が増し、ユイは徐々に頬を紅く染めながらまんまるの目をしぱしぱと瞬かせる
菱和は、その様子を心底嬉しそうに見詰めた

拍手[0回]

9 菱和くんのバイト奮闘記-リクルート編-

「バイトをすることにしました」

「っバイト!!?出来んのかよ、お前に!!」

「‥‥わかんねぇっす」

「ぎゃはは!!何だよそれ!コミュ障のお前がバイトとはな、どういう風の吹き回しだよ?」

「ちょっと、思うとこあって‥‥リクルートもまだこれからなんすけど」

「寧ろ、それが最大の鬼門だな!」

「‥‥そうなんす、実は」

バンド練習終了後、菱和の口から思い掛けないワードが飛び出した
アタルは取り敢えず大爆笑し、苦笑いする菱和の背中をバンバン叩いた

「今後、バンドの活動に影響出るかもしんねぇんで、ちゃんと話しとかねぇとと思って」

「まぁ、たーも俺もバイトしてっからな。多少の時間の制約は仕方ねぇんじゃん。バンドは、上手く時間作ってやってこーぜ」

健闘の祈りを込め、アタルはグーを差し出した
菱和もグーを出し、軽く会釈してアタルと拳を合わせる

「アズがバイト始めたら、俺一人ぼっちになっちゃうなぁ」

「お前もなんかやりゃ良いじゃん」

「むーーー‥‥‥‥てか、何のバイトすんの?」

「まだ内緒。決まったら教える」

「何で今教えてくんないのさ!教えてよ!減るもんじゃなし!」

「まぁまぁ。楽しみにしとこうよ。ひっしー、ご武運を」

「ありがと。努力するわ」

 

silvitを出、帰り道を往く最中
菱和はユイの腕を掴んで歩みを止まらせ、耳元でボソリと呟いた

「‥お前との時間もちゃんと作るから」

「んな、ば‥っ‥‥!!」

途端、耳まで高潮したユイは慌てふためく

「ん?何だよ変な声出して」

「んん、何でもないっ」

夜道で助かった───咳払いをし、その場をやり過ごすユイの様子を見て、菱和は口角を上げた

 

バンドメンバーから承諾を得たところで、菱和は早速リクルートを開始することにした

 

***

 

「──────‥‥マジか‥‥‥」

「どうしたの?溜め息吐いて」

「‥いや、調理師免許さ。母さんが云ってた実務経験ってやつ調べてたんだけど。規定の時間満たしてればバイトも実務経験に含まれるらしんだけどさ」

「どれどれ‥‥えーと、『原則として週4日以上かつ1日6時間以上』。‥まぁ学校もあるしバンドもあるしで忙しくはなると思うけど、出来なくはなさそうじゃない?」

「そこは別に良いんだ。‥‥‥問題は“ここ”」

「? ‥『高校に在学中の実績は実務経験に含まれない』。‥‥あら」

「卒業してからじゃねぇとカウントされねぇみてぇで」

「そうなのね‥‥知らなかったわ。迂闊に『バイトしてみれば』なんて云ってごめんなさい」

「んーん。寧ろ『バイトすれば』って云ってもらわなきゃこういうこと知り得もしなかったから感謝してる。‥‥‥それにさ、カウントはされなくても経験は経験っしょ。バイトすること自体は前向きに考えてるから」

「‥‥やっぱり、あなた変わったわね」

「‥‥‥そおぉ?どの辺が?」

「何となく、ね。ふふ。じゃ、健闘を称えてコーヒー淹れるわね」

「ん。ありがと」

 

***

 

前向きに考えはしたものの、リクルート活動は難航した
成人間近であるにも拘わらず高校生であることか、将又、見た目の問題なのか
コミュ障なりに最大限努力をするが、肝心の面接で落とされる始末
ダブりという経歴と、この無愛想と長髪では無理もない話だと、自分でも痛感する

「‥‥‥‥‥やっぱ、髪切んなきゃ駄目か‥‥」

毛先を弄り、ぽつりと呟いた

───いや、飲食でこの髪は完全アウトだよな‥‥ユイも髪切ったし、近いうち俺も‥‥あと、もう少しくれぇ愛想もよくしねぇと‥‥‥やれることからやってくしかねぇよな。まだ親父に頼る段階じゃねぇ

菱和は溜め息を吐くと気を取り直し、次のバイト先への目星をつけた

 

リクルート活動を始めて3週間ほど経った頃
まとめていたバイト先候補にバツ印が増えていき、正直なところ菱和は辟易していた
髪型はどうとでもなるが、表情や性格は今すぐに矯正出来るものではない
この調子だと、最早働くということさえ不可能なのではないかという気がしてくる

悶々としながらふらふらと街を彷徨き、ふと時計を見遣ると13:30を過ぎており、空腹であることに気付く
滅入ってばかりもいられない
まずはエネルギーを蓄え、次に備えねば───

と、ふと顔を上げると木目調の喫茶店が目に入った
店先には、“琲哥楽”と書かれた看板が掲げられている

───‥‥なんて読むんだ‥‥‥?

興味を唆られた菱和は、引き寄せられるように喫茶店に近付く
見上げた看板はだいぶ傷んでおり、ドア付近には色とりどりのパンジーが咲くプランター
そして、窓には“アルバイト募集”の貼り紙があった

───確か、実務経験はこういう個人経営のとこでもOKだった筈‥‥‥‥いやでもまだ髪切ってねぇし、どうせ落とされるわな‥‥履歴書もねぇし‥フツーに飯食お

空腹を満たす為、菱和は喫茶店のドアを開けた

カラン、と鈴の音が来客を告げる
店員と思わしき真っ青な髪の色をした青年が、にこりと笑んだ

「こんにちは。お一人様ですか?」

───青だ

青年の髪の色に若干気圧されるも、菱和は軽く会釈した

「‥はい」

「喫煙席と禁煙席どちらが宜しいでしょうか?」

「喫煙席で」

「かしこまりました。こちらへどうぞ」

───“いらっしゃいませ”じゃねぇんだ

来客時の挨拶に、小気味良さを感じる
喫煙席に通されると早速煙草に火を点け、煙を燻らせながら店内を軽く見回してみた

天井から吊るされた電飾はモザイクガラス
窓からふんだんに陽の光が差し込む
テーブルや椅子は、木製のもので統一されている
ランチタイムのピークを過ぎ行く時間帯
主婦のグループだろうか、何組かの女性客が食後のコーヒーとスイーツと共に談笑に耽っている
菱和のように、“お一人様”の客もちらほら

───“ハイカラ”、か

手に取ったメニュー表に、片仮名で店名が記載されていた
マスキングテープなどで可愛らしく装飾されており、人気のメニューは写真付きだ
パスタ、グラタン、ドリア、ピザなどのメインメニューにサラダやドリンク、デザート付きのセットメニュー
種類は、豊富だ

先程の青年がお冷やとおしぼりを持ってくる
ついでに、菱和はオムライスと食後のコーヒーを注文した

食事が来るまでの間、再び店内を見回す
レジ前に置かれたショーケースには、デザートがところ狭しと並んでいた
デザートはどれも店自慢の手作りのケーキ類
ココットに入ったクレームブリュレもある
セルフスタイルのようで、主婦のグループがわいわいとショーケースに詰め寄っていく

───デザートセットみたいなのもあったっけ‥‥っつーかあのガトーショコラ美味そう。頼めば良かった

2本目の煙草を喫い終えたところで、オムライスが来た
軽く手を合わせ、スプーンを入れる
口に入れた途端、菱和は顔色を変えた

 

──────美味ぇ

 

ふわふわの卵に包まれたバターライス、程よい酸味のトマトケチャップ───何の変鉄もない、とてもシンプルなオムライスだ
何がどうという訳ではなかったが、ただひたすら“美味い”という事実に圧倒される

「───‥‥‥‥‥」

オムライスを食した菱和
満たされたものは、空腹だけではなかった

 

タイミングを見計らったかのように、青い髪の青年が食後のコーヒーを持ってくる
空いた食器を下げるところで、菱和は青年を呼び止めた

「───‥あの」

「? はい?」

多少怪訝そうにするも、青年は笑顔を絶やさなかった

「‥‥‥‥バイトの募集、してるんですよね」

「ええ、はい。面接のご希望ですか?」

「‥‥表に貼り紙してあったんで‥‥‥でも今履歴書なくて‥‥」

何の準備もしていないのにも拘わらず、我ながら不躾なことをしていると思う
が、逸る気持ちは抑えられなかった

「‥、ちょっとお待ち頂けますか」

まずは、と、青年は食器を下げに戻った
数分後、各テーブルを回りつつ、菱和の下へと来る

「15:00から店主の手が空くので、もしお時間があればもう少しお待ちください」

「‥‥‥‥へ?」

「お客様さえ良ければ、面接するそうです。如何でしょうか?」

青年はにこりと笑み、店主からの提案を伝えてきた

───云ってみるもんだな

「‥‥待たせてください」

「‥コーヒーのお代わり、如何ですか?」

「お願いします」

青年がどのように自分のことを伝えたかは謎だが、このチャンスを逃さない手はなかった
また当たって砕けるだけだと、菱和は指定された時間までコーヒーを飲みながらゆるりと過ごした

 

***

 

「こちらへ」

15:17
通されたのは、厨房の奥の小さなスペース
ジャケットや鞄が雑然と置かれており、恐らく従業員の休憩スペースなのだろうと察しがつく

「ああ、お待たせしてすみません」

パイプ椅子を携え、店主と思しき人物が入ってくる

「先程、バイトの件で問い合わせがあると伺いましたが‥‥お話を聞かせてください」

椅子をセットした店主は、菱和に座るように促す

「あの、今履歴書なくて」

「構いません。うちの従業員が、お客様から何やらただならぬ気迫を感じたらしくてですね。逆に私がお話してみたくなってしまって‥‥何故うちで働きたいと思われたんでしょうか?」

店主は穏やかに笑みながら、青い髪の青年から聞いた様子を話した
そんなに顔に出てたか───菱和は軽く深呼吸をし、店主の問いに答えた

「‥凄く単純な理由で恐縮ですけど、食事が美味しかったからです。オムライス、頼んだんですけど。あんな美味いの初めて食べました」

「そうでしたか。お口に合って何よりです」

「はい。ご馳走様でした。‥‥‥それと、調理師免許を取りたいと思ってて」

「ほう‥‥何故免許取得を志したんですか?」

「普段から料理はするんですけど、趣味の域を出ない範囲で‥‥‥スキルアップの為に資格が欲しいと思い始めて‥‥それで色々調べて、資格を取るには実務経験が必要だと知って、アルバイトでも実務経験にはカウントされると‥」

「ええ、確かにその通りですね」

「ただ、‥‥今19歳なんですけど、高校通ってて」

「ほお、学生さんでしたか。19歳ということは、定時制ですか?」

「いえ、全日制です。‥‥在学中の実績は実務経験に含まれないってつい最近知ったばかりで‥‥‥でも、カウントされなくても経験は積みたくて」

「‥‥‥‥うちでの経験で良いんでしょうか?」

「経験を積むなら、“ここ”が良いと思いました」

 

オムライスの美味さは、理屈ではなかった
自分にもこんな味をものが作れれば───ただ単純にそれだけの理由
ダブりという経歴、ハンデ、自他共に認める無表情
とはいえ、それらを言い訳にはしたくはない
揺るぎない何かが、菱和を突き動かす
真っ直ぐと店主を見据え、自らの想いを精一杯伝える

 

「‥‥そうですか。わかりました。君さえ良ければ、是非うちで学んでってください。まぁ、私が教えられることなんて高が知れてるけど‥‥」

その熱意が伝わったのか、店主はふーんと唸った後にこりと笑みながらそう云った

絶対断られると思ってたのに───自分で「雇ってくれ」と申し出たにも拘わらず、いざ許可が降りると面食らってしまう

「‥‥雇って頂けるん、ですか」

「ええ。一緒に頑張りましょう。‥申し遅れました、店主の真踏です。これから宜しくお願いしますね」

「‥菱和 梓といいます。宜しくお願いします」

「菱和くん、ね。近いうちに、履歴書を持ってきてください。あと服のサイズ‥‥‥ちょっと待っててください」

店主の真踏が席を外した隙に、菱和は胸の高鳴りを直に確かめた
鼓動が、速く脈打っているのがわかる
働きたいと思える場所を自分の足で見付けられたことに、只管高揚していた

 

「‥‥でね、彼うちで働くことになったから」

真踏と青い髪の青年が会話をしながら入ってくる
青年はほっと胸を撫で下ろしたようにし、菱和に笑い掛けた

「良かったぁ。‥俺、類です。宜しくお願いします」

「菱和です。宜しくお願いします。‥お気遣い有難うございました」

「いえいえ。一緒に働けることになって、嬉しいです」

青い髪の青年・類が居なければ、今この場での面接など叶わなかっただろう
店主への口添え、待っている間のコーヒーのお代わり、どの配慮も菱和には有難いことこの上なかった
共に働けるということに、菱和も期待が膨らむ

「早速、服とエプロン発注したいんだよね」

「ああ‥‥菱和くん、服のサイズ教えて頂けますか?」

「‥XLです」

「だよね、背ぇ高いもんねぇ」

「‥‥‥あの、」

「はい?」

「髪‥切った方が‥‥‥切るべきですよね。色も‥‥」

「ああ、気にしなくて大丈夫ですよ。彼も、人間の髪の色じゃないでしょ」

類の髪の色は、目にも鮮やかな青だ
来客に強烈なインパクトを与えることは間違いなく、事実菱和も入店時には類の髪の色への興味が先行した
そんな類の頭を、真踏はくしゃくしゃと撫で回した

「でもねぇ、類くん目当てに来るお客さんも多いんですよ」

「そんなことないですよ、もう」

「謙遜しちゃって、まぁ。‥もう一人の調理の者も結構奇抜な見た目なので、ほんとに気にしなくて大丈夫ですから。その髪型、似合ってますしね。‥あ、でも結ったりバンダナつけてもらったりはしてもらいます。飲食店なので、ね」

懸念していた髪の件はスルー、剰え“似合っている”とお墨付きを頂き、菱和は目を丸くした

───‥‥‥『良い』っつってるから良いんだな、それで

「‥わかりました」

斯くして、菱和のリクルートはここで終了した
これから共に働く仲間に感謝の意を込め、今一度深く頭を下げた

拍手[0回]

8 “eichel”'s breads

アップルパイ、苺のデニッシュ、クイニーアマン、ピザパン、明太フランス、ガーリックラスク
そして、ショコラノエル
菓子パンと惣菜パンを、なるべく均等にトレイに入れていく
半分こすることにし、それぞれ一つずつ買い、二人はeichelを後にした

“おやつ”にしては多めになってしまったが、クラフトの紙袋に詰められたパンの香ばしい匂いに食欲は唆られる
ユイはどれから食べようかと思案しながら、菱和のアパートまでの道程を歩いた

 

***

 

切り分けられたパンを皿に乗せ、ユイは一足先にリビングへ
菱和が紅茶の入ったマグを携えて来、ユイの横に座る

「‥‥取り敢えず何がどうなってんのか説明してくんねぇ?」

寝耳に水の事態に若干目を細め、KY行動の意図を問い詰めた

「あのね、この前の練習前にカフェでナオさんに会ったの。んで、『アズのお友達ですよね』って話して、『今何してるんですか?』って訊いたら、これくれて」

ユイは以前手渡された名刺を見せて寄越した

「‥ほんまもんの美容師だったのか」

「今は見習いだって。ガッコ行きながらあの店で働いてるみたい。友達の髪切る人っているでしょ?カナもたまにリサの髪切ってるって云ってたし、カットモデルだったらお金もらわないし、そういう体でってことでナオさんに切ってもらうことになったの」

奈生巳が散髪したことをいまいち信じきれていなかった菱和は、“証拠”を見せられ漸く納得した
が、目は細めたまま
ユイをじとりと睨む

「‥‥何で黙ってたんだよ」

「それはさ、ほら、サプライズ的な、ね?ナオさんにもアズが迎えに来てくれること云ってなかったし、ダブルサプライズ!」

「何がダブルだ、ビビらせやがって。あいつが変わってなかったら一瞬で血の海だったかもしんねぇんだぞ。んなことしねぇってわかってたから良かったようなものの。てめぇ、この」

「いいい、痛いぃ‥!」

話の流れや先程の状況に納得はしたものの、菱和はピースサインを出して無邪気にしているユイの頬を抓った

「黙ってた罰だよ。なぁんで何も云わなかったんだよお前はぁ」

「だって、どうしても仲直りして欲しかったんだもん!それにもし云ってたら、ちゃんとお店に来てた!?」

「それは‥‥‥‥‥」

「ほらぁ!来なかったかもしんないでしょ!黙ってた方が良かったんじゃん!ナオさんもおんなじ気持ちでいるってわかってたから!」

「だからってなぁ」

「ぃい、ごめんなさいぃ‥!!」

結果的には何も起きなかったが、流石に今回のKYにはヒヤヒヤさせられた
嫌がらせも兼ね、頬を抓る手に力を込め上下左右に動かす

「‥ぷ。変な顔」

「何だよ、アズが抓ってるからだろぉ‥!」

一頻りユイの変顔で遊んだ後、菱和はソファに深く座した

「あー、マジ焦ったぁ‥‥‥」

髪を掻き上げ、安堵の表情を浮かべる
抓られていた頬を揉み解しながら、ユイはその横顔を覗き込んだ

「ナオさんと会うの、嫌だった?」

「まぁ、あんな態度とっちまった手前、気まずいっつーか恥ずいっつーか‥‥マジ心臓に悪いからもうこういうの止めてくれ」

「う、うん‥‥ごめん。でも俺が間にいるなら少しくらいそんなのも紛れるかな‥って思ったんだ」

「うん。多分あいつも俺もそうだったと思うよ」

「ほんと?‥もう、怒ってな、い?」

「怒ってねぇよ、最初から。‥‥‥やーっとあいつの顔まともに見れた。切っ掛けくれて、ありがとな」

「う、うん‥‥」

「さ、食お。‥‥‥っつーか、『飲みに行く』とかいって連絡先知らねぇ」

「俺が知ってるから良いでしょ!あとで教えたげるから!」

「ああ、そっか」

菱和は軽く鼻で笑い、ラスクを手に取る
かり、と噛む音が聴こえ、ユイも一口大に切られたクイニーアマンを手にし、口に入れる
固い表面を噛み砕くと、バターの芳醇な香りが鼻を抜ける

eichelのパンにハズレはない
そう思いながら咀嚼し飲み込むと、ユイはぽつりと呟いた

 

「───幾らでもダシにしてくれて構わないんだから」

「‥?」

「もし俺が、アズの力になるんだったら‥‥何だってするよ」

 

“仲良し”だった頃に戻れればと切望するも、その切っ掛けすらあったものの踏み切れないでいた菱和と奈生巳
複雑な事情と感情を鑑みれば、その想いもわからないではない
早まったことをしたかもしれない
二人の気持ちを丸々無視した、正にKYだった
だが、このまま何のリアクションもなければ、二人の縁は5年前で途切れたまま終わっていたかもしれない
そんなのは嫌だ、納得がいかない
折角“神様”の思し召しもあったのだから

だから、自分がその足掛かりになれば───

 

「───バカ」

KYへの当然な反応かもしれない、辛辣な一言
恐る恐る見上げた顔は、呆れたような歪んだ笑顔
言葉と表情が一致していないことに、違和感を覚える

菱和は手を伸ばし、ユイの頬に触れた
『また抓られる』と身構えるも、掌は優しく触れているだけ
怪訝な顔をするユイの額に、菱和の額がこつん、とくっつく
大きな掌に包まれた頬が、ぼっと熱くなった

「‥‥‥お前のそういうとこ、すげぇ好き」

暖かく、柔らかい漆黒の瞳に捕らえられたまんまるの目が、泳ぐ

「う、え、‥?」

「‥超似合ってる。今の髪型」

「そ、そぉ‥‥?」

「うん。あと、すげぇ良い匂い。ワックスかな」

「で、しょ。お店に置いてるやつなんだって。‥‥てか、やっと感想云ってくれ、た」

「ふふ‥‥待ってた?」

「いや、うん‥‥どう、かな‥」

「めんこい。好き」

「あ、ありがと‥‥前と、どっちが良い?」

「どっちも好き。‥ほらな、云った通りだろ。‥‥‥結局、“お前が好き”ってことなんだよな」

「ん、そ‥!!」

 

照れまくり、慌てふためくユイの頭部をがっちり捕らえて離さない菱和
折角セットされた髪がくしゃくしゃになってしまうほど触れ、嗅ぎ、今一度ユイへの“好き”を募らせる

 

確かにユイはとんだKY行動を起こした
だが、その行動力と据わった度胸は自分の中には存在しないものであると、菱和は実感する
結果的に、ユイの持つ“強さ”による今回の“荒療治”は、功を奏したのだった

拍手[0回]

7 散髪②

連休中に出された課題を颯爽と終わらせ、すっかり手持ち無沙汰
特段やることもない一日
煙草を咥えてぼーっとしていると、テーブルに置きっぱなしの携帯が着信音を奏でた

『15時くらいには終わりそう♪』

メール画面を開くと、そう記載されていた

「場所どの辺?」

『ここのお店にいるよ(*^^*)おやつ食べよ♪』

その一文と共に、美容室の情報が記載されているURLが添付されていた

───青雲町‥‥40分くらいで行けっかな

「うん。終る頃に行く」

『おっけー( ´∀`)b』

───“おやつ”‥‥‥ま、軽めに飯食っとくか

ユイを迎えに行くまでの間に食事を摂ろうと、菱和は昼食の準備をし始めた

 

***

 

「こんなもんか、な。どうよ?」

奈生巳はブローを施した後、ヘアワックスで軽く動きを付けた
手鏡と全身鏡の会わせ鏡で、後ろも確認する
短くなった髪と元気良く跳ねた毛先にユイはすっかり御満悦で、目をキラキラさせた

「わぁ‥‥‥‥すごい!!夏っぽい!」

「は、何だその感想。もし自分でもワックス付けてぇなら、こんだけ取りゃ十分だから」

「わかりました!アズなんて云うかなぁ‥‥へへへ」

───あいつに見せるのがそんなに楽しみなのか‥‥あいつもあいつでどんな反応すんだか‥‥ガチで謎だ

手鏡を持ち頻りに鏡を見てはにかむユイを見遣り、奈生巳は片付けと掃除を始めた
相容れなさそうな二人の関係がどうしても気になり、床を掃きながら尋ねる

「‥‥‥‥お前さ、」

「はい?‥あ、手伝いますよ!」

「いいよ。それよかジュース飲んじまえ。コップも仕舞わなきゃなんねぇから」

「ああ、まだ全部飲んでなかった‥‥‥で、何ですか?」

「どうやって、あいつと仲良くなったんだ?」

「どうやって‥?んーーー‥‥‥‥まず、俺がアズをバンドに誘って‥‥ああでもその前に俺の兄ちゃんがバンド抜けることになって新しいベーシスト捜すことになって、同じクラスになったばっかでアズがベース弾けるって全然知らなかったけど偶然友達が知ってて‥」

「細けぇ情報は端折れよ。云われてもわかんねぇから。とにかく、お前があいつを誘ったのが始まりなのな。どうやって口説いたんだよ、あいつの性格上素直にオッケーするとは思えねぇんだけど」

「フツーに誘っただけですよ、それに最初から前向きでした。てか、普段から絡みに行ってた所為かなぁ‥‥あ、でも嫌々加入した訳じゃないですよ!加入まで‥ってか、加入した後も、今までほんと色々あったんですけど‥‥‥‥俺にとってもバンドにとっても、アズは大事な人です!」

「‥‥そんだけあいつのこと想う奴がいんなら、俺なんて尚更要らねぇじゃん」

「それとこれとは別っす!『縁のある人とは一度別れてもまた巡り会う』みたいですから!つまり、そゆことです!」

無理矢理話をまとめるユイ

仏頂面ののっぽと、ニコニコ顔のチビ
バンドが切っ掛けとはいえ、明らかにキャラの違う二人がバンドメンバーとして成立しているという事実は、奈生巳にとっては無理がある話だった
極シンプルに“色々あった”ということが示されただけで、“大事な人”と云わしめ相手を庇うまでに至った経緯は謎のまま
しかし、

───何気に面倒見良かったもんな、あいつ。こいつも無駄に人懐っこいし‥‥よっぽど“ハマった”の、か

或いは、“ユイが手懐けた”というよりは“菱和が絆された”と見る方が妥当かもしれない───屈託なく話すユイを見て、奈生巳はそんな可能性を見出だした

「‥‥は、何だそれ」

とんだKYのお陰で一杯食わされた気分だったが、未だ胸の内に残っていた“マブダチ”の存在が、漸く奈生巳の心に落ちていった
ユイの云う“縁”とやらを信じてみることにし、満更でもなさそうな顔をした

 

***

 

15:00を少し回ったところ
菱和はスマホで地図を表示させ、“ASH”付近を歩いていた

───多分、この辺の筈‥‥“おやつ”って何食いてぇんだ、いつもの感じで良いんかな

普段から賑わいを見せるビル街の一角
この近辺なら“おやつ”には事欠かない
何が良いのかと思案しながら、目的地を目指す

スマホのナビが終了を告げる
ふと顔を上げると、“ASH”の前に人がいるのが見えた

「‥‥‥‥、‥‥?」

───誰だ、あれ‥‥‥

 

「あ、今度ライヴ観に来てくださいよ!アズが作った曲、もうそろそろお披露目なんです!」

「ふーん‥‥‥っつーか、自分らで曲作ってんのか」

「はい!カヴァーもオリジナルもやってます!」

「そ。‥‥ま、時間あったらな。ピック投げて寄越したら拾ってやるぜ」

「じゃあ、いっぱい投げます!“しゅしゅしゅー”って!」

「‥手裏剣かよ」

普段よりさっぱりとした印象のユイと並んで話す奈生巳の姿を認め、菱和は直ぐ様駆け寄った

 

「ユイ───」

「あ、アズ!」

菱和の姿が目に映る
嬉々とするユイに反し、奈生巳は一瞬たじろいだ

「ナオさんに切ってもらったんだ!どぉ?」

ユイはくりくりと毛先を触り、すっかりご機嫌だ
奈生巳は素知らぬ顔をしており、敵意は無かった

───‥ナオが‥‥?‥何がどうなってやがる‥‥‥

菱和はただ理解に苦しむばかり
ひそりと眉間に皺を寄せ、何とか目の前の状況を理解しようと試みた

「‥‥んじゃま、俺は帰るよ」

ご満悦のユイを尻目に、奈生巳は“ASH”のドアを閉め施錠をした

「え?いやいや、ってかナオさんも一緒に、これからみんなでおやつでも‥」

「なんだ、“おやつ”って」

「いや、もう15時だし‥‥おやつ食べながらお話しましょうよ!」

「云い忘れてたけど、生憎これからバイトあんだ。悪りぃけど、もう行く」

「そっ、か‥‥忙しいんです、ね」

「こう見えてな。‥‥‥‥‥一応、礼云っとく。なかなか良い練習台だったよ。ありがとな、このお節介」

「へへ、いえいえ!」

マジで余計なことしてくれやがって───奈生巳はニヒルな笑みを浮かべたが、胸の内では“縁”を繋いだことに感謝していた

 

先日の出会いからさほど日にちが経っていないにも拘わらず、いつの間にか親しくなっているユイと奈生巳
そのことが未だ、甚だ疑問の菱和はただ沈黙していた
奈生巳が視線を寄越すとその瞳を捉え、二人はまた牽制し合うように互いを見る

「──────お前、来月誕生日だよな」

先に沈黙を破った奈生巳
かなり予想外の言葉だった

「‥‥‥、‥ああ」

「‥今度、飲み行こうぜ。これで“みんな”ハタチだしな」

そう云って、奈生巳はふわりと笑んだ

積もる話はその時にすれば良い
葛藤も、時間の制約も無い“その時”に
お節介チビが持ってきた“縁”は、きっとここからまた始まる

───覚えてたのか‥‥誕生日なんて

「‥‥‥‥ん」

良くも悪くも、変わっていない───
中学時代の面影が残る奈生巳の顔に安堵した菱和は、穏やかに頷いた

「‥じゃあな。散髪してぇときはいつでも云いな」

「はい!今度また、改めて!連絡ください!ほんとに有難うございました!」

 

「───“おやつ”さ、」

「ん、何食べよっか?てか、時間ぴったりだったね。さすがアズ!」

「いや、別に。‥eichelでパン買って、うちで食わねぇ?まだどこも混んでるだろうし、のんびりしてぇ」

「お、良いね!おっけー!じゃ、eichel行こ!」

イメチェンし、すっかりご機嫌のユイ
中学時代のマブダチと、飲みに行く約束をした菱和
雑踏に消えていく奈生巳の後ろ姿を見送ると、二人は仲良く並んでeichelへ向かった

拍手[0回]

6 散髪①

大型連休に突入し、楽しい予定に思いを馳せれば勉強は瞬く間に手つかずになる
上の空で古文の宿題を解いていると、携帯が音を立てて震えた
手に取ると、知らないアドレスからメールが届いていた

『定休日だけど店使わせてくれるから、5日の13時に来い』

内容から察するに、恐らく奈生巳からだ
指定された日はちょうど予定がなく、グッドタイミングだった
他の従業員の手を借りられることになったのか、それとも───

「わかりました!なおさんが切ってくれるんですか??」

すかさず、返信が来た

『なんか文句あるか(*`Д´)ノ』

───ぷっ‥‥ナオさんて、顔文字使うんだ

ユイの散髪は、奈生巳が手掛けることになったらしい
連休中の予定が一つ増えたことで、ユイは期待に胸を膨らませて返信をした

「ないです!楽しみにしてます(*^^*)♪」

 

その日の夜、ユイは菱和と電話をした
早速、散髪の件を打ち明ける

「俺ね、明後日髪切りに行ってくる!“ASH”っていうお店でカットモデル募集してて、タダで切ってくれるみたいだからさー」

『ふーん‥‥散髪か。仕上がり楽しみにしてるわ』

「うん!‥‥切り終わったら、いちばんに見てくれる‥?」

『勿論。速攻で見して』

「えへへ‥‥じゃあさ、終わったらすぐ連絡して良い?」

『うん。俺暇してるから迎えに行く』

「わかった!ねー、明日はどこ行こっかね?そういやさ、この前捕り損ねたプライズまだあるかなぁ」

『‥‥‥‥、ゲーセンも良いんだけど、出掛ける前にお前んち行っても良い?』

「ん?うん、良いけど。どしたの?」

『今の髪型、見納めだから。‥‥短くなるんなら、今のうちに沢山見てぇし触っとかねぇと』

ひどく慈しむような声に、ユイはみるみる頬を紅潮させた

「もおぉ‥‥またそうやって‥‥‥」

『なに、なんか変なこと云ったか?』

「や、だって‥‥‥‥ね、切んない方が、良い‥‥?」

『髪短いお前見たことねぇから何とも云えねぇけど、多分どっちも好き』

「んん‥!!」

今回の散髪を奈生巳が手掛けることになっていることなど知る由もなく、赤面するユイの様子を思い浮かべた菱和はゆったりと笑んだ

ユイは敢えて奈生巳の名を口にせず、「いつネタばらしをしようものか」と明日のデート終了まで思案することにした

 

翌日、菱和に散々髪を撫で回された後、二人はデートに出掛けた
連休中の街はより一層賑わっており、店内はおろか路上までもが混雑している
思うように進めない中もみくちゃになりながら件のプライズを求めてゲーセンへ行き、長時間カフェに入り浸り他愛もない話をするという、普段よりも幾分かのんびりとしたデートとなった

 

***

 

更に翌日
ユイは昨日同様人混みを掻き分け、指定された時間に“ASH”へと赴いた
とある商業ビルの一階にある、シャープな外観の美容室だった

「こんにちはー‥‥」

“CLOSE”と書かれた看板が提がったドアを恐る恐る開けて中へ踏み込むと、しんとした店内に眼鏡をかけた中背の男が一人
道具を整理していたようで、ユイに気付くと顔を上げてにこりと笑む

「いらっしゃいませ。お待ちしてました。ナオーーー、お客様だよーーー」

「んなでけぇ声出さなくても聴こえるっつーの」

眼鏡の男が呼び掛けると、店の奥から奈生巳が出てきた

「‥こんにちは!今日は宜しくお願いします!」

「おー。ザックザクにしてやんぜ」

ニヒルな笑みを浮かべながら、鋏を模した手で前髪の辺りを切る振りをした

「こらこら。記念すべきお客様第一号でしょ」

「あ?いつかてめぇもザックザクにしてやる。‥こっち来い、座れ」

───“第一号”‥‥俺、ナオさんの初めてのお客さんなんだ

促されたユイは嬉々としてスタイリングチェアに座った
目の前に置かれている巨大な全身鏡を見、ヘアカタログに載っている夏仕様の髪型を幾つか参考にしつつ今日のセットについて話し合う

「前も思ったけど、癖っ毛だなぁ‥‥何センチくらい切る?」

「お任せします!」

「アホなこと抜かすな。そういう注文はプロにしろ」

「まぁまぁ‥‥‥結構伸びてるね。これから夏になるし、少し短めにしますか?」

「そうですね‥はい!」

「なぁ、これだと短過ぎるか?」

「小顔だからなぁ、似合うとは思うけど」

「じゃあ、間とってこんくれぇとか」

「あ、これが良いです!どうですかね?」

カタログを指差すユイに、眼鏡の男は微笑んだ

「うん、似合うと思います。良いセンスしてますね」

「ほんとですか!えへへ‥‥え、と‥」

「木山といいます。ナオが良いモデル見付けてきたって云うもんだから嬉しくて、休みだけどサポート兼ねて一緒に来ちゃいました」

木山と名乗った眼鏡の男は至極嬉しそうにし、ユイに名刺を渡す
店名と名前、そして“スタイリスト”という肩書きがあり、やはり店員のようだ

「余計なことベラベラ喋んな。てか帰れよ」

「何でー?ちょっとくらい見てたって良いじゃん」

「邪魔なんだよ!!帰れ!」

「もぉ、怖いんだから‥‥そんなんじゃお客さんつかないよー?愛想よくいかないと」

「いーから早く帰れ!!マジでザックザクにすんぞ!」

押し問答を始める奈生巳と木山
ユイの目は、鏡の中の二人を行ったり来たりした

「はいはい。‥じゃあせめて、飲み物だけでも提供させてから帰らせて。何が良いですか?」

先に折れた木山は、メニューを差し出した

「‥リンゴジュース、お願いします!」

「かしこまりました、お待ちください」

 

スタイリングが決まったところで、洗髪に入る
洗髪台に移動し椅子のシートが倒され、膝にブランケットを掛けられる
すかさず、木山が云う

「‥何て云うの?」

「‥‥『失礼します』」

「もっと元気良く云おうね」

「うっせぇ」

湯が、ふわふわの髪を濡らしていく
と、ここでまた木山が云う

「‥何て云うの?」

「‥‥『お湯加減、如何ですか』」

「‥大丈夫です!」

仏頂面の奈生巳を尻目に、ユイは溌剌と答えた
髪を濡らし終え、次はシャンプーイング
フェイスラインからこめかみ、つむじ、耳の裏、登頂部、襟足
頭の揺れに注意しつつ、奈生巳は全神経を注いで洗髪を進めていく

───あーーー‥‥気持ち良いなぁ‥‥‥人に髪洗ってもらうのって、何でこんな気持ち良いんだろ

リズム良く行われる洗髪に、自然とリラックスしていく
横で見守る木山が、満足げに云う

「そーそー、上手上手」

「‥いつまで居るんだよ」

「ん?」

「『帰れ』って云ったろぉが。ジュース出したら帰るってさっき自分で云ったんだろ」

「ええぇ。もうちょっと見さしてくれても良いんじゃない?」

「んな真横で見られてちゃ気が散るんだよっ!」

「『身近で見守ってたい』っていう先輩の愛が伝わらない?」

「うぜえええぇぇ」

奈生巳は眉間に皺を寄せ始めた
しかし、木山とて最後まで口出しする気はない様子
丁寧にシャンプーを施す奈生巳の手付きを見遣ってから、ジャケットを羽織って穏やかに云った

「その辺のカフェにいるから、もし不安になったら呼んで」

「呼ばねぇし。バーーーカ」

手を動かすのを止めず、奈生巳はベロを出した

「あっそう。それならそれで、戸締まりしっかりね」

「っわかってるよ!ほんっと、いちいちうるせぇ‥!」

木山が去り、奈生巳は洗髪の続きを進める
何だかんだと云いつつも、決して雑な動きをすることはなかった

 

「‥あの。何時くらいに終わりますか?」

「2時間ありゃ終わんじゃねぇかな、多分」

「15時くらいですね!わかりました!」

「なんか用事あんのか?」

「いや、別に‥‥‥てか、仲良しなんですね。木山さんと」

ユイの言葉に、奈生巳の手の動きが若干鈍くなった

「‥‥‥‥俺、施設育ちなんだけどさ。中学んとき喧嘩ばっかやってて‥‥って、あいつから聞いてるか」

「みんなで喧嘩してた、っていう話は聞きました」

「そか。‥で、高校でも暫くそうやって過ごしてて。いつだったかボロ負けしたときあって、道端に転がってたのをさっきの奴が拾ってくれてな。18になったら施設出ることになってて、そん時あいつが『来れば』とか云いやがるから‥‥‥」

「‥‥、一緒に住んでる、ってことですか?」

「だからって別にそれ以上でもそれ以下でもねぇからなあの野郎とは!ただの同居人!」

奈生巳は苛ついたようにそう云った
幾ら悪態をついても、木山への恩情は隠しきれていない
先程の木山の態度からも、見ず知らずのヤンキーを介抱し自宅に住まわせるほどの心情や懐の深さが窺え、2人の関係性を微笑ましく思ったユイはほっこりとした

「そうなんですね‥ふふ‥‥」

「笑うな」

「すいません。でも、おかしくて笑ったわけじゃないですよ!」

「どうだかよ。‥よし、シャンプー終わり。‥‥『お疲れ様でした』」

棒読みの労いにまた表情筋が緩みそうになったが、何とか堪える
再びスタイリングチェアに戻りクロスを羽織られると、木山が用意したリンゴジュースがテーブルに置かれているのに気付く
飲みながら携帯をいじり、奈生巳が準備を終えるのを待った

「おっしゃ、やんぞ。ザックザクに」

「‥‥“ざっくざく”はやめてください。宜しくお願いします」

奈生巳は悪戯に鋏を鳴らしたが、キャスター付きの椅子に腰掛けると真面目に散髪に取り掛かった
ロングピンでざっくりと毛束を分け、椅子毎ガラガラと移動しつつさくさくと鋏を入れていく
見習いとはいえ、慣れた手付きだった
自分の髪がぱらぱらと落ちていくのを眺めつつ、ユイは鏡の中の奈生巳を見ていた
ふとした拍子に目に入った奈生巳の指先は逆剥けが出来、荒れていた

───普段から練習してるのかな‥‥一生懸命だな

手荒れは美容師の職業病と云えるかもしれない
華奢な指先に鋏を従え真摯に挑む姿に、ユイは心が熱くなるのを感じた

「‥‥ナオさんて、後ろの髪‥‥えく、何とか?付けてるんですか?」

奈生巳は真正面から見るとマニッシュなショートカットだが、襟足部分が腰まで長く伸びているヘアスタイルだ

「エクステか?違う、全部地毛」

「へぇー!後ろだけ伸ばしてるんですね!綺麗な金髪だし、カッコイイ!」

「全然綺麗じゃねぇ。何度も染めてっから傷みまくってるし」

「染めるのとかって、木山さんがやってるんですか?」

「大体は。たまに、他の店員にもいじられてるけど」

「ふふ、ほんと似合ってますね!」

「うっせ。変なこと云うな。手元狂う」

「黙ってた方が良いですか?多分無理ですけど!」

「んだそれ。その所為で失敗しても文句云わねぇってんなら勝手に喋ってろ」

「じゃあ、そうしますね!」

散髪中、美容師に話し掛けられることを苦手とする客は少なくない
しかし、ユイが客の場合は美容師の方が辟易してしまう可能性の方が高くなる
奈生巳とて決して話すのが得意なわけではないのだが、木山が居なくなったことで生まれた余裕か、将又“予行演習”のつもりか
「よく喋るガキだ」と思いつつ、終始ユイの話に乗った

「ナオさんは、何で美容師さんになろうと思ったんですか?」

「‥‥施設でさ、月に一度『散髪の日』ってのがあって。外から美容師が来て、希望する奴は散髪してもらえんの。俺より小せぇガキらが結構喜んでてさ、特に年頃の女子が」

「へえぇー、それは嬉しいだろうなぁ‥‥ほんと、女の子なら特に」

「そうなんだよ。それに、こっちが行くんじゃなくて向こうが来るってとこに惹かれて」

「それが、木山さんだったんですか?」

「いや、違う奴。‥‥美容室なんて行く金もねぇし縁もゆかりもねぇと思ってたけど、俺もそんな風になれたらなぁ、とか‥‥‥」

「すげぇ良いと思います、そういうの!」

「あっそ。‥ってか、何云わせんだよ」

「ってぇ!」

照れ隠しからか、奈生巳はユイを軽く小突いた

 

菱和とも、こんな風に話していたのだろうか

二人が共に過ごしていた時、離れていた時を思うと、胸がちくんとする

奈生巳は菱和のベースや料理の腕がどれ程のものなのかを知らず、菱和も奈生巳が美容師になりたいという夢を持っていることを知らない
痛ましい事件さえ起きなければ、二人の友情は途切れぬまま今でも続いていたのではないだろうか

 

───そう簡単に壊れるようなもんじゃない。‥‥そう信じたい

擦れ違いごときで失くなってしまうほど、脆い絆ではない筈───そんな想いで、ユイは菱和の名を口にする

「‥‥アズから色々聞きました。中学の時のこと」

奈生巳は僅かに眉を顰めたが、すぐに気にしていないような素振りを見せる

「‥‥喧嘩っ早いチビがいるとか云ってたか」

「んーと‥‥そうですね、はい」

「んだとてめぇ!」

「違‥あ、アズが云ったんですよ!!俺じゃないです!」

「‥けっ」

「‥‥‥ほんとは“あの時”、アズとお話したかったですよね」

「‥‥別に。話すことなんかねぇし」

「またまた。素直じゃないですね、二人とも!」

「はぁ?一緒にすんなよ」

「一緒ですよ。アズだってナオさんと話したがってましたもん。‥‥中学の時、話せなかったことがあるって」

「‥‥、何だよそれ」

「アズに直接聞いてください」

「‥ムカつく。お前、俺らをどうしてぇんだよ」

「どうって‥‥友達だった頃に戻って欲しいだけです」

「ダチじゃねぇって」

「『つるんでただけ』、ですか?」

「あー、そーだよ」

「‥‥‥ぁああーーもう!ほらやっぱり!ほんとはめっちゃ気が合うくせに!」

「‥あ?」

「アズも同じこと云ってたんですよっ!アズとナオさんはめっちゃ相性ピッタリなんです、今のではっきりわかりました!素直じゃないし強情で意地っ張り!そのくせおんなじこと云ってるし、お互い照れてるだけ!そんなのとっとと取っ払って、早く元の仲良しに戻ってください!」

堰を切ったように思いの丈をぶつけるユイ
いっそのこと、殴られても良いとさえ思っていた
ユイが云ったことは事実に近く、何よりも奈生巳自身がそれを自覚しているようだ
しかし、苛つきこそすれ、手を出そうとまでは思っていなかった

「‥‥ほんとよく喋るなてめぇ。ただのチビだと思って油断してた」

「そうですお喋りなチビです。でも全部ほんとのことです。‥‥アズのこと、嫌いですか?」

「別にそういうんじゃねぇけど‥‥‥ただ───」

奈生巳は俯き、鋏を持つ手をだらりと垂らした

「‥‥‥‥‥プライバシーがどうの個人情報がどうのって、あいつが退院後にどうなったかって誰に聞いても頑なに云わねぇの。『俺“ら”にも云えねぇのかよ』って、あんときゃマジ最高にムカついた。あいつに対してっていうより、周りの大人に対して。この前はあいつにもムカついたけどな。‥‥元気でいたなら連絡の一つくらい寄越せよ、って」

 

───‥‥‥やっぱり‥‥淋しかったんだよね

云いたかったこと
云えなかったこと
理不尽な事情、憤怒、苛立ち、大人の思惑、疑問、後悔
奈生巳もまた、置いてきぼりの想いを抱えている
思い詰めたような顔の奈生巳を見遣ると、また胸が痛む
叶わないだろうと思いつつも、再会を、以前のような関係性を再び構築することを、心の何処かで互いに望んでいた
先日の再会はその結果なのだと、ユイはより確信する

「‥‥‥うん。そうなりますよね。‥‥だったら今、そう云えば良いじゃないですか」

「今‥‥?」

「アズに云いたいこと、あるんですよね?『何で連絡寄越さなかったんだ!』って。さっきアズにメールして終わる時間とここの場所伝えといたんで、あとで沢山お話してください」

「‥は?『あとで』?」

「実はアズにも、今日ナオさんに髪切ってもらうこと喋ってないんです。だから、ダブルサプライズです!もう少ししたら会えますよ!」

 

ユイはにこりと笑み、ピースサインをした
どうやら、先程は菱和に連絡を取っていたよう
奈生巳はきょとんとしていたが、ユイの斜め上の行動と今後の展開にみるみる青筋を立て、椅子から立ち上がり激昂した

「~~~~~てめええぇ!!なに勝手なことしてんだよっっ!!」

「だって、折角ナオさんと一緒にいるし、ちょうど良いかな、と思って!」

「だからって、心の準備ってもんがあんだろうがよっ!!何がダブルだこのクソガキ!‥あああーーーめっっちゃ腹立つ‥!もう、丸坊主にしてやんよ!!」

「わ、ちょっ、止め‥!!」

遺憾なくKYを発動するユイに食って掛かる奈生巳
悪びれた様子も見せないクソガキに、鋏を持って振りかぶった
数秒間の攻防戦の後、奈生巳は肩で息をしながら憤怒の形相でユイを睨み付けると椅子にドカリと座し、観念したようにポツリと尋ねる

「‥‥‥、ほんとに、来んのか」

「‥はい!新しい髪型、アズにいちばんに見せる約束してるんです!だから、ボーズじゃなくてカッコ良く仕上げてください!」

にしし、とはにかむユイ

無断で自分達を引き合わせようとしているなんて
中学時代であったなら、奈生巳はおろか、菱和でもとっくに張り倒しているかもしれない
しかし、先日の菱和はユイを庇う素振りを見せた
未だ嘗て遭遇したことがないタイプの不可解なキャラと、無愛想な菱和との関係を全く推し量れない

あの一匹狼をそこまで“手懐ける”とは
このチビは一体何者なのだろう
ただ、

───ムカつくけど清々しいな、逆に

「‥‥‥へ、ここへきてそんなプレッシャー掛けてくるとはな。‥上等だ」

髪を預けてくれたことへの感謝は勿論のこと
何より、これから現れるであろう菱和に生半可な出来を晒すわけにはいかない
程好いプレッシャーを与えられたことで俄然気合いが入り、奈生巳は最後まで真摯にユイの散髪を行った

拍手[0回]

5 “ナオミ”

暦は5月に
大型連休を控え、浮き足立つ学校内
思い思いに予定を立て、充実した日々に備える
ユイたちもご多分に漏れず、バンドの練習日などを話し合った

 

その日も、夕方からバンド練習を控えていた
明日は休日、加えてアタルもバイトが休みであり、練習後は久々に4人揃って菱和の自宅で夕食を摂ることになっている
集合時間まで、ユイはカフェで時間を潰していた
期間限定のさくらんぼを使ったフローズンドリンクに舌鼓を打ちつつ、今後の予定に思いを馳せる

───そろそろ亜実ちゃんの結婚式の曲もやらないとな‥‥あとアズが作った曲も、漸く詞書けたし‥‥‥‥あー、今日は何作ってもらおっかなー‥‥‥

ぼーっと考え事をしていると、突如、ガタンと大きな音がした
驚いたユイはドリンクのストローを咥えたまま肩を竦ませた
周囲も、その音に多少ビビった様子
気付けば、金髪で小柄な少年がニヒルな笑みを浮かべて目の前に座していた

「───よぉ。また会ったな」

目の前にいるのは、やけに見覚えのある少年の姿───

「あ‥‥‥“ナオ”‥‥さ、ん」

「‥‥何で俺の名前知ってんだよ」

奈生巳は、持っていたドリンクを乱暴にテーブルに置いた
奇しくも、ユイと同じドリンクだった

「あ、アズが、教えてくれたから‥‥」

「てめぇ、あいつのこと“アズ”って呼んでんのか」

「えと、はい」

「ふーん‥‥‥あいつがあだ名で呼ばせるとはな‥‥」

そう云って奈生巳は目を細め、ドリンクを啜った

強引で粗暴な相席に、流石のユイも気まずさを拭えない
しかし、持ち前の屈託なキャラで奈生巳に話し掛ける

「アズの、中学ん時のお友達ですよね?」

「トモダチじゃねぇ。つるんでただけだ」

 

『友達じゃねぇ。‥‥つるんでただけ』

何処かで聞いたことのある台詞は、以前菱和が語っていたもの

───おんなじこと云ってら。素直じゃないなぁ、この人も。アズと相性バッチリじゃんか

菱和と奈生巳が“仲の良い友達”だと思わざるを得なかったユイは、少し口の端を上げた
刹那、奈生巳の眼がきらりと光る

「何笑ってんだよ?」

「‥いえ!何でもないです!えと、ナオさんは今年、二十歳になるんですよね」

「だから何だ。そういうてめぇは中学生か?」

「‥‥‥‥高3です」

「へぇ。チビだからてっきり中坊だと思ってた」

奈生巳はニヤニヤし、自分のことを棚に上げてユイをおちょくった

───自分だって‥‥俺とあんま変わんないくらいのくせに

そんなことを口にすれば、菱和よりも強いらしい奈生巳に完膚なきまでにヤられてしまう可能性しかない
ユイは気を取り直し、話を続けた

「アズも、高校生ですよ」

「‥は?何云ってやがる?俺と同い年だぞ」

「2年間ダブって高校入ったんです」

「‥‥‥、ダブり‥‥?」

「大怪我してから2年後、18歳になる年からです。俺は2年でアズと同じクラスになって、今一緒にバンドやってます。もう1年になります」

「‥‥‥バンド‥‥?あいつ、楽器なんか出来たっけ‥‥」

「確か、“こっち”来てから始めたって‥‥」

「‥‥‥、楽器、何やってんだ?」

「ベースです。滅茶苦茶上手いですよ!」

嬉々として話すユイ
少しでも菱和の情報を伝えたい一心だった

「‥‥‥あいつが、コーコーセー‥‥ダブってまで‥‥‥しかも、バンド組んでるとか‥‥意外過ぎんだろ‥‥‥」

「‥、そうですか?」

「どっからどう見てもそういうタイプじゃねぇだろ、あいつは。典型的な一匹狼だった」

「確かに‥‥人付き合いは今でも得意じゃないみたいですけど」

「‥‥ふーん‥‥‥‥」

 

空白の5年
その間に菱和の身に起こった出来事は、奈生巳にとって正に奇想天外な事柄だらけだった
無論、菱和本人にとっても奇想天外なのだが、5年前の菱和を知っているからこそ、奈生巳の驚愕は計り知れない
奈生巳は暫く難しい顔をしていたが、“根っこ”の部分は変わっていないようだと感じ、表情を和らげた

「‥までも、謎が解けた。あいつとどういう関係なのかずっと不思議だったや。兄弟居なかった筈だよなー、とか。そっか‥‥同級生、なのな」

「そゆことです!正直、楽器やってなかったらここまで仲良くなれてなかっただろうけど‥‥」

「あだ名で呼ぶは一緒にバンドやるは、相当仲良いみてぇだな。‥‥この前も、お前のこと庇ってたし、な?」

奈生巳が眉の端を上げると、ユイは苦い顔をする

「あ、いや‥‥あれは、もしナオさんが昔と変わってなかったら、って‥‥」

「喧嘩でもするかと思ったか?もうそんな下らねぇことやんねぇよ。ガキじゃあるまいし」

「‥‥ナオさんは、今何やってるんですか?」

ユイに問われ、奈生巳はポケットから名刺ケースを取り出した
一枚抜き取り、ユイに差し出す

「“HairClub ASH”。‥‥美容師さん‥?」

「今は通信で勉強中。見習いの見習いの見習い」

「でも、名刺持ってるなんてすごい!」

「全然凄くねぇ。店長に『バラ撒け』っつわれてるだけだ。裏見てみ」

「‥“カットモデル募集”。なるほど‥‥」

「‥‥お前、暫く散髪してねぇな?」

そう云って身を乗り出し、ユイの前髪の毛先を触る
突然目の前に現れた顔と手にユイはびくりとしたが、奈生巳に敵意は無い
ただ、髪の状態を頻りに確かめているだけだ

「あ、ああ‥‥最後に切ったの、いつだったかな‥‥」

無頓着だな、と軽く溜め息を吐き、奈生巳は髪を触るのを止めて椅子に座り直した

「散髪したけりゃいつでも店に来な。カットモデルだったら金取らねぇし」

「‥タダで切ってくれるんですか!じゃあお願いしちゃおっかなぁ」

「っつっても、切るのは俺じゃねぇけどな」

「? どうして‥」

「まだ資格持ってねぇから。んなことしたら捕まっちまう」

「でも、友達の髪切ってあげてる人、友達にいますよ?そういう体なら、ナオさんが切っても良いんじゃないですか?」

「俺が切っても良いのか?しっちゃかめっちゃかになっても知らねぇぞ」

「そうなったらなったで!お願いしても良いですか?」

ユイはにこりと笑み、こくん、と首を傾げた
ユイが天然で“敢えてのKY”であることを知らない奈生巳は、自分の言葉をすっかり真に受け、剰え無資格の自分に依頼してきたことにすっかり面食らってしまう
菱和からどう伝わっているか定かではないが、少なくとも第一印象は“良い”とは云い難い筈だと思っていた
それがどうだろう、そんなものを度外視した屈託のない笑み───ただただ、ユイという“生き物”が極めて不可解に思えてならなかった

しかしながら、ユイの話を反芻しするとそういうことならば問題はなさそうだと思えた
第一、資格のない自分に髪を預けるような変わり者は今後この世に現れないかもしれない───

「‥‥‥、ちょっと店の奴と相談してみる。連絡先寄越せ」

「はい!」

ユイは携帯を取り出し、自分の情報を奈生巳に伝えた
登録を済ませると、奈生巳はぶっきら棒に携帯を返して寄越した

「‥よっしゃ。取り敢えず俺がやるやらない関係なしに連絡するわ。ちょっと待っとけ」

「‥‥てか、ナオさんの連絡先俺のに入ってないですけど?」

「んなの必要ねぇじゃん。知らねぇ連絡先から来たら十中八九俺だと思えば。‥‥あと、“さん”付けきめぇ。やめろ」

「だって、年上だから‥‥」

「年上ったって2歳しか違わねぇんだろ、アホか。そんなん歳の差にも入んねぇよ。‥今度会ったときに“さん”付けしやがったらグーパンだかんな」

奈生巳は軽く拳を突き出してから、飲みかけのドリンクを携えて去っていった

 

『年上ったって2歳しか違わねぇし、同じ高校2年生だろ』

また聞き覚えのある台詞───

「‥‥‥‥‥」

酷似した意見を持つ菱和と奈生巳
一体どんな中学時代を送っていたのだろうか
そんな思いを馳せつつ、ユイは奈生巳の後ろ姿を見送った

拍手[0回]

4 邂逅

4月中旬、とある週末
ユイと菱和は、“デート”に出掛けていた
今回は二度目の映画デートとなり、公開を迎えたばかりの話題作を鑑賞した
軽く食事を摂った後、映画の感想を語り合いながら街をぶらつく

「やっぱ、あの俳優さんサイコーだよね!いつ観てもイイ!」

「流石に老けてたけどな。でも逆にそれがいい味出ててんのかも」

「うんうん!今何歳くらいかなぁ?」

「確か70代だったような‥‥」

「うひゃー!頑張るなぁ!」

「結構身体張ってるよな」

「まだまだ頑張ってもらいたいねー‥‥」

話に夢中になっているユイはすっかり注意力散漫になっており、向かいから歩いてきた人物と擦れ違い様に肩がぶつかってしまった

「っと、すいませ───」

「ってぇな、何処見て歩いてんだこのクソッタレ。ぶん殴られてぇのかコラ」

咄嗟に謝罪したものの、ぶつかった相手は凄み、早口で捲くし立ててきた

見た目はユイと変わらないくらいの小柄な少年だが、青筋を立てて舌打ちをし、猫科の大型動物かのような眼光で鋭くユイを睨み付けている
その上、髪の毛は眩しいほどのド金髪───どこからどう見ても“やんちゃ”だ
怯んだユイは「謝り倒すしかない」と思い、繰り返し謝罪をした

「っごめんなさいっっ!あの‥」

「すいませんでした」

菱和が少年を遮るように、慌てふためくユイの前に立つ
その行動に少年は眉をピクリと動かし、今度は菱和にガンを飛ばし始める
体格差のある菱和相手にも、決して臆することはなかった

この程度の揉め事で喧嘩をすることだけは避けたい───

菱和は少年の視線を捕らえ、微動だにせず牽制を加えた

 

刹那、少年が目を見開いた

 

「──────‥‥お前、梓‥か?」

 

少年が、菱和に問う

ユイと同じほどの背丈
鋭い眼
粗暴な言葉遣い
喧嘩腰の態度──────

 

「───‥‥‥‥ナオ」

目の前の少年が誰であるかを思い出した菱和は、その名前を呟く

 

喧嘩でも始めてしまうのではないかと気が気ではなかったユイは、顔見知りであるかのような2人の態度にはた、と我に返る

「‥‥、知り合い‥?」

返事はなかったものの、互いに見詰め合う2人からそこはかとないノスタルジアを感じたユイは『この2人は知り合いである』と確信した

 

「‥行こ」

「え、でも‥‥」

「良いから」

「アズ、あ‥」

少年から視線を外した菱和は狼狽するユイの腕を掴み、その場から立ち去ろうとした
無言で少年の横を抜け、歩き出す

「‥おい!!」

少年が呼び掛けるも、菱和は振り返ろうとも歩みを止めようともしなかった

半ば引き摺られるように菱和の後をついていくユイは、後ろを振り返った
行き交う人々の中に、立ち竦む少年が呑まれていくのを見ることしか出来なかった

 

***

 

「ありがと、庇ってくれて」

「‥‥ああ」

「ちょっと、怖い人だったね」

「‥‥‥‥」

「‥‥、どしたの。大丈夫‥?」

「‥‥‥ん」

「どっか具合悪い‥?」

「‥‥いや」

「そっ、か‥‥」

“ナオ”という少年から離れ、数ブロックまで歩いてきた2人
何故立ち去ってしまったのだろうか、ユイには菱和の行動の意図が全く理解出来なかった
菱和はというと、どこを見るわけでもなく視線を落としていた
いつもの無表情とは明らかに違い、鈍感なユイでもその違いに気付くほど何か思い詰めたような面持ちだった
だが、そこから菱和の思考を読むことは出来ない

少年は一体誰なのか、2人の関係性は、立ち去った意味は───

「‥‥ね、“いつものベンチ”行かない?ちょっと休も」

訊きたいことは山ほどあれど、ユイは一先ずいつも2人で語り合っている公園のベンチへと誘った

菱和がほんの少し頷くと、今度はユイがその手を取って歩き始めた

 

途中、自販機で飲み物を調達し、ベンチに辿り着いた
菱和に「何でも良い」と云われて買ったホットの缶ココアを携え、並んで座る

「あったかいよ」

「‥‥ん」

まだ冬の風が若干残る、4月の空
暖かいココアが、その冷たさを和らげる
ココアを手渡されてもなお、菱和はただぼーっとどこかを見つめている

真意は読めぬままだが、ユイは何も云わずに菱和の手に自分の手を重ねた

「‥‥ったけぇ」

ユイの手の温みが伝わると、菱和は漸くその表情を緩ませた

「でしょ。って、ココアのお陰だけど」

ユイはにしし、とはにかみ、菱和のココアを開封して手渡した
ユイの気遣いに安堵を覚えた菱和は、薄ら笑いを浮かべた

「───‥‥‥、漸く落ち着いた」

「ん‥?」

「ちょっと、動揺しちまった」

「‥‥‥、さっきの人‥に?」

「二度と会わねぇだろうなと思ってたから。‥‥‥‥あいつさ、“奈生巳”っていうんだけど‥‥特別血の気多くてな。さっきも超喧嘩腰だったろ、謝ったのに」

「‥‥‥、誰?‥って、訊いても良い‥?」

「‥‥中学んときのダチ」

「わ、そうだったんだ‥‥」

「もし中学んときと変わってなかったとしたら、‥‥っつーか変わってなさそうだったから、お前に何するかわかったもんじゃねぇと思って、なるべく遠ざけたくて。‥‥ごめんな、びっくりしたよな」

やはり、2人は知り合いだった
菱和と“ナオ”の関係性と先程の行動の理由が判明し、ユイはほっと胸を撫で下ろした

「‥‥ううん。‥護ってくれて、有難う。“ナオミ”、さん‥‥って、男、だよね?」

「うん。見た目も名前も女っぽいけど、正真正銘男」

「前に話してくれた、アズよりも喧嘩が強い、人?」

「そうそう、そいつ」

「そっかぁ‥‥。会うの、久し振り?」

「5年振り。こっち来てからずっと会ってねぇ」

「それなら、ちょっとお話すれば良かったのに。仲良し、だったんだよね?」

「‥‥‥‥‥。‥‥あんま良い別れ方してねぇし」

「“良い別れ方”、って‥‥?」

菱和はココアを一口飲み、鎖骨の下辺りをとん、と指差した

「‥‥“ここ”刺された時にさ。‥退院するまでずっと面会謝絶だったんだ。警察とかカウンセラーも来てたし、こう見えて俺も情緒不安定んなってて。でもあいつ“ら”、毎日来ては看護婦とバトってたらし。『何で顔見ることも出来ねぇんだ』って」

荒れていた中学時代
菱和がどれほど劣悪な環境下に置かれていたかはユイの知るところではない
だが、話に聞いていた友人たちは一時は昏睡状態に陥るほどの重傷を負った菱和を毎日見舞うような人物であったらしい
菱和の友人たちの想いに、込み上げてくるものがあった

「‥‥‥、アズのこと、すげぇ心配してたんだね」

「よくわかんねぇ。ただの暇潰しだったかもしんねぇし」

「絶対そうだって。暇潰しで毎日お見舞いになんか行かないでしょ。素直じゃないなぁ」

「‥‥そうか」

ふ、と笑った後、菱和は話を続けた

「‥‥で、退院後伯母に引き取られることになったけど、意外とバタバタしちまって‥‥あいつ“ら”にその辺の事情何も話さねぇままこっち来ちまったんだ。だから‥‥」

菱和に、先程の思い詰めたような表情が宿る

きちんと礼を云いたかっただろう
顔を見て、別れを云いたかっただろう
置き去りになったままの想いが、今でも菱和の心に燻っている
菱和と友人たちの想いが、ユイの心にちくんと刺さる

「‥‥‥‥“さよなら”を、云えなかったんだね」

「‥‥薄情だよな。ほんと」

「ううん。そんなことない」

「‥‥‥何でそう思う?」

「だってナオミさん、めっちゃアズと話したそうだったもん」

「‥‥そうか?」

「うん。そういう顔してた。あの人は、アズのこと今でも友達だと思ってるよ。きっと」

その言葉は、自信に満ちていた
去り際の奈生巳の顔を見たユイだからこそ云える言葉でもあった

「‥‥お友達は、アズが急に居なくなっちゃって淋しかっただろうし、お別れも云いたかっただろうし、『何で一言云ってくれなかったんだ』ってなったと思う。俺も、お友達の立場だったら『わけわかんねぇ』ってなると思う。でも、その時はお別れを云えない事情があったし、仕様がなかったんだよ。お別れを云えなかったのはアズの所為じゃないから、ね」

ユイはこくんと首を傾げ、笑みを湛えて菱和の手をぎゅ、と握った

 

あの時はそうせざるを得なかったなんて
そんな事情も知らぬ存ぜぬのまま
逆の立場なら、苛立ちを覚えているかもしれない
置き去りになっているのは、自分の想いだけじゃない──────

ユイの言葉が、すーっと心に落ちていく

手の温みにひどく安堵した菱和は、一度だけこく、と頷いた

「‥‥きっとね、神様が巡り会わせてくれたんだよ。その時はそうせざるを得なかったっていうことも、今なら話せるでしょ」

「‥?‥‥‥‥ぶふ‥っ‥」

「え、なに‥何で笑うの?俺なんか変なこと云った?」

「いきなり“神様”とか云うから‥‥‥でも、一理あるかも」

「でしょ?結構説得力あったでしょ?」

「ああ‥‥っつーか、前に母親が似たようなこと話してたよ。『縁がある奴とは一度離れてもまた再会する』って。それって、そういうことなのかもな」

「ほら!お母さんが云うなら間違いないっしょ!」

「そっか‥‥ふふ‥‥‥。‥‥なぁ。お前なら、久々に会ったダチとなに喋る?」

「んー‥‥‥‥、まず、『元気だった?』って訊くよね。そんで、近況を喋る、かなぁ」

「そうか‥‥また会う機会があるかどうかわかんねぇけど、参考にするわ」

「ん!絶対また会えるよ!‥‥っていうかさ、俺と同じくらいだったね」

「ん‥?」

「背。アズが云ってた通り」

「ああ。チビなのは変わってなかった。案外背ぇ伸びなかったんだなー‥‥‥」

 

『お前くらい背の小せぇ、クソ生意気なチビ』

数十分前に初めて対峙した奈生巳と話に聞いていた中学時代の奈生巳の印象に、ユイはさほど差異を感じなかった

『もしまたあいつらと会うようなことがあんなら、思い出話の一つや二つ、出来んのかな』

旧友と再会した暁には、そんなことが出来ているように───以前ユイに過去を語った際、菱和はそうなることを望んでいた
此度の機会は碌に顔も合わせられなかったが、気持ちの整理がついた今なら
今度こそは──────

 

奈生巳は今も、菱和を友人の一人だと想っている筈

ユイは、そう願わずにはいられなかった

拍手[0回]

3 Tidigare problem

「‥‥転校生?そんな奴いたんだ」

「あら、ひっしーもプリント全部見てないパターン?」

「興味ねぇからな」

「ふふ、ひっしーらしいや」

バンド練習後、菱和の自宅にて夕食をご馳走になるユイと拓真
今夜の献立は、ロールキャベツだった
柔らかく甘みのあるキャベツに巻かれた鶏ひき肉の脂分がコンソメスープに溶け込み、胃にじんわりと落ちる
まだ寒さの残る今時季にはぴったりの、温かい食事だ
テーブルを囲み、件の転校生の話題に花を咲かせる

「俺らのファンって云ってくれたんだ!気も合うし喋りやすくて、すぐ仲良くなっちゃった!‥でね、アズにも紹介したいんだけど‥‥」

「それは構わねぇけど、良いのかよ」

「何が?」

「そいつがどんな反応するかまで責任持てねぇよ。初対面の奴は大体、引くか逃げるかのどっちかパターンだから」

「大丈夫だよ!『楽しみにしてる』って云ってたし!」

単なる社交辞令かもしれないのに───他人の言葉をほぼ直球で受け取るユイは今回も正にド直球
翔太の言葉にも何の疑いも持っていない
菱和はテーブルに頬杖をつき、少し項垂れた

「んな過剰に期待持たすなよ‥‥まぁ、努力はするけど」

「努力って?」

「俺はお前らみてぇに人付き合い得意じゃねぇからさ。初対面の奴と流暢に話すとかぜってぇ無理だから」

「流暢に話すひっしー、見てみたいなぁ」

「‥‥勘弁してくれ」

拓真の言葉に、菱和は苦笑いする

「‥‥拓真と上田に会った時の翔太の顔、めっちゃ嬉しそうだったんだ。正直、翔太があんなに喜ぶと思ってなかったんだよね。だから、余計嬉しかった。翔太に出会えたことも、仲良くなれそうだってことも」

翔太のことを反芻し、ユイははにかんだ
新しい出会いは、予想以上の感動を生んだよう
願わくば、菱和ともこの感動を共有したいと思っていた

───こいつのことだから、『どうせならみんなで仲良くしたい』って思ってんだろうな

ユイの心中を察した菱和は、ふ、と笑んだ

「‥‥お前のそういうとこ、すげぇ尊敬してる」

「へ?」

「いや、何でもねぇ。ダチが増えんのは、単純に嬉しいもんな」

「‥ん!」

満面の笑みを零すユイ
ユイの至極ポジティブな思考は、菱和にとっては最早尊敬の域にあるようだ

 

孤独とは程遠い賑やかさ
心底音楽に向き合えるバンド
冗談を云い合える友人の存在
振り返ればこの一年で菱和を取り巻く環境は劇的に様変わりしており、その全てはユイとの出会いが齎したもの
尊く、愛おしく、決して手離せられない大事なものだ

「‥‥お前に絡まれてからもう一年経つのか。早えぇな」

菱和は感慨深そうに呟いた

「あ、そっか!そうだね!」

「ほんとだ。早いなぁ」

「なんか、嘘みてぇ。去年の自分に『ダチに手料理振舞ってるぞ』っつってもぜってぇ信じねぇわ」

「ははは。今や、こうしてバンド後にゴハンご馳走になる仲になったんだなぁ。色々作ってもらって、大感謝っす」

「いえいえ。こちらこそ、作らしてもらって感謝ですわ」

「ねぇねぇ、初めてアズんち来た時食べたもの覚えてる?」

「カルボナーラ。忘れるわけないっしょ、超美味かったもん」

「ね!めっちゃ美味かったよねー‥‥」

話題は食事のことから、次第に出会いから現在までの経緯や思い出話にシフトしていく
ユイと拓真が帰宅する頃には21:00を回っていたが、話を続けていれば日の出を迎える時間になってもおかしくないのではというほど話題が尽きなかった

 

***

 

翌日
ユイは休み時間もこまめに翔太と接し、親睦を深めていた
昼休みに入ると、小脇に弁当を抱えた拓真がユイを呼びに来た

「ユーイ。上、行くしょ?ひっしーと上田もう行ってるよ」

「わかった!翔太も行こ!」

「どこ行くの?」

「屋上!俺ら、去年から屋上で昼食べてんだ!」

「へー。この学校、屋上行けるんだ。ってか、俺も行って良いの?」

「勿論!あ、うちのバンドのベーシスト紹介したげる!」

「え、マジで!?」

翔太は顔色を変え、意気揚々とユイと拓真の後をついていった

 

「アーズっ!」

先に屋上に来ていた菱和と上田は、扉の開く音とユイの声に揃って反応した
ユイと拓真の後ろから、翔太が顔を覗かせているのが見えた

「お。翔太も連れてきたのか」

「‥‥、例の転校生か?」

「そうそう。ユイ、お前のこと紹介したいって張り切ってたぞ」

上田は菱和の問いに答えながら、軽く手を振った

「わ、わ、ベースの菱和くん‥!」

菱和の姿を捉えた途端、翔太の挙動はそわそわし始める

「え、緊張してるの?」

「するでしょ、普通!ああー、本物だぁ‥!」

「大丈夫だよっ!アズ、昨日話した転校生、翔太!」

ユイと拓真に宥められながら菱和の下へ向かう翔太
菱和を前にすると、一気にハイテンションになった

「うわぁ、間近で見るとめっちゃ迫力ある!!ほんと、背ぇ高いですね!!俺、俵 翔太って云います!」

「‥‥どーも」

引きもせず、逃げたそうな素振りも無い
予想外の反応に圧倒された菱和は拍子抜けしてしまい、素っ気ない返事と会釈しか出来ずにいた
すかさず、横から上田に肩を叩かれる

「んもぅ、ブアイソなんだからー。なんかこう、もうちょっとリアクションないのー」

「‥俺、“コミュ障”だから」

「っぶはははっっ!!!コミュ障の奴が、何で俺らとつるめるんだよ!」

「お前らのコミュ力がぶっ壊れてんだろ」

「あらそーですか。翔太、ごめんねー。こいつ、無表情でブアイソなのがデフォだからさー」

「いえ、イメージ通りです!めっちゃクールでシビれます!」

菱和が無表情で無愛想であることを、翔太は意に介さなかったようだ
寧ろイメージ通りだったらしく、菱和の態度にも感激の様子

「んじゃま、飯食いますか」

「翔太、こっち来なよ。親睦図ろうぜー」

「宜しくっす!お邪魔します!」

「頂きまーす!」

5人は輪になり、漸く昼食を摂り始めた

 

新たな仲間が増えた屋上での昼食は、変わらず賑やかだった
食後、ユイ達が談笑を続ける中、菱和は柵に寄り掛かってぼーっと景色を眺めているといういつもの構図が出来上がり
ユイは徐に菱和の横に行き、同じように柵に寄り掛かった

「‥翔太、どう?」

「‥‥‥‥お前がもう一匹増えたみてぇ」

「どういう意味?」

「一年前のお前も、あんな感じだった」

「‥‥、それって、良いの?悪いの?」

「さて、どうなんだろうな」

「‥意地悪っ!」

口の端を上げる菱和に、ユイは唇を尖らせた

 

ふと、上田は翔太がある一点を傍観していることに気付く
翔太が見つめる先には、アンバランスな2人が並んでいる

「‥どーしたん?翔太」

翔太は顔を上げ、小声で今の心境を吐露した

「‥‥、菱和くんって、みんなと全然キャラ違うなぁ‥って。ライヴで何度か観てるけど、あんまりワイワイするの好きじゃなさそうなタイプだと思ってて‥‥‥みんなと一緒に居るのが、凄く不思議な感じがする」

翔太が抱く菱和の印象は、嘗ての菱和そのもの
普段から菱和と接していない人間からすれば、翔太のような印象を抱くのは無理もない話だ
メッシュにピアス、近寄り難そうな雰囲気を纏っているのは変わらず
ユイ達と過ごすようになってから一年経った今も、特別バカ騒ぎが好きになったわけではない

「傍から見りゃそうかもなぁ。‥‥でも、結構面白い奴だよ。見た目あんなだけど、しっかりしてるし」

上田の言葉に、拓真が軽く頷く

一年時、同じクラスだったにも拘わらず、滅多に登校していなかった菱和とは一度も接することが出来なかった
二年になってから漸く菱和の人間性を知り、それは『こんなことならもっと早く仲良くなっていたかった』と思わせるほど魅力的だったよう
上田は、菱和の“魅力”に取り憑かれた人間の一人なのだ

親しげに話しているユイと菱和をゆったりと眺め、翔太はぽつりと呟いた

「‥‥、ユイと一緒にバンドやってるくらいだから、良い人なんだろうね」

「そりゃもう。俺と同じくらい男前よん」

「わ、うっっっざ」

拓真は、ドヤ顔の上田に強烈に突っ込んだ

拍手[0回]

2 再会

「改めまして‥‥俵 翔太です。宜しくね」

「“タワラ”って、変わった苗字だね!俺、石川 唯!みんな“ユイ”って呼ぶから!」

「“ユイ”」

「ん!しかしさぁ、すっげぇ偶然だよね!こんな形でまた会えるなんて!」

「ほんとだね、俺もびっくりしてる。ってかさ、流石、バンドやってるだけあってよく通る声してんね」

「いやぁ、それほどでも!」

ホームルームの終わりと共に全校生徒が体育館にて行われる始業式に参加し、再び教室に戻ると休み時間に入る
ユイと翔太は、早速再会を喜んだ
他のクラスメイトもわらわらと集い、先程の大絶叫の謎が解き明かされることとなった

その後は委員決めや席替え等の時間に割り振られており、残りは自習という名の自由時間だった
ユイは再び翔太や他の同級生との雑談に耽り、そのまま下校の時間を迎えた
帰り支度をしながら、ユイが尋ねる

「翔太、どこに住んでんの?」

「日吉町だよ」

「そっかー、うちとは逆方向だなー。日吉ってことは、バス通?」

「うん。ユイは?」

「チャリ。雪降ったらバス」

「なるほど。‥‥今度さ、時間あるときどっか遊び連れてってくんない?まだどの辺に何があるか全然わかんなくてさ」

「うん!良いよ、行こう!‥てか、部活は?やんないの?」

「やらないかなぁ。今入部しても、すぐ引退になるでしょ」

「ああ、そっか」

「ユイは?バンドやってるから軽音部?」

「‥惜しい!“バンドやってるから”、帰宅部!」

「あああー、そっちだったかー」

早くも打ち解ける二人
互いのキャラクターがマッチしているようだ
一昨日の出会いから僅か一日足らずの再会は、正に“運命”と云っても過言ではないのかもしれない
翔太がそう云ったように、ユイもそう感じていた

 

「ユイー、帰ろー」

和気藹々と話をしていると、拓真が教室の外から顔を覗かせユイを呼び掛けた
拓真の横には、上田も居た

「今行くー!‥ね、翔太!ちょっと来て!」

翔太は、鞄を抱えて拓真たちの下へ向かうユイの後を着いていった

「えっと、拓真と上田!転校生の、翔太だよ!」

ユイは即座に翔太を紹介する
途端に、翔太の目が輝き出した

「‥!Hazeのドラマー‥!と、SCAPE GOATのメンバー!?同じ学校なの!!?」

「え、俺らのこと知ってんの?」

「知ってるも何も、俺マンスリーめっちゃ観に行ってるから!HazeもSCAPE GOATも推しバンド!うひゃー、超感激!俵 翔太です、宜しく!」

興奮度マックスの翔太は、2人に握手を求めた

「それはそれは‥‥どうも有難う。俵くん、だよね。3組の佐伯です」

「4組の上田くんでーす。噂の転校生でしょ?もう仲良くなっちゃったの、ユイってば」

拓真と上田は気さくに挨拶し、それぞれ翔太と手を握り合った

「でね、実は俺らさ、今日が初対面じゃないんだ!」

「え、そうなの?」

「一昨日のマンスリーで、ね。トイレのとこでまたまた会ったんだ」

「うわお、すげぇ偶然じゃん。一昨日会ったばっかのカレが、まさかの転校生だったの?」

「そうそう!また会えるかなーなんて喋ったばっかりなんだよ!一昨日は名前まで聞いてなかったから、翔太が教室入ってきたとき思わず叫んじゃった!」

「‥‥やっぱりホームルームのときの大絶叫はお前だったのか」

「え、聴こえてた‥?や、あんまりびっくりしたもんだからさ、つい叫んじゃって‥‥」

「ユーイ。いちばんびっくりしたのは翔太くんなんじゃないのー?」

「まぁ‥‥思いっきり指差されたし、一瞬時間止まったよね」

「ああ‥ほんとごめん‥‥」

「ううん。俺のこと覚えてくれてて、すっげぇ嬉しかったよ」

にこりと笑む翔太
指を差されたことで気分を害したどころか、自分がユイの印象に残っていた感動の方が勝っていたようだ
そんな翔太の第一印象は、拓真と上田にとっても“良い”と思えるものだった

 

「───てか、上田。アズは?」

「ん?そういや俺が教室出てくるときにはもう居なかったような。トイレじゃね?」

「あ、そう‥‥‥あんね翔太、上田と同じクラスにもう一人バンドメンバーが居るんだ」

「‥ベースの人?」

「うん、そう」

「あの人もここの学校だったんだ、てっきり赤い髪の人くらいの年だと思ってた」

「ふひひ。見た目老けてるからなぁ、菱和は」

「聞ーいちゃった、聞いちゃったー。ひっしーに、云ってやろー」

「あっ、たっくん、ダメっ!」

「折角だから、アズのことも紹介したいなぁ‥‥」

「終わったらここ通るんじゃない?ちょっと待ってようか。俵くん、時間大丈夫?」

「うん。全然平気」

「じゃあ、菱和が来るまで親睦深めてようぜ。なぁなぁ、翔太はさー‥‥‥」

上田はもう翔太を呼び捨てにしている
四人は暫し談笑し、菱和が訪れるのを待ったが、一向に現れる気配はなかった

用を足すにしては些か時間が掛かりすぎている
既に下校している可能性の方が高いかもしれない───そう思った矢先、ユイの携帯にメールが届いた
送り主は菱和で、画面には「先帰る」とだけ記載されていた

「‥アズ、先帰っちゃったみたい」

「なんだ。トイレじゃなかったのか」

「んじゃま、ひっしーの紹介はまたの機会にってことで」

「そー、だ、ね‥‥」

ユイは少し肩を落とし、溜め息を吐いた

「‥なんか用事あったのかもよ。俺らも帰りましょ」

拓真はフォローしつつ、ユイの背中を軽く叩いた

「‥‥うん。‥翔太、そのうち紹介するから。うちのベーシスト」

「有難う。楽しみにしてる」

「じゃ、行こうぜー」

4人は揃って玄関まで行き、それぞれの手段で帰宅の途に着いた

 

***

 

拓真の云う通り、用事があったのかもしれない
もしかしたら、急に体調を崩してしまったのかもしれない
色々と憶測をしてみてもただヤキモキするだけ
帰宅後、何も云わずに帰宅してしまった菱和の行動が気になったユイは「具合はどうか」という内容のメールを送った
程無くして、着信音が鳴る
すぐに返信が来たことに一先ず安堵し、メール画面を開いた

『元気だよ。どうした?』

そこから、暫しやり取りが続いた

「明日、一緒に帰れる??」

『うん。一緒に帰ろ』

「掃除終わったら4組行くね(^^)」

『どこ掃除?』

「教室♪」

『じゃあ俺が行くよ。多分時間かかるから』

「どこ掃除??」

『旧校舎の階段』

「そんなとこ掃除するんだね、知らなかった(^^;」

『俺も初めて知った。だから、待ってて』

「わかった、待ってる(*^^*)あのさ、今日、なんか用事あった?先に帰っちゃったから、気になってたんだ」

『野暮用。言うのすっかり忘れてた。あとちょっと急ぎだったから。ごめん』

「そっか良かった(*´-`)具合悪くなったのかなってちょっと心配だった、何でもないなら良かった(*^^*)」

『心配かけた?』

「ちょっとだよ、ちょっと心配になっただけ(^^;」

『そっか。ありがとう。あとで梅サイダー奢る』

「(*≧∀≦*)ラッキー★☆★」

『スタジオ終わったら、うち来るよな?』

「行きたい!行く!」

『じゃあ、晩飯何食うか佐伯と一緒に考えといて』

「うん(´∀`)b 決まったらまた連絡するね♪」

 

野暮用があったことを伝え忘れていただけ、体調を崩したわけでもないよう
夕方にはバンドの練習があり、数時間後には否でも応でもsilvitで菱和に会える───それまで、自宅でギターを弾きながらのんびり過ごした

拍手[0回]

1 NYSTART!

新学期前日───

昨年同様、クラス発表を見に学校へと赴くユイたち
拓真とリサは勿論、今年は菱和、上田、更にカナも加わっている
単純に、昨年の倍の人数である

待ち合わせをした学校近くのコンビニに全員が集まり、特に購入するものがあるわけでもなしに店内を物色しつつ暖をとる
恐らく同様の魂胆であろう学生がちらほら
店内の温みを名残惜しく思いつつも、ユイたちは学校へと向かった

通い慣れた通学路を進むと、校門が見えてくる
校舎へ続く道則の傍らには、開花を待ち侘びる桜や木蓮の木々
冬と春の匂いが混ざる、4月の前半

風はまだ冷たいが、“いつものメンバー”に囲まれている所為か心は暖かい───

ユイも、校内に植えられた木々のように新学期を待ち遠しく感じた

 

校舎へ入り、ある一室にてプリントを受け取る
各自、新学期にあたっての注意事項と、自分の氏名が記載されているクラスを確認した

高校二年時点で行われた文理選択の結果、ユイ以外の面々は文理系クラスに、ユイは文系クラスに配置されていた
早速、その話題で賑わう

「ユイは、2組か」

「うん!文系は1組か2組のどっちかしかないもんね!二分の一!」

「え、ユイ文系にしたん?」

「うん、だって数学超苦手だし!進学のことも全然考えてなかったからさ、別に良いんだ!てか、俺以外みんな文理系?」

「そー‥‥みたい、だな」

「文理って3組から5組までだっけ。‥‥あ。カナちゃん、俺らまた同じクラスみたい。3組だ。宜しくね」

「‥ぁ、ほんと!こちらこそ、宜しく!ユイくん、隣のクラスだね!」

「ししし、教科書借りに行くわ!」

「こらこら。忘れる前提でいるなっつの」

「菱和、“運命の再会”だなっ!俺ら4組だってよ!」

「‥‥ああ」

「あっ、何だよもっと嬉しそうな顔しろよなっ!!‥‥‥近藤サンも、宜しくね」

「‥‥うん、宜しく」

「樹。リサに変なことしたらあんたの命無いからね」

「まだ何もしてねぇじゃんっ、てかするつもりもないし!」

「ま、ひっしーもいるから大丈夫なんじゃない?」

「菱和くん。樹のこと、見張っててね」

「任せろ」

「んだよ、おっかねーなぁ‥‥一年以来の“おなクラ”だってのによー‥‥」

「ふふ‥うん‥‥“今度”は、仲良くしてください」

「‥んふっ、当然っしょ!!」

 

かくして、上田は一年振りに、リサは2年連続で菱和と同じクラスになった
そして、拓真とカナが再び同じクラスという配置だった

時刻は正午前
学校を後にした6人は、連れ立ってファミレスへと向かった
大皿の料理を皆でシェアし、デザートまで堪能した
昼食を摂ると今度は街へ繰り出し、雑貨屋やゲーセンなどを渡り歩いた
“おやつの時間”には、パナシェでクレープを食した
結局、6人は夕方過ぎまで遊び回った

 

こんな時間は、“お昼休み”以来

新学期が来ても、明日からもきっとこんな調子なんだろうな──────

全員が全員、そう思っていた

 

***

 

新学期

 

自転車通学のユイと拓真
バス通学のリサ、カナ、菱和、そして上田
皆学校に揃い踏み、まずは朝の挨拶を交わす
それぞれ鞄を置くと教室から出、ホールへと集う

「ね、明日から早速、お昼は屋上行く?」

「うーん、来週からで良いんじゃない?まだ寒いと思うよ」

「‥‥でも、早速屋上に行きそうな奴が約一名いらっしゃいますなぁ」

「へ?誰??」

「‥‥‥」

「‥‥‥‥」

「‥‥‥‥‥、‥‥俺‥?」

「‥ぶはっっ!!何だよ今のリアクション!お前しかいないっしょ!!」

「え、ひっしー、明日からもう屋上?」

「‥‥の、つもりだったけど」

「じゃあ、俺もー!」

「多分、寒みぃぞ」

「アズが行くなら、俺も行く!パーカー着てれば大丈夫っしょ!」

「‥‥そ」

「なーんだよ、結局そうなるんか‥‥じゃ、俺もー。当然、たっくんもねー」

「俺は別に、どっちでも」

「たっくーん、キミには協調性ってものが無いのかね?」

「お前にだけは云われたくない」

談笑の途中、予鈴が鳴り響いた
「また後で」と軽く手を振り合った後、ユイたちは各自の教室に戻って行った

 

ユイの教室、3年2組
苗字が“い”から始まるユイの出席番号は2番で、席も前から2番目
着席すると、以前同じクラスだった同級生と席が近くである
暫し雑談していると、担任が入って来た
今年度の担任は、日本史を受け持つ40代半ばの男性教師だ

「早速なんだが、この春からこの学校に来た新しい仲間がいる。縁あって、このクラスで一緒に過ごすことになった」

担任の一言に、教室はざわめく
大半の生徒は「待ってました」という反応だったが、ユイは軽く首を捻る
そして、後ろの席の同級生に小声で尋ねた

「‥ね、転校生ってこと?何でみんな知ってんの?」

「プリントに名前書いてたよ。見たことない名前だったから転校生なんだろうなと思ってたけど」

「そー‥な、の?」

「見てないの?プリント」

「う、うん。あんまり‥‥」

「ぷっ‥‥流石は石川。でも、そいつの名前んとこに“転校生”って書かれてたわけじゃないからな」

ユイに親切に説明する同級生は、プリントをじっくり読んでいなければ転校生の存在などわからないであろうとフォローしつつ、くすくす笑った

「入って」

担任に促され、転校生が入ってくる

 

「───あああああ!!!!!」

ユイは突然席から立ち上がり大絶叫し、不躾にも転校生を指差した
教室全体がその声に驚き、一斉にユイに注目する
担任と転校生も含め、3年2組は数秒間、時が止まった

「‥石川‥‥どうした‥?」

「あ‥‥いや‥何でもないで、す‥‥‥」

ユイは担任からの呼び掛けに漸く我に帰り、赤面した後ゆっくりと着席した
次第に、くすくすと笑い声が聴こえてきた
担任は咳払いを一つし、仕切り直す

「えーと‥‥じゃあ、自己紹介して」

「‥はい。初めまして、俵 翔太です。この街に引っ越してきたばかりなんで、色々教えて欲しいです。宜しくお願いします」

にこやかに自己紹介をした転校生が軽く会釈すると、今度は拍手が響く

 

『───どうせまたすぐ会えるよ』

 

───‥‥びっくりした。“こんなこと”って、あるんだな

そろりと顔を上げ、転校生を見遣る

見間違いではない

一昨日のマンスリーライヴで意気投合した少年の姿が、そこにあった

 

翔太はユイの視線に気付くとにこりと笑み、腰の位置で小さく手を振った
やはり、同一人物だ

「‥‥知らなかったんじゃなかったの?」

「‥‥、知らなかったよ」

「じゃあ何なの、今のリアクションは?」

「‥‥あとで説明する」

後ろの席の同級生に肩をつつかれながら尋ねられるも、未だ驚愕に支配されているユイはそう云い放つのが精一杯だった
にこやかに笑む翔太に、おずおずと手を振り返した

拍手[0回]

166 布石

合宿も受診も無事に終え、始業式を明後日に控えた日
ユイは晴れ晴れとした面持ちで、バンドメンバーと共にマンスリーライヴの会場にいた

ここ数ヶ月の間欠席続きだったマンスリー
合宿に出掛けていたこともあり、練習時間が十分に取れないと踏んだHazeの出演は今回もお預け
演奏者としてではなく観客としての参加だったが、久々のライヴハウスに心は躍る

演者の中にはSCAPEGOATの面々、“BLACKER”との諍いの際に“お世話”になった高橋を擁する“WINDSWEPT”の姿もあった
対バン仲間との久し振りの再会に終始はしゃぎまくるユイや拓真、そしてアタル

 

「そっか、合宿行ってたのな」

「そーそー。春休みの恒例行事なの」

「たけちゃんがいるときからずっとだもんな」

「っつーか、めっちゃ楽しそうだよな!楽器弾きまくって、酒も飲んでってか?」

「カップラーメンもね!今回はチョコ味の焼きそば買って、あっちゃんが当たったんだよ!」

「流石だな、のせ。籤運の良いこって」

「バカ野郎。あんなとこで使う運じゃねぇっつの」

「菱和くんは初めてだったんだよね」

「‥‥はい」

「ひっしーってばさ、めっちゃ腕振る舞ってくれたから、ゴハンには困らなかったよ」

「ほんとな。サイコーだったぜ」

「え、なに、菱和くんて料理するの?」

「おう。コイツ、こんな形してっけどベースと同じくれぇ料理上手ぇんだよ」

「っマジかよそれ!!ね、今度なんか食わしてくんない!?」

「いつでも大歓迎す」

「よっしゃーっ!!じゃあ俺、パエリア食いたい!」

「俺は天麩羅が良いなぁ」

「俺はー、えーと、えーと‥‥‥‥何でも良い!」

「なにラピュタのアンリみてぇなこと云ってんだよお前」

「だぁってよ、ベースと同じくらいっつったら、相当上手いってことだぞ?」

「‥‥、人並みすよ」

「全っっ然人並みじゃないから!てか人並み以上だから!ね?」

「ああ」

「うん」

「ほらなー!あー楽しみ過ぎんぜー!」

「菱和くん、楽しみにしてるね」

「はい。俺も楽しみにしてます」

菱和も、自然と輪の中に巻き込まれていった
この界隈ではガラが悪いことで有名なSCAPEGOATとWINDSWEPTのメンバー
銀メッシュの長身男が一人紛れている程度、彼等を知らない周囲の人間も「奴もメンバーのうちの一人だ」と何の疑いも持たぬほど馴染んでいる

「‥‥で?合宿の成果はどうだったの?」

「上の上の上、だな」

「うは、そんな良いもんだったんか」

「ひっしーがね、曲作ってきてくれたんだ。それがまた滅茶苦茶良くってさー」

「マジ!?菱和くん、曲も作れるんだ!」

「や、昔遊びでやった程度なんでまだまだ‥‥」

「なーに云ってやがる、てめぇは」

「誰が歌うん?あっちゃん?」

「いや、こいつ。こいつが作詞の英訳済ませりゃ早々に御披露目出来ると思う」

「ゆっちゃんが歌うの、珍しいなぁ!」

「大役じゃーん、ユイユイ」

「ねぇ‥‥もぉ、毎日辞典引いてるから頭痛くなりそうで‥‥」

「頑張ってるね」

「早く聴きてぇな!」

「対バンすんの楽しみにしてるぜ」

ハジや高橋が肩を抱いたり頭をくしゃくしゃに撫で回し、ユイはもみくちゃになった
だが、その顔は終始楽しげだった

───久し振りだ、こういうの。楽しいな

 

バンドをやっていなければ、楽器を弾いていなければ、全ての出会いは無かったかもしれない
対バンが叶わず残念がり次の機会を歓迎してくれる仲間の姿に、ユイは頬が綻びっぱなしだった

いつでも最前列で見守っていてくれる幼馴染み、完全無欠のリーダー、頼りになるマブダチ、そして“大事な人”───ちっぽけな自分を取り巻く全てに救われているのだと、改めて実感する
それは大きな糧となり、バンドとしても個人的にも更なる飛躍を目指す原動力となる

自らの、そしてバンドの未来に、大いなる期待を抱かずにはいられなかった

 

バカ騒ぎは続く
沸き立つオーディエンスはヘッドバンキングをしたり、サークルを作ってぐるぐる回り出す
Hazeのメンバーもその中に紛れ、SCAPEGOATやWINDSWEPTの曲を最前線で愉しむ
いつまでもこの空間に居たくなると思わせる熱気に塗れ、演者と共に昇りつめる

 

***

 

此度のライヴに出演していないのにも拘わらず、ちゃっかり打ち上げに参加することとなったユイたち
まだ春休み中だ、もう少しくらいバカ騒ぎを続けても良いだろうと誰もが思っていた

演者たちが片付けを進めている隙に、ユイは用を足しにいそいそとトイレへ向かう
その途中、擦れ違い様に誰かと肩がぶつかった

「っと、すいません」

「───あ、Hazeのギター‥!」

 

咄嗟に謝り振り返ると、同じく振り返った相手はユイを凝視した
どうやら、ユイのことを知っているよう
目が合うと至極嬉しそうな笑みを零し、興奮してその場で躍り跳ねた

「やべぇ!!こんなとこで会えるなんて!マジラッキー!!しかも今日出演してなかったよね!?うわぁ、これって運命ってやつ?」

初対面で“ラッキー”“運命”などと思わぬことを云われ、相手の興奮にすっかり取り残されたユイは反応に困ってしまった

「え、えと、あの‥‥」

「あ‥ごめんごめん。‥俺、結構マンスリー観に来てて。君の顔すっかり覚えちゃった。Haze、俺の推しバンドだからさ」

 

ぶつかった相手は、Hazeの一ファン
短髪に眼鏡、ロンTにジーンズとラフな格好をした、恐らくユイたちと同世代であろう気さくな少年だった
Hazeのメンバーであること、ギター担当であること、今回は出演していないことまでも知っており、更には“推し”であることまで伝えられたユイは、素直に感謝の気持ちを述べた

「え、ほんと!有難う!!」

「最近マンスリー出てなかったよね?今日こそは観られるかなーなんて思って来たんだけどさ」

「あ、うん‥‥ちょっと、色々あって‥‥」

「そうだよね。色々事情あるよね、きっと。赤い髪の人は年上でしょ?社会人?年齢層が違うメンバーがいると、練習するのもライヴ出るのも大変なんだろうなー‥‥って思ってたんだ」

「今んとこそんな大変でもないんだけ、ど‥‥」

「そうなんだ?‥俺は演奏してるとこしか観られないけど、他のバンドもきっと時間作って沢山練習とかしてんだろうなーと思うとさ、こう、胸がアツくなるっていうかさ。嬉しくなるんだよね」

「その気持ちめっちゃわかる!今日は友達のバンドが出てたんだけど、やっぱ滅茶苦茶上手くて、みんないつ練習してんだろうなー?とか思っちゃった!」

「ふふっ。他のバンドもマンスリー常連さんばっかだったもんね。お友達のバンドって、どれ?」

「SCAPEGOATと、WINDSWEPTだよ!」

「うわ、マジで!?あの2バンドも俺の推し!」

「! ほんと!」

「うん!Hazeと同じくらいめっちゃ大好き!」

本来の“目的”をすっかり忘れ、ぶつかった相手と意気投合するユイ
初対面で馬が合ったこともさることながら、演奏面だけでなくそのバンドの背景にまで思いを馳せてくれるファンがいるのだと思うと、“益々精進せねば”と奮い立つ

暫し立ち話をしたところで、少年はふと顔を上げた
見上げた先には、トイレの表示───

「ってか、トイレ行くとこだったんだよね?呼び止めてごめんね。会えて嬉しかった。有難う」

「こちらこそ!‥また会えると良いね!」

ちょっとした偶然が及ぼしたこの出会いを大事にしたいと思ったユイは、『その言葉が現実になるように』と想いを込めてにこりと笑った
少年もふ、と笑む

そして、含みを持った声でポツリと呟いた

 

「───どうせまたすぐ会えるよ」

「へ??」

「‥ううん、何でもない。じゃあ、またね」

「うん、またね!」

少年は軽く手を振り、その場を後にした
ユイは、彼の姿が見えなくなるまで大きく手を振り、見送った

 

『───どうせまたすぐ会えるよ』

彼が云ったその言葉は『きっとまたライヴで会える』という意味だと、ユイは信じて疑わなかった

自分達を観てくれている人間がいる───その事実に胸は躍り、『マンスリーに出たい』『ライヴをやりたい』という気持ちが逸る

ふと身体が震えたユイは、急いでトイレへ駆け込んで行った

 

 

 

 

NEXT→[Haze.Ⅱ]

拍手[0回]

165 psykosomatisk medicin

がらんとした診療所の待合室に、足を投げ出してソファに座す長身の男
暇潰しにと適当に手に取ったのは、料理雑誌
パラパラ捲ると、“主婦”と野次られたことを思い出し、仄かに苦く笑む

 

遡ること一週間前───

ユイの父・辰司は、心療内科の予約を取った旨を合宿から帰ってきたユイに伝えた
“家族会議”の際に、辰司と尊が提案したカウンセリングの為の受診となる
了承したユイが打ち明けると、菱和は「付き添う」と即答した
カウンセリング初経験のユイにとってはとても心強く、有難い話だった

予約の時刻は14:00
二人は軽く昼食を済ませ、来院した
早々に受け付けを済ませたものの、そこから名を呼ばれるまで30分ほどを要した
ソーシャルワーカーによる診察前の主訴、生育歴の聞き取りが行われ、20分ほどで面談室を出る
そこから更に一時間近く待ち、漸く診察室へと促された

 

幼い頃に受けた傷は水面下では癒えておらず、押し込められていた忌まわしき記憶は小さな身体に多大なストレスを与えた
いつまた牙を剥くかわからない
心の問題は複雑で、短時間で解決出来るものではない
漠然とした不安を抱えていたものの、ワーカーもドクターも終始柔和な態度で、安堵したユイは“話を聞いてもらえること”に価値を見出だし、心に留まる疑問をあれこれ質問しまくった
幼少期の一件が原因ではあるものの、ユイのケースは所謂“病的”なものではなく“葛藤”に近いものだと明確に提示された
不安への対処が上手くいかなかった場合に備え、それ相応の薬の処方も可能だと提案され、“逃げ場”があることに更に安堵する
ユイはその“逃げ場”を心の拠り所にすることとし、それまでは自分なりに自分を見つめ直し、家族や友人の力を借りて対処の方法を模索すると決めた

『解決を急がず、あるがままの自分を受け入れること』

当たり前のようで困難だが、それが、ドクターと共に導き出したユイの結論だった

 

30分後
診察を終えたユイが面談室から出てきた
どことなくすっきりとした表情で、菱和の横に座る

「‥お疲れさん」

菱和はにこりと笑み、大きな手で優しく頭を撫で、ユイを労った

 

夕暮れ、帰り道
河川に架かる橋の欄干に、二人並んで寄り掛かる

「‥‥どうだった?」

「うん‥‥‥なんか、ほっとした。ちゃんと話してこれたし、話を聞いてもらえた。『困ったことがあったらまたおいで』‥って」

「ん。良かったな。そんときはまた呼んで。俺もまた一緒に行く」

「うん‥‥ありがとね、今日。来てくれて」

「いいえ」

「てか、めっちゃ待ったよね‥ごめんね」

「別に、なんも。待つのは目に見えてたから」

「そ、っか‥‥‥‥‥俺ね、いっこ決めたことがあって」

「うん?」

「まず、『また過呼吸になっちゃったらどうしよう』とか考えないことにした。ほんとは、これ以上みんなに迷惑掛けたくないんだけど、またなったらなったで今度は薬使ってみるとか、方法は沢山あるから、そこからいちばん自分に合ったやり方をやってみることに、する」

吹き抜ける風が、さら、と髪を揺らす
真ん丸の瞳は、確乎たる決意を湛えていた
自身を“弱い”と卑下し流した涙が、まるで嘘のよう

あの時間で“そこ”まで辿り着いたのか───改めてユイの“強さ”を見た菱和は、無意識に戦慄いた

「‥うん。ちゃんと自分で選んで、決められると良いな。何にしても、“絶対独りで抱え込まないこと”。これ、めっちゃ大事だから。なんかあったらすぐ云えよ」

「う、うん‥‥これからも、迷惑掛けちゃうことあると思うけど‥その‥‥」

「お前の周りの人間は、それでもお前の傍に居るよ。“生きづらい”と思ったら、俺も含めて使えるもんは何でも使っちまいな。みんな何とも思わねぇから、絶対」

「そ、かな‥‥」

「そうだよ。‥‥‥‥俺もお前の傍に居る。ずっと」

「ずっ、と‥?」

「うん。ずっと」

優しく揺れる瞳が、安堵を齎す
例え挫けそうになったとしても、きっと何度でも奮い立たせてくれる───そう思わせる“色”を、放つ

「‥‥有難う、アズ」

「ん。俺も、有難う」

「な、何でアズがお礼云う、の‥‥俺、アズに何も出来てな、い‥よ」

「何もしなくて良い。元気でいてくれるなら、それだけで十分」

「‥‥、‥‥‥」

「‥‥‥‥欲を云えば、時々くっついたり出来たらそれで満足。‥‥“ベロチュー”も出来れば尚良し」

「‥‥‥!!!だ、そ‥!!」

菱和は意地悪そうな顔をしてベロを出し、ユイの頬を軽く抓った
慌てふためく様を見、からかうように笑む

 

平日の夕暮れ時
自分達以外に、人の姿は無い
それを良いことに、菱和は徐にユイの手を取り、自分の上着のポケットに突っ込んだ

“これ”で良い
“それだけ”で良い
“そのまま”で良い
そう、強く想いを込め、しっかりと握り締める

自分とは比べ物にならないほどの、深く暖かな“力”が、いつも隣にある
これもまた、ユイの“拠”だ

 

『傍に居る。ずっと』

ずっと───

それは、いつまで?
言葉通り、“永久”に?
それとも、俺がアズと同じくらい強くなれるまで?
もし言葉通りだったなら、嬉しいな
いつまでも、こうして隣に居たい
でももし言葉通りじゃなかったとしたら、
この手が離れてしまうようなことがあったとしたら、
そんな時は永遠に来て欲しくないけど、

───それまでは、どうか、アズの“力”を借りることを許してください

寄り添う心に、ほんの少しだけ寄り掛かる強さを湛える

各々に想いを抱き、二人は暫し流れゆく川を眺めた

 

「‥‥‥腹減ったな。なんか食い行っか。何食いたい?」

「‥、何でも、良い。アズは?」

「俺も何でも良いんだけど‥‥‥あ、ずっと気になってたとこあんだけどそこでも良い?」

「何屋さん?」

「洋食屋、っていうのかな。エビフライハンバーグオムライス、みたいな」

「‥行きたい!食べたい!オムライス!!」

「じゃ、行くか」

時刻は18:00
もう陽も暮れ、すっかりと空腹
一処に留まらぬ川の流れを見送り、ユイと菱和は華やぐ街へと繰り出した

拍手[0回]

<<< PREV     NEXT >>>