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6 散髪①
大型連休に突入し、楽しい予定に思いを馳せれば勉強は瞬く間に手つかずになる
上の空で古文の宿題を解いていると、携帯が音を立てて震えた
手に取ると、知らないアドレスからメールが届いていた
『定休日だけど店使わせてくれるから、5日の13時に来い』
内容から察するに、恐らく奈生巳からだ
指定された日はちょうど予定がなく、グッドタイミングだった
他の従業員の手を借りられることになったのか、それとも───
「わかりました!なおさんが切ってくれるんですか??」
すかさず、返信が来た
『なんか文句あるか(*`Д´)ノ』
───ぷっ‥‥ナオさんて、顔文字使うんだ
ユイの散髪は、奈生巳が手掛けることになったらしい
連休中の予定が一つ増えたことで、ユイは期待に胸を膨らませて返信をした
「ないです!楽しみにしてます(*^^*)♪」
その日の夜、ユイは菱和と電話をした
早速、散髪の件を打ち明ける
「俺ね、明後日髪切りに行ってくる!“ASH”っていうお店でカットモデル募集してて、タダで切ってくれるみたいだからさー」
『ふーん‥‥散髪か。仕上がり楽しみにしてるわ』
「うん!‥‥切り終わったら、いちばんに見てくれる‥?」
『勿論。速攻で見して』
「えへへ‥‥じゃあさ、終わったらすぐ連絡して良い?」
『うん。俺暇してるから迎えに行く』
「わかった!ねー、明日はどこ行こっかね?そういやさ、この前捕り損ねたプライズまだあるかなぁ」
『‥‥‥‥、ゲーセンも良いんだけど、出掛ける前にお前んち行っても良い?』
「ん?うん、良いけど。どしたの?」
『今の髪型、見納めだから。‥‥短くなるんなら、今のうちに沢山見てぇし触っとかねぇと』
ひどく慈しむような声に、ユイはみるみる頬を紅潮させた
「もおぉ‥‥またそうやって‥‥‥」
『なに、なんか変なこと云ったか?』
「や、だって‥‥‥‥ね、切んない方が、良い‥‥?」
『髪短いお前見たことねぇから何とも云えねぇけど、多分どっちも好き』
「んん‥!!」
今回の散髪を奈生巳が手掛けることになっていることなど知る由もなく、赤面するユイの様子を思い浮かべた菱和はゆったりと笑んだ
ユイは敢えて奈生巳の名を口にせず、「いつネタばらしをしようものか」と明日のデート終了まで思案することにした
翌日、菱和に散々髪を撫で回された後、二人はデートに出掛けた
連休中の街はより一層賑わっており、店内はおろか路上までもが混雑している
思うように進めない中もみくちゃになりながら件のプライズを求めてゲーセンへ行き、長時間カフェに入り浸り他愛もない話をするという、普段よりも幾分かのんびりとしたデートとなった
***
更に翌日
ユイは昨日同様人混みを掻き分け、指定された時間に“ASH”へと赴いた
とある商業ビルの一階にある、シャープな外観の美容室だった
「こんにちはー‥‥」
“CLOSE”と書かれた看板が提がったドアを恐る恐る開けて中へ踏み込むと、しんとした店内に眼鏡をかけた中背の男が一人
道具を整理していたようで、ユイに気付くと顔を上げてにこりと笑む
「いらっしゃいませ。お待ちしてました。ナオーーー、お客様だよーーー」
「んなでけぇ声出さなくても聴こえるっつーの」
眼鏡の男が呼び掛けると、店の奥から奈生巳が出てきた
「‥こんにちは!今日は宜しくお願いします!」
「おー。ザックザクにしてやんぜ」
ニヒルな笑みを浮かべながら、鋏を模した手で前髪の辺りを切る振りをした
「こらこら。記念すべきお客様第一号でしょ」
「あ?いつかてめぇもザックザクにしてやる。‥こっち来い、座れ」
───“第一号”‥‥俺、ナオさんの初めてのお客さんなんだ
促されたユイは嬉々としてスタイリングチェアに座った
目の前に置かれている巨大な全身鏡を見、ヘアカタログに載っている夏仕様の髪型を幾つか参考にしつつ今日のセットについて話し合う
「前も思ったけど、癖っ毛だなぁ‥‥何センチくらい切る?」
「お任せします!」
「アホなこと抜かすな。そういう注文はプロにしろ」
「まぁまぁ‥‥‥結構伸びてるね。これから夏になるし、少し短めにしますか?」
「そうですね‥はい!」
「なぁ、これだと短過ぎるか?」
「小顔だからなぁ、似合うとは思うけど」
「じゃあ、間とってこんくれぇとか」
「あ、これが良いです!どうですかね?」
カタログを指差すユイに、眼鏡の男は微笑んだ
「うん、似合うと思います。良いセンスしてますね」
「ほんとですか!えへへ‥‥え、と‥」
「木山といいます。ナオが良いモデル見付けてきたって云うもんだから嬉しくて、休みだけどサポート兼ねて一緒に来ちゃいました」
木山と名乗った眼鏡の男は至極嬉しそうにし、ユイに名刺を渡す
店名と名前、そして“スタイリスト”という肩書きがあり、やはり店員のようだ
「余計なことベラベラ喋んな。てか帰れよ」
「何でー?ちょっとくらい見てたって良いじゃん」
「邪魔なんだよ!!帰れ!」
「もぉ、怖いんだから‥‥そんなんじゃお客さんつかないよー?愛想よくいかないと」
「いーから早く帰れ!!マジでザックザクにすんぞ!」
押し問答を始める奈生巳と木山
ユイの目は、鏡の中の二人を行ったり来たりした
「はいはい。‥じゃあせめて、飲み物だけでも提供させてから帰らせて。何が良いですか?」
先に折れた木山は、メニューを差し出した
「‥リンゴジュース、お願いします!」
「かしこまりました、お待ちください」
スタイリングが決まったところで、洗髪に入る
洗髪台に移動し椅子のシートが倒され、膝にブランケットを掛けられる
すかさず、木山が云う
「‥何て云うの?」
「‥‥『失礼します』」
「もっと元気良く云おうね」
「うっせぇ」
湯が、ふわふわの髪を濡らしていく
と、ここでまた木山が云う
「‥何て云うの?」
「‥‥『お湯加減、如何ですか』」
「‥大丈夫です!」
仏頂面の奈生巳を尻目に、ユイは溌剌と答えた
髪を濡らし終え、次はシャンプーイング
フェイスラインからこめかみ、つむじ、耳の裏、登頂部、襟足
頭の揺れに注意しつつ、奈生巳は全神経を注いで洗髪を進めていく
───あーーー‥‥気持ち良いなぁ‥‥‥人に髪洗ってもらうのって、何でこんな気持ち良いんだろ
リズム良く行われる洗髪に、自然とリラックスしていく
横で見守る木山が、満足げに云う
「そーそー、上手上手」
「‥いつまで居るんだよ」
「ん?」
「『帰れ』って云ったろぉが。ジュース出したら帰るってさっき自分で云ったんだろ」
「ええぇ。もうちょっと見さしてくれても良いんじゃない?」
「んな真横で見られてちゃ気が散るんだよっ!」
「『身近で見守ってたい』っていう先輩の愛が伝わらない?」
「うぜえええぇぇ」
奈生巳は眉間に皺を寄せ始めた
しかし、木山とて最後まで口出しする気はない様子
丁寧にシャンプーを施す奈生巳の手付きを見遣ってから、ジャケットを羽織って穏やかに云った
「その辺のカフェにいるから、もし不安になったら呼んで」
「呼ばねぇし。バーーーカ」
手を動かすのを止めず、奈生巳はベロを出した
「あっそう。それならそれで、戸締まりしっかりね」
「っわかってるよ!ほんっと、いちいちうるせぇ‥!」
木山が去り、奈生巳は洗髪の続きを進める
何だかんだと云いつつも、決して雑な動きをすることはなかった
「‥あの。何時くらいに終わりますか?」
「2時間ありゃ終わんじゃねぇかな、多分」
「15時くらいですね!わかりました!」
「なんか用事あんのか?」
「いや、別に‥‥‥てか、仲良しなんですね。木山さんと」
ユイの言葉に、奈生巳の手の動きが若干鈍くなった
「‥‥‥‥俺、施設育ちなんだけどさ。中学んとき喧嘩ばっかやってて‥‥って、あいつから聞いてるか」
「みんなで喧嘩してた、っていう話は聞きました」
「そか。‥で、高校でも暫くそうやって過ごしてて。いつだったかボロ負けしたときあって、道端に転がってたのをさっきの奴が拾ってくれてな。18になったら施設出ることになってて、そん時あいつが『来れば』とか云いやがるから‥‥‥」
「‥‥、一緒に住んでる、ってことですか?」
「だからって別にそれ以上でもそれ以下でもねぇからなあの野郎とは!ただの同居人!」
奈生巳は苛ついたようにそう云った
幾ら悪態をついても、木山への恩情は隠しきれていない
先程の木山の態度からも、見ず知らずのヤンキーを介抱し自宅に住まわせるほどの心情や懐の深さが窺え、2人の関係性を微笑ましく思ったユイはほっこりとした
「そうなんですね‥ふふ‥‥」
「笑うな」
「すいません。でも、おかしくて笑ったわけじゃないですよ!」
「どうだかよ。‥よし、シャンプー終わり。‥‥『お疲れ様でした』」
棒読みの労いにまた表情筋が緩みそうになったが、何とか堪える
再びスタイリングチェアに戻りクロスを羽織られると、木山が用意したリンゴジュースがテーブルに置かれているのに気付く
飲みながら携帯をいじり、奈生巳が準備を終えるのを待った
「おっしゃ、やんぞ。ザックザクに」
「‥‥“ざっくざく”はやめてください。宜しくお願いします」
奈生巳は悪戯に鋏を鳴らしたが、キャスター付きの椅子に腰掛けると真面目に散髪に取り掛かった
ロングピンでざっくりと毛束を分け、椅子毎ガラガラと移動しつつさくさくと鋏を入れていく
見習いとはいえ、慣れた手付きだった
自分の髪がぱらぱらと落ちていくのを眺めつつ、ユイは鏡の中の奈生巳を見ていた
ふとした拍子に目に入った奈生巳の指先は逆剥けが出来、荒れていた
───普段から練習してるのかな‥‥一生懸命だな
手荒れは美容師の職業病と云えるかもしれない
華奢な指先に鋏を従え真摯に挑む姿に、ユイは心が熱くなるのを感じた
「‥‥ナオさんて、後ろの髪‥‥えく、何とか?付けてるんですか?」
奈生巳は真正面から見るとマニッシュなショートカットだが、襟足部分が腰まで長く伸びているヘアスタイルだ
「エクステか?違う、全部地毛」
「へぇー!後ろだけ伸ばしてるんですね!綺麗な金髪だし、カッコイイ!」
「全然綺麗じゃねぇ。何度も染めてっから傷みまくってるし」
「染めるのとかって、木山さんがやってるんですか?」
「大体は。たまに、他の店員にもいじられてるけど」
「ふふ、ほんと似合ってますね!」
「うっせ。変なこと云うな。手元狂う」
「黙ってた方が良いですか?多分無理ですけど!」
「んだそれ。その所為で失敗しても文句云わねぇってんなら勝手に喋ってろ」
「じゃあ、そうしますね!」
散髪中、美容師に話し掛けられることを苦手とする客は少なくない
しかし、ユイが客の場合は美容師の方が辟易してしまう可能性の方が高くなる
奈生巳とて決して話すのが得意なわけではないのだが、木山が居なくなったことで生まれた余裕か、将又“予行演習”のつもりか
「よく喋るガキだ」と思いつつ、終始ユイの話に乗った
「ナオさんは、何で美容師さんになろうと思ったんですか?」
「‥‥施設でさ、月に一度『散髪の日』ってのがあって。外から美容師が来て、希望する奴は散髪してもらえんの。俺より小せぇガキらが結構喜んでてさ、特に年頃の女子が」
「へえぇー、それは嬉しいだろうなぁ‥‥ほんと、女の子なら特に」
「そうなんだよ。それに、こっちが行くんじゃなくて向こうが来るってとこに惹かれて」
「それが、木山さんだったんですか?」
「いや、違う奴。‥‥美容室なんて行く金もねぇし縁もゆかりもねぇと思ってたけど、俺もそんな風になれたらなぁ、とか‥‥‥」
「すげぇ良いと思います、そういうの!」
「あっそ。‥ってか、何云わせんだよ」
「ってぇ!」
照れ隠しからか、奈生巳はユイを軽く小突いた
菱和とも、こんな風に話していたのだろうか
二人が共に過ごしていた時、離れていた時を思うと、胸がちくんとする
奈生巳は菱和のベースや料理の腕がどれ程のものなのかを知らず、菱和も奈生巳が美容師になりたいという夢を持っていることを知らない
痛ましい事件さえ起きなければ、二人の友情は途切れぬまま今でも続いていたのではないだろうか
───そう簡単に壊れるようなもんじゃない。‥‥そう信じたい
擦れ違いごときで失くなってしまうほど、脆い絆ではない筈───そんな想いで、ユイは菱和の名を口にする
「‥‥アズから色々聞きました。中学の時のこと」
奈生巳は僅かに眉を顰めたが、すぐに気にしていないような素振りを見せる
「‥‥喧嘩っ早いチビがいるとか云ってたか」
「んーと‥‥そうですね、はい」
「んだとてめぇ!」
「違‥あ、アズが云ったんですよ!!俺じゃないです!」
「‥けっ」
「‥‥‥ほんとは“あの時”、アズとお話したかったですよね」
「‥‥別に。話すことなんかねぇし」
「またまた。素直じゃないですね、二人とも!」
「はぁ?一緒にすんなよ」
「一緒ですよ。アズだってナオさんと話したがってましたもん。‥‥中学の時、話せなかったことがあるって」
「‥‥、何だよそれ」
「アズに直接聞いてください」
「‥ムカつく。お前、俺らをどうしてぇんだよ」
「どうって‥‥友達だった頃に戻って欲しいだけです」
「ダチじゃねぇって」
「『つるんでただけ』、ですか?」
「あー、そーだよ」
「‥‥‥ぁああーーもう!ほらやっぱり!ほんとはめっちゃ気が合うくせに!」
「‥あ?」
「アズも同じこと云ってたんですよっ!アズとナオさんはめっちゃ相性ピッタリなんです、今のではっきりわかりました!素直じゃないし強情で意地っ張り!そのくせおんなじこと云ってるし、お互い照れてるだけ!そんなのとっとと取っ払って、早く元の仲良しに戻ってください!」
堰を切ったように思いの丈をぶつけるユイ
いっそのこと、殴られても良いとさえ思っていた
ユイが云ったことは事実に近く、何よりも奈生巳自身がそれを自覚しているようだ
しかし、苛つきこそすれ、手を出そうとまでは思っていなかった
「‥‥ほんとよく喋るなてめぇ。ただのチビだと思って油断してた」
「そうですお喋りなチビです。でも全部ほんとのことです。‥‥アズのこと、嫌いですか?」
「別にそういうんじゃねぇけど‥‥‥ただ───」
奈生巳は俯き、鋏を持つ手をだらりと垂らした
「‥‥‥‥‥プライバシーがどうの個人情報がどうのって、あいつが退院後にどうなったかって誰に聞いても頑なに云わねぇの。『俺“ら”にも云えねぇのかよ』って、あんときゃマジ最高にムカついた。あいつに対してっていうより、周りの大人に対して。この前はあいつにもムカついたけどな。‥‥元気でいたなら連絡の一つくらい寄越せよ、って」
───‥‥‥やっぱり‥‥淋しかったんだよね
云いたかったこと
云えなかったこと
理不尽な事情、憤怒、苛立ち、大人の思惑、疑問、後悔
奈生巳もまた、置いてきぼりの想いを抱えている
思い詰めたような顔の奈生巳を見遣ると、また胸が痛む
叶わないだろうと思いつつも、再会を、以前のような関係性を再び構築することを、心の何処かで互いに望んでいた
先日の再会はその結果なのだと、ユイはより確信する
「‥‥‥うん。そうなりますよね。‥‥だったら今、そう云えば良いじゃないですか」
「今‥‥?」
「アズに云いたいこと、あるんですよね?『何で連絡寄越さなかったんだ!』って。さっきアズにメールして終わる時間とここの場所伝えといたんで、あとで沢山お話してください」
「‥は?『あとで』?」
「実はアズにも、今日ナオさんに髪切ってもらうこと喋ってないんです。だから、ダブルサプライズです!もう少ししたら会えますよ!」
ユイはにこりと笑み、ピースサインをした
どうやら、先程は菱和に連絡を取っていたよう
奈生巳はきょとんとしていたが、ユイの斜め上の行動と今後の展開にみるみる青筋を立て、椅子から立ち上がり激昂した
「~~~~~てめええぇ!!なに勝手なことしてんだよっっ!!」
「だって、折角ナオさんと一緒にいるし、ちょうど良いかな、と思って!」
「だからって、心の準備ってもんがあんだろうがよっ!!何がダブルだこのクソガキ!‥あああーーーめっっちゃ腹立つ‥!もう、丸坊主にしてやんよ!!」
「わ、ちょっ、止め‥!!」
遺憾なくKYを発動するユイに食って掛かる奈生巳
悪びれた様子も見せないクソガキに、鋏を持って振りかぶった
数秒間の攻防戦の後、奈生巳は肩で息をしながら憤怒の形相でユイを睨み付けると椅子にドカリと座し、観念したようにポツリと尋ねる
「‥‥‥、ほんとに、来んのか」
「‥はい!新しい髪型、アズにいちばんに見せる約束してるんです!だから、ボーズじゃなくてカッコ良く仕上げてください!」
にしし、とはにかむユイ
無断で自分達を引き合わせようとしているなんて
中学時代であったなら、奈生巳はおろか、菱和でもとっくに張り倒しているかもしれない
しかし、先日の菱和はユイを庇う素振りを見せた
未だ嘗て遭遇したことがないタイプの不可解なキャラと、無愛想な菱和との関係を全く推し量れない
あの一匹狼をそこまで“手懐ける”とは
このチビは一体何者なのだろう
ただ、
───ムカつくけど清々しいな、逆に
「‥‥‥へ、ここへきてそんなプレッシャー掛けてくるとはな。‥上等だ」
髪を預けてくれたことへの感謝は勿論のこと
何より、これから現れるであろう菱和に生半可な出来を晒すわけにはいかない
程好いプレッシャーを与えられたことで俄然気合いが入り、奈生巳は最後まで真摯にユイの散髪を行った
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