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9 菱和くんのバイト奮闘記-リクルート編-
「バイトをすることにしました」
「っバイト!!?出来んのかよ、お前に!!」
「‥‥わかんねぇっす」
「ぎゃはは!!何だよそれ!コミュ障のお前がバイトとはな、どういう風の吹き回しだよ?」
「ちょっと、思うとこあって‥‥リクルートもまだこれからなんすけど」
「寧ろ、それが最大の鬼門だな!」
「‥‥そうなんす、実は」
バンド練習終了後、菱和の口から思い掛けないワードが飛び出した
アタルは取り敢えず大爆笑し、苦笑いする菱和の背中をバンバン叩いた
「今後、バンドの活動に影響出るかもしんねぇんで、ちゃんと話しとかねぇとと思って」
「まぁ、たーも俺もバイトしてっからな。多少の時間の制約は仕方ねぇんじゃん。バンドは、上手く時間作ってやってこーぜ」
健闘の祈りを込め、アタルはグーを差し出した
菱和もグーを出し、軽く会釈してアタルと拳を合わせる
「アズがバイト始めたら、俺一人ぼっちになっちゃうなぁ」
「お前もなんかやりゃ良いじゃん」
「むーーー‥‥‥‥てか、何のバイトすんの?」
「まだ内緒。決まったら教える」
「何で今教えてくんないのさ!教えてよ!減るもんじゃなし!」
「まぁまぁ。楽しみにしとこうよ。ひっしー、ご武運を」
「ありがと。努力するわ」
silvitを出、帰り道を往く最中
菱和はユイの腕を掴んで歩みを止まらせ、耳元でボソリと呟いた
「‥お前との時間もちゃんと作るから」
「んな、ば‥っ‥‥!!」
途端、耳まで高潮したユイは慌てふためく
「ん?何だよ変な声出して」
「んん、何でもないっ」
夜道で助かった───咳払いをし、その場をやり過ごすユイの様子を見て、菱和は口角を上げた
バンドメンバーから承諾を得たところで、菱和は早速リクルートを開始することにした
***
「──────‥‥マジか‥‥‥」
「どうしたの?溜め息吐いて」
「‥いや、調理師免許さ。母さんが云ってた実務経験ってやつ調べてたんだけど。規定の時間満たしてればバイトも実務経験に含まれるらしんだけどさ」
「どれどれ‥‥えーと、『原則として週4日以上かつ1日6時間以上』。‥まぁ学校もあるしバンドもあるしで忙しくはなると思うけど、出来なくはなさそうじゃない?」
「そこは別に良いんだ。‥‥‥問題は“ここ”」
「? ‥『高校に在学中の実績は実務経験に含まれない』。‥‥あら」
「卒業してからじゃねぇとカウントされねぇみてぇで」
「そうなのね‥‥知らなかったわ。迂闊に『バイトしてみれば』なんて云ってごめんなさい」
「んーん。寧ろ『バイトすれば』って云ってもらわなきゃこういうこと知り得もしなかったから感謝してる。‥‥‥それにさ、カウントはされなくても経験は経験っしょ。バイトすること自体は前向きに考えてるから」
「‥‥やっぱり、あなた変わったわね」
「‥‥‥そおぉ?どの辺が?」
「何となく、ね。ふふ。じゃ、健闘を称えてコーヒー淹れるわね」
「ん。ありがと」
***
前向きに考えはしたものの、リクルート活動は難航した
成人間近であるにも拘わらず高校生であることか、将又、見た目の問題なのか
コミュ障なりに最大限努力をするが、肝心の面接で落とされる始末
ダブりという経歴と、この無愛想と長髪では無理もない話だと、自分でも痛感する
「‥‥‥‥‥やっぱ、髪切んなきゃ駄目か‥‥」
毛先を弄り、ぽつりと呟いた
───いや、飲食でこの髪は完全アウトだよな‥‥ユイも髪切ったし、近いうち俺も‥‥あと、もう少しくれぇ愛想もよくしねぇと‥‥‥やれることからやってくしかねぇよな。まだ親父に頼る段階じゃねぇ
菱和は溜め息を吐くと気を取り直し、次のバイト先への目星をつけた
リクルート活動を始めて3週間ほど経った頃
まとめていたバイト先候補にバツ印が増えていき、正直なところ菱和は辟易していた
髪型はどうとでもなるが、表情や性格は今すぐに矯正出来るものではない
この調子だと、最早働くということさえ不可能なのではないかという気がしてくる
悶々としながらふらふらと街を彷徨き、ふと時計を見遣ると13:30を過ぎており、空腹であることに気付く
滅入ってばかりもいられない
まずはエネルギーを蓄え、次に備えねば───
と、ふと顔を上げると木目調の喫茶店が目に入った
店先には、“琲哥楽”と書かれた看板が掲げられている
───‥‥なんて読むんだ‥‥‥?
興味を唆られた菱和は、引き寄せられるように喫茶店に近付く
見上げた看板はだいぶ傷んでおり、ドア付近には色とりどりのパンジーが咲くプランター
そして、窓には“アルバイト募集”の貼り紙があった
───確か、実務経験はこういう個人経営のとこでもOKだった筈‥‥‥‥いやでもまだ髪切ってねぇし、どうせ落とされるわな‥‥履歴書もねぇし‥フツーに飯食お
空腹を満たす為、菱和は喫茶店のドアを開けた
カラン、と鈴の音が来客を告げる
店員と思わしき真っ青な髪の色をした青年が、にこりと笑んだ
「こんにちは。お一人様ですか?」
───青だ
青年の髪の色に若干気圧されるも、菱和は軽く会釈した
「‥はい」
「喫煙席と禁煙席どちらが宜しいでしょうか?」
「喫煙席で」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
───“いらっしゃいませ”じゃねぇんだ
来客時の挨拶に、小気味良さを感じる
喫煙席に通されると早速煙草に火を点け、煙を燻らせながら店内を軽く見回してみた
天井から吊るされた電飾はモザイクガラス
窓からふんだんに陽の光が差し込む
テーブルや椅子は、木製のもので統一されている
ランチタイムのピークを過ぎ行く時間帯
主婦のグループだろうか、何組かの女性客が食後のコーヒーとスイーツと共に談笑に耽っている
菱和のように、“お一人様”の客もちらほら
───“ハイカラ”、か
手に取ったメニュー表に、片仮名で店名が記載されていた
マスキングテープなどで可愛らしく装飾されており、人気のメニューは写真付きだ
パスタ、グラタン、ドリア、ピザなどのメインメニューにサラダやドリンク、デザート付きのセットメニュー
種類は、豊富だ
先程の青年がお冷やとおしぼりを持ってくる
ついでに、菱和はオムライスと食後のコーヒーを注文した
食事が来るまでの間、再び店内を見回す
レジ前に置かれたショーケースには、デザートがところ狭しと並んでいた
デザートはどれも店自慢の手作りのケーキ類
ココットに入ったクレームブリュレもある
セルフスタイルのようで、主婦のグループがわいわいとショーケースに詰め寄っていく
───デザートセットみたいなのもあったっけ‥‥っつーかあのガトーショコラ美味そう。頼めば良かった
2本目の煙草を喫い終えたところで、オムライスが来た
軽く手を合わせ、スプーンを入れる
口に入れた途端、菱和は顔色を変えた
──────美味ぇ
ふわふわの卵に包まれたバターライス、程よい酸味のトマトケチャップ───何の変鉄もない、とてもシンプルなオムライスだ
何がどうという訳ではなかったが、ただひたすら“美味い”という事実に圧倒される
「───‥‥‥‥‥」
オムライスを食した菱和
満たされたものは、空腹だけではなかった
タイミングを見計らったかのように、青い髪の青年が食後のコーヒーを持ってくる
空いた食器を下げるところで、菱和は青年を呼び止めた
「───‥あの」
「? はい?」
多少怪訝そうにするも、青年は笑顔を絶やさなかった
「‥‥‥‥バイトの募集、してるんですよね」
「ええ、はい。面接のご希望ですか?」
「‥‥表に貼り紙してあったんで‥‥‥でも今履歴書なくて‥‥」
何の準備もしていないのにも拘わらず、我ながら不躾なことをしていると思う
が、逸る気持ちは抑えられなかった
「‥、ちょっとお待ち頂けますか」
まずは、と、青年は食器を下げに戻った
数分後、各テーブルを回りつつ、菱和の下へと来る
「15:00から店主の手が空くので、もしお時間があればもう少しお待ちください」
「‥‥‥‥へ?」
「お客様さえ良ければ、面接するそうです。如何でしょうか?」
青年はにこりと笑み、店主からの提案を伝えてきた
───云ってみるもんだな
「‥‥待たせてください」
「‥コーヒーのお代わり、如何ですか?」
「お願いします」
青年がどのように自分のことを伝えたかは謎だが、このチャンスを逃さない手はなかった
また当たって砕けるだけだと、菱和は指定された時間までコーヒーを飲みながらゆるりと過ごした
***
「こちらへ」
15:17
通されたのは、厨房の奥の小さなスペース
ジャケットや鞄が雑然と置かれており、恐らく従業員の休憩スペースなのだろうと察しがつく
「ああ、お待たせしてすみません」
パイプ椅子を携え、店主と思しき人物が入ってくる
「先程、バイトの件で問い合わせがあると伺いましたが‥‥お話を聞かせてください」
椅子をセットした店主は、菱和に座るように促す
「あの、今履歴書なくて」
「構いません。うちの従業員が、お客様から何やらただならぬ気迫を感じたらしくてですね。逆に私がお話してみたくなってしまって‥‥何故うちで働きたいと思われたんでしょうか?」
店主は穏やかに笑みながら、青い髪の青年から聞いた様子を話した
そんなに顔に出てたか───菱和は軽く深呼吸をし、店主の問いに答えた
「‥凄く単純な理由で恐縮ですけど、食事が美味しかったからです。オムライス、頼んだんですけど。あんな美味いの初めて食べました」
「そうでしたか。お口に合って何よりです」
「はい。ご馳走様でした。‥‥‥それと、調理師免許を取りたいと思ってて」
「ほう‥‥何故免許取得を志したんですか?」
「普段から料理はするんですけど、趣味の域を出ない範囲で‥‥‥スキルアップの為に資格が欲しいと思い始めて‥‥それで色々調べて、資格を取るには実務経験が必要だと知って、アルバイトでも実務経験にはカウントされると‥」
「ええ、確かにその通りですね」
「ただ、‥‥今19歳なんですけど、高校通ってて」
「ほお、学生さんでしたか。19歳ということは、定時制ですか?」
「いえ、全日制です。‥‥在学中の実績は実務経験に含まれないってつい最近知ったばかりで‥‥‥でも、カウントされなくても経験は積みたくて」
「‥‥‥‥うちでの経験で良いんでしょうか?」
「経験を積むなら、“ここ”が良いと思いました」
オムライスの美味さは、理屈ではなかった
自分にもこんな味をものが作れれば───ただ単純にそれだけの理由
ダブりという経歴、ハンデ、自他共に認める無表情
とはいえ、それらを言い訳にはしたくはない
揺るぎない何かが、菱和を突き動かす
真っ直ぐと店主を見据え、自らの想いを精一杯伝える
「‥‥そうですか。わかりました。君さえ良ければ、是非うちで学んでってください。まぁ、私が教えられることなんて高が知れてるけど‥‥」
その熱意が伝わったのか、店主はふーんと唸った後にこりと笑みながらそう云った
絶対断られると思ってたのに───自分で「雇ってくれ」と申し出たにも拘わらず、いざ許可が降りると面食らってしまう
「‥‥雇って頂けるん、ですか」
「ええ。一緒に頑張りましょう。‥申し遅れました、店主の真踏です。これから宜しくお願いしますね」
「‥菱和 梓といいます。宜しくお願いします」
「菱和くん、ね。近いうちに、履歴書を持ってきてください。あと服のサイズ‥‥‥ちょっと待っててください」
店主の真踏が席を外した隙に、菱和は胸の高鳴りを直に確かめた
鼓動が、速く脈打っているのがわかる
働きたいと思える場所を自分の足で見付けられたことに、只管高揚していた
「‥‥でね、彼うちで働くことになったから」
真踏と青い髪の青年が会話をしながら入ってくる
青年はほっと胸を撫で下ろしたようにし、菱和に笑い掛けた
「良かったぁ。‥俺、類です。宜しくお願いします」
「菱和です。宜しくお願いします。‥お気遣い有難うございました」
「いえいえ。一緒に働けることになって、嬉しいです」
青い髪の青年・類が居なければ、今この場での面接など叶わなかっただろう
店主への口添え、待っている間のコーヒーのお代わり、どの配慮も菱和には有難いことこの上なかった
共に働けるということに、菱和も期待が膨らむ
「早速、服とエプロン発注したいんだよね」
「ああ‥‥菱和くん、服のサイズ教えて頂けますか?」
「‥XLです」
「だよね、背ぇ高いもんねぇ」
「‥‥‥あの、」
「はい?」
「髪‥切った方が‥‥‥切るべきですよね。色も‥‥」
「ああ、気にしなくて大丈夫ですよ。彼も、人間の髪の色じゃないでしょ」
類の髪の色は、目にも鮮やかな青だ
来客に強烈なインパクトを与えることは間違いなく、事実菱和も入店時には類の髪の色への興味が先行した
そんな類の頭を、真踏はくしゃくしゃと撫で回した
「でもねぇ、類くん目当てに来るお客さんも多いんですよ」
「そんなことないですよ、もう」
「謙遜しちゃって、まぁ。‥もう一人の調理の者も結構奇抜な見た目なので、ほんとに気にしなくて大丈夫ですから。その髪型、似合ってますしね。‥あ、でも結ったりバンダナつけてもらったりはしてもらいます。飲食店なので、ね」
懸念していた髪の件はスルー、剰え“似合っている”とお墨付きを頂き、菱和は目を丸くした
───‥‥‥『良い』っつってるから良いんだな、それで
「‥わかりました」
斯くして、菱和のリクルートはここで終了した
これから共に働く仲間に感謝の意を込め、今一度深く頭を下げた
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