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162 “SUNSET”
風は春へ対うも、まだ寒さの残る弥生の後半
陽が傾きかけた空は、蒼と紫のグラデーション
乗り込んだ車内は冷えきっており、エンジンをかけてもすぐには暖まらず、吐く息も白い
「3月とはいえ、まだまだ寒みぃな」
「うん、パーカー着てきて正解だった」
助手席で、自分の手に息を吐くユイ
運転席に座る菱和は、徐にその手を取った
「‥繋いでても良い?」
「ん、い、良いけど‥‥片手で運転出来る‥?」
「余裕。ナビ、して」
「うん‥道なりだからあんまナビ必要ないかもだけど‥‥まず、道路出て左折」
菱和は笑み、照れ臭そうにしているユイの手を握ると、車を発進させた
道中、二人は手を繋いだままでいた
運転している横顔を一瞥すると、大きな掌が力を込めてくる
夕べの畏怖など何処へ行ったやら、いつも感じている柔らかい優しさを得る
菱和の手の温みに、ユイは心なしか胸の辺りも暖かくなった
「あ、あすこ。あの“40”のとこ」
辺鄙で退屈な道を15分ほど行ったところで、ユイは目的地を知らせた
最高速度を表す道路標識があり、その辺りを指差す
菱和は減速し、辺りを見回した
標識の数十メートル先、左側に、舗装が途切れている横道が見えた
「ここ、入って」
「さっきの標識くらいしか目印ねぇのか‥‥ガチでなーんもねぇからわかんねぇわこれ」
「そうなんだよね‥‥あ、車はこの辺に停めて」
砂利道の先は草臥れた草木が項垂れる茂みが広がっており、人が足を踏み入れた形跡が見てとれる開けた場所に出た
特にめぼしいものも無く、知る人ぞ知る場所という印象を得る
もう間もなく日没であり、海岸線が近い所為か、車外へ出た途端に強風が吹き付ける
その風に乗る潮の匂いが、嗅覚を掠めた
近くに、波の音も聴こえてくる
「わ、寒‥」
「アズ、こっち。あの坂道登ってくの」
ユイは掌を差し出し、菱和を誘う
よもや、ユイから手を差し出してくるとは───希有な機会を尊く思った菱和は、躊躇わずにその手を取った
ユイが先導し、菱和がその後をついていく
手を繋ぎ、夕陽の見えるスポットまで足早に歩を進めていった
「良かったぁ、まだ間に合った!見て、アズ!」
辿り着いた先は、アタルも云っていた通り、切り立った崖の上
その向こう側に、沈む太陽に紅く染まった大海原が広がっていた
「‥、すげぇ」
眼前に広がる光景に感銘を受けた菱和は、ただ一言そう呟いた
遠く燃える日輪が空と海を“動”から“静”へ導き、煌々と溶けていく
名残惜しく輝きを解き放ち、波間に煌めく
何処か懐かしく、儚い茜色
普段は気にも留めない夕焼けは胸に“くる”ものがあり、菱和の想像の範疇を優に超える絶景だった
「‥‥‥なまら綺麗」
「‥でしょ?」
「見れて良かった。‥‥これ見過ごしたまま帰ってたら後悔してたわ」
「良かったぁ、そう思ってもらえて」
「‥‥‥来年も、見に来たい」
「‥‥、また一緒に見に、来よう?」
ユイは、いつものように笑った
夕陽に染まった顔が、菱和の瞳により一層、朗に映る
菱和は口角を上げてこくんと頷き、今一度、ユイの手をぎゅ、と握った
大好きな菱和が、隣にいる
大きな手が、自分の手と重なっている
同じ景色を見ている
幸せを感じるユイの脳内に、菱和が作った曲のワンフレーズが流れた
口内に、“味”が溢れ出す───
刹那、ユイの身体がびくん、と跳ねる
その衝撃は、手を繋ぐ菱和へと伝わった
「‥‥どした?」
まるで、全身に電気が走ったような衝撃だった
意図していない不可解な反応に、ユイ自身も戸惑いを隠せないでいる
目を真ん丸にし、抑揚なく菱和に尋ねた
「───ねぇ。夕焼けって、英語でなんて云うの?」
「‥‥“sunset”」
「‥サンセット‥‥、」
そう呟いた後、ユイは目を真ん丸にしたまま動かなくなってしまった
何故英訳を問われたのかを疑問に思った菱和は、憂わしげにユイの顔を覗き込んだ
その瞳には、冀望と闘志の色が宿っていた
作詞のネタでも浮かんできたのだろうか
「‥なんか“降りて”きた?」
「あのね、あっちゃんが作ったカクテル」
「ん?」
「‥アズの曲、俺がジュースと間違って飲んじゃったカクテルの味に似てるんだ。今思い出した。名前も“夕焼け”っていう意味だった筈。‥‥前に話したの、覚えてる?何年か前の合宿でジュースと間違って飲んだことあるんだ、ブラッドオレンジジュースみたいな色のお酒」
「ああ、そういや云ってたな。そのカクテルの味、なんだ?」
「うん」
来て正解だった───そう思わざるを得なかった
「──────‥‥じゃあさ。曲名にすりゃ良いんじゃねぇか、“sunset”。まだタイトルもついて無かったろ。‥‥確か、甘くて爽やかだけど苦くて、“懐かしい味”っつってたよな。夕焼けって、切ない感じとか懐かしい感じするし、結構ハマってんじゃねぇかな」
「‥‥‥云われてみれば、そうかも」
「帰ったら、佐伯とあっちゃんに訊いてみよっか」
「うん!」
切なく、儚く、何処か懐かしい夕焼け
ただ、暖かく、締め付けられるような感覚が心に落ちてゆく
記憶の扉が齎した閃きを胸に留め、二人は夕陽を最期まで見送った
***
「───あるよ。“テキーラ・サンセット”って名前のカクテル。テキーラにレモンジュースとグレナデンシロップ混ぜて、氷と一緒にミキサーでガーっとしたやつ。フローズン・カクテルって云われてる」
合宿所に帰った二人は、早速拓真とアタルに件の味と閃きの話をした
正味一時間程の間に見出だした収穫を、興味深そうに聞く
「フローズンてことは、シャリシャリしてんだ?」
「そうそう。で、レモンの輪切りとマラスキーノ・チェリー飾って完成」
「まらすきーの??」
「パフェのてっぺんとかに乗っかってるサクランボ。テキーラベースだから結構度数高けぇんだ。だからユイも一口で引っくり返っちまったんだよ、多分」
「なるほど、そゆことだったのね」
「綺麗な色だったから、ジュースかと思ってつい‥‥」
「ははっ。今はミキサーねぇから作れねぇけど、似たようなのなら出来るぞ」
「‥ほんとに!じゃあ、作って!」
「飲むのかよ?お前、また引っくり返っちまうんじゃ‥」
「俺じゃないよ!俺は飲めないもん、みんなで飲んで!みんなで、俺の感覚共有したい!」
ユイの共感覚は、ユイにしか感じられないもの
その味は、今までも大いに楽曲に貢献してきた
今回も、そうなる予感に期待が弾む
また、ユイ自身も行き詰まる作詞の活力になればと逸る
「‥ちょっと待ってろ、今作る」
アタルはに、と笑み、テキーラ・サンセットの類似カクテルを作る準備を始めた
「ほい。“サンセット・ドライバー”。グレナデンシロップをカシスに変えて、オレンジジュース足したやつ。チェリーはねぇけど、レモンは入れた。飲んでみ」
アタルは一杯分の分量でサンセット・ドライバー作り、3つの小さめのグラスに均等に注いだ
レシピが変更されているので名称も若干変わっているが、グレナデンシロップよりも濃いカシスの色合いが夕暮れ時を彷彿とさせる───夕焼けの名に恥じない、存在感のある茜色のカクテルだった
ユイが見守る中、拓真と菱和はく、と一口喉に流し入れる
アタルも、出来映えを確認すべく軽く口に含んだ
「‥‥どぉ?」
「‥‥‥‥、カシスが甘くて、レモンが爽やか。テキーラの苦みもある」
「うんうん。フルーティーだけどずっしりしてんね。“懐かしい”ってのはちょっとよくわかんないけど、色は夕焼けの印象にピッタリじゃん。リフもそんな感じあるしね」
「‥ほんと!!良かったぁ!」
「すげぇな。お前の“味”超まんまじゃんか。共感覚、恐るべし。‥‥じゃあ、曲名は“sunset”で決まりか?別に夕焼けに固執しなくても良いから、自由に詞書け」
「うん、頑張ってみる!協力してくれてありがとね!」
メンバーと味を共感出来たことに、ユイの心は喜びと安堵で満たされた
他の3人も、皆一様にユイの感覚を味わえたことを尊んだ
***
今合宿最後の晩餐は、余っていた食材を使い切るという目的もあり、かなり大雑把なものとなった
メインは、ユイと菱和が不在の間に拓真とアタルが作った野菜炒め
二人揃って『味の保証はない』と豪語したが、控え目に云っても上出来な味だった
菱和は、予め冷凍しておいた昨晩の唐揚げをケチャップとマヨネーズを混ぜたオーロラソースで和え、リメイクを施した
更に、キャベツの切れ端でウインナーを巻いたものをコンソメスープの中に突っ込み、“何ちゃってロールキャベツ”を作った
さっと出来上がった二品に、3人は『流石、主婦の技』と野次る
残りのもので『明日の朝はチャーハン』と全員の一致が意見したところで、のんびりと夕食を摂った
食事が済み、各々が片付けや入浴を進める
風呂上がり、肩からタオルを提げたまま作詞に勤しんでいたユイの下へ、拓真がいそいそと寄ってきた
「ユイー、良いもん見付けたー」
「なぁに?」
「夕焼けの夢診断」
「夢診断?」
「『夕焼けの夢は、“結末”を意味する。スタートの朝、活発な昼、停止の夜というパターンの昼と夜の間に位置する夕方と同一の意味を持つ夕焼けは、あなたが“どのような結末を迎えるか”を表す。美しい夕焼けは、あなたが“心から満足できるような結末”を表す。』‥‥だって。参考になるかな」
ユイにネタを提供出来ぬものかとスマホで何やら調べていたらしく、拓真は“お誂え向き”と踏んだ記事を読み上げる
“動”から“静”への架け橋の時間は、終わりの地点を意味するのだという───絡まっていた光の束が、一筋に集約されていく
「‥‥‥‥うん、上手く盛り込めるかもしんない!」
「そっか。良かった。このサイト、ケータイに送っとくから」
「ありがと!」
有力なネタを得た心地がしたユイは、マブダチの気遣いに多大な感謝をし、にこりと歯を見せて笑った
口内に感じた味
海で見た夕陽
カクテルの色
夢診断
“夕焼け”は、菱和が作った曲の重要なキーワードとなった
歌詞に盛り込めなくとも、“想い”は載せられる
『誰も見向きもしてないんだから、思った通りやってみよう
思い通りにやらなきゃ、そこには何も無いだろ
だったら全部曝け出しちゃえば良いよ
大丈夫、どうせ誰も見ちゃいないんだからさ
記憶の欠片を繋ぐ為に何度も繰り返した過ちも嘘も全部掻い潜って
辿り着くんだ、“そこ”に───』
全神経を集中しノートに認めた“想い”は、日付が変わる前に纏められた
アタルが何の気なしにドライブへと連れ出さなければ、こんなネタは降りてこなかった筈───図らずも、アタルの提案が功を奏した結果となったのだった
無事に大役を勤め上げたユイは、長い長い溜め息を吐いた
疲労感はあれど、その顔は安堵と仲間への感謝で綻んでいた
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