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151 合宿に行こう‐Extra‐
合宿まで、あと3日
23:03
silvitの事務所内に、PCを操作する音が淡々と響く
我妻は事務作業をしながら、ヘッドホンをつけて作曲に勤しむ菱和の姿を静かに見守っていた
菱和は、暇さえあればsilvitに赴いて作曲作業をしていた
『好きなときに何時でも』という我妻の言葉を真に受け、例え深夜であろうと、電話一本で我妻にPCを借りたい旨を告げ、赴いた
無論、我妻もそのつもりで『何時でも』と云い、文字通り“何時でも”事務所を明け渡した
『言い忘れてたけど、あの曲一音下げで作っちまった(^ω^)テヘペロ 無理しなくて良いからな!夜露死苦★☆』
CDRを受け取った2日後、アタルからこんなメールが届いた
別に怒りなどしない
ただ、もう少し早めに、出来ればCDRを渡してきた時に云って欲しかったと思った
だが、今更後に引くつもりは毛頭無い
“色”をつける作業が楽しくなってきたのもあるが、託された“想い”にどうにか応えたい───その気持ちが、一心不乱に菱和を掻き立てた
23:27
ふと顔を上げ、我妻はラストのスタジオ客の様子を見に一旦事務所を離れた
「どうも有難うございましたー」
「はいはーい。お気を付けてー」
客を見送ると、我妻は軽く閉店作業を始めた
入り口の看板を“CLOSE”に換え、ドアを施錠
スタジオの様子を確認し、イコライザーを元に戻す
レジを閉め、伝票をまとめる
店に並んだ誇らしげな楽器たちを見回してから、事務所に戻った
「‥‥‥‥おやおや」
コーヒーでも淹れようかと思いながら戻ってきたものの、菱和はPCの前で突っ伏していた
静かに、深く、寝息が聴こえる
我妻はくす、と笑み、電話をかけ始めた
「あ。もしもし、真吏ちゃん?こんばんは、我妻です」
『こんばんは。どうしたの、こんな時間に?』
「いやね、今アズサちゃんうちの店に居るんだけど‥‥‥‥実はさ、寝ちゃったんだよね」
『あらやだ。どうしよう‥‥今から迎えに』
「ああ、良いの良いの!うちは全然構わないんだ。ただ、真吏ちゃんが心配しちゃアレだなーと思ってさ。遅くにごめんね」
『そう‥‥ごめんなさいね。わざわざ連絡くれて有難う』
「いえいえ。明日、朝起こして、ちゃんと学校行かせるから。真吏ちゃんに連絡入れるようにも伝えとくね」
『ほんとにごめんなさい‥‥‥宜しくお願いします』
「うん、大丈夫。じゃあ、おやすみなさい」
気心の知れた同級生の顔
息子を心配する母の顔
どちらの真吏子も知っている
奇妙な偶然が齎した再会は、懐かしくも淋しくもあった
電話を置いた我妻はそっと笑むと、菱和を一瞥した
「‥アズサちゃん。奥行って寝てきなよ。ここで寝たら風邪引いちゃうよ。身体も休まらないし」
返事がない
席を外していた数分の間に、深い眠りに就いてしまったようだ
再度声を掛け、菱和の肩を軽く揺すった
「アズサちゃん。アズサちゃ───」
「‥るせぇ」
突然、嗄れた声がした
か細く開かれた眼が、我妻を睨み付ける
菱和はすく、と立ち上がり、拳を構えた
「え、ちょっと‥」
殴られると思った我妻は咄嗟に身構えたが、菱和の拳はするりとその肩を抜けた
そのまま、菱和の全体重が我妻にずしりとのし掛かる
次に聴こえてきたのは、先程と同じ寝息だった
「──────えええええー‥‥‥‥」
どうやら菱和は寝惚けていたらしく、夢の中で喧嘩でもしていたようだ
───こんな大きな身体の人間、担いだことないよ‥‥
やっとの思いで、我妻は菱和を奥の部屋まで引きずっていった
事務所の奥は6帖程の小部屋で、ソファーとベッド、机、コーヒーメーカーが置いてある
簡易冷蔵庫とヒーター、小さな流しも設置されていた
寝食程度はここで十分済ませられるが、我妻が店に寝泊まりする機会など殆ど無く、全て念の為に取り付けたものだった
何とかしてベッドに菱和を横たわらせ、身体に布団を掛けてやる
「ふー‥‥びっくりしたぁ。‥あーんど、疲れたぁ」
「‥‥上等だ‥よ。かかって、きやがれ‥───」
一息吐いていると、突然菱和が喋り出した
思わず肩を竦ませたが、寝言だと判明した途端に笑いが込み上げてくる
「‥‥ふふ。初めてここに来たときに戻ったみたいだね、アズサちゃん。‥ゆっくり休みな」
菱和がベースに触れるようになった頃、ここで寝泊まりすることが何度かあった
その時も一心不乱にベースをいじっていた
懐かしさを感じた我妻は、そっと事務所に戻った
***
───‥‥‥‥寝ちまった。くそったれ
菱和が目を覚ましたのは、翌朝7:00頃だった
いつ記憶が途切れたのかもわからず、ただ深い眠りに就いていた
目覚めた瞬間に、“ここ”が自宅ではないと気付いた
ソファには、折り畳まれた布団が置いてあった
我妻はソファで眠り、菱和の“お泊まり”に付き合ったようだ
我妻に“借り”を作ってしまったことに、菱和の心に少しだけ悔しさが募った
「‥あ、おはよ。朝飯買ってきたから、食べよー」
コンビニの袋を提げた我妻が部屋に入ってきた
菱和は、怠そうに頷いてベッドから出た
淹れたてのコーヒーを啜りつつ、我妻が買ってきたサンドイッチを怠そうに貪る
「ここんとこ、ずーっと遅くまで作業してたもんね。流石に疲れ溜まってるんじゃない?」
「‥‥‥、んー‥‥」
「ふふ。相変わらず朝は覇気がないねぇ。夕べ真吏ちゃんに連絡しといたから、あとで電話でもしなよ。あんまり心配掛けるようなことするんじゃないよー」
「‥‥ん」
まだ頭が働いていないのか、生返事しか出来ない菱和
ぼんやりと、煙草を口に咥える
───そういえば、夢の中に“あいつら”が出てきたような‥‥‥‥気のせいかな‥‥
霞んだ景色
懐かしい声
喧嘩の、痕
未だ眠気が抜けないまま、夢を反芻する
しゃきっとしたいのは山々だが、朝はどうしても力が入らない
しょうがねぇかと開き直り、菱和は起き抜けの煙草をゆっくりと味わった
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