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149 合宿に行こう②
学期末試験の傍ら、Hazeの面々はスタジオ練習も欠かさず行っていた
来る合宿に備え、ストック曲や新しい曲の練習に励む
試験勉強は専らスタジオ練習後に菱和のアパートに集って行い、ユイと拓真は毎度のこと夕飯をご馳走になって帰宅する日々を送っていた
とある日の練習後
菱和とアタルは、一服する為に揃って喫煙所に向かった
silvitの喫煙所は店先と裏口にあり、いずれも錆びたベンチと灰皿が置かれている
店先の喫煙所は完全に屋外だが、裏口の喫煙所は屋内───とはいえ、ただの雑居スペースである
夏場は涼しく快適だが、冬はほぼ外気の気温と変わらず、実質屋外のようなものだ
「───ねぇねぇ、お2人さん。中で喫えば?」
喫煙所へ向かう足を呼び止める声に振り返ると、事務所から顔を出した我妻が手招きしている
「は‥?」
「いや‥でも、中‥‥って」
「事務所。使って良いよ。前から云おうと思ってたんだけどさ。寒いでしょ」
暖房の効いた事務所で煙草が喫える
とても有難い提案だった
「良いんすか?」
「うん、おいで。序でに俺も混ぜて」
我妻も、長年に渡り愛煙家である
にこにこしながらマルボロを一本咥え、2人を事務所へと促した
「‥‥お前仕事中だろ」
「良いじゃん別に。ここ俺の店だもん。散らかってるけど、どうぞー」
我妻の言葉に甘えることにし、2人は店内を物色しているユイと拓真に軽く声を掛けてから事務所へ向かった
雑然としているものの、裏口とは比べるまでもなく暖かく快適だった
「あー‥あったけぇ‥‥有難うす、我妻さん」
「いえいえ。流石に店の中に灰皿置くわけにゃいかないけどさ、ここでは気軽に喫ってって」
「‥‥っつうかこの部屋汚ねぇ。ちゃんと片付けとけよ」
「整理整頓とか苦手なんだよねー。それにここ俺しか使わないし、良いじゃん」
「片付け、手伝いますよ」
「有難う、アタルくん。もう少しとっ散らかったら、お願いしようかな」
「十分とっ散らかってんだろ。とっととやれっつうの」
菱和と我妻のやり取りを聞き、アタルはくすくす笑った
菱和のJPS
アタルのラッキーストライク
そして、我妻のマールボロ
いずれも、チャコールフィルターの銘柄だ
三者三様、お気に入りの一本を惜しげもなく味わう
完全禁煙奨励の動きが激化するこのご時世、以前は普通に喫えていた場所でも次々と灰皿が撤去されている
屋外であっても、屋外と変わらない寒さの裏口であっても、灰皿が置いてあること自体に感謝せねばならない
寒さに身を震わせてまで体内に取り込むただの煙に一体何の価値があるのだろうか───“ニコ中”にしか解り得ない、“享楽”と“運命”
屋内から屋外へと追いやられた街中の灰皿に、すっかり肩身の狭くなった“愛煙家の憂い”が取り憑く
元より、楽器屋の店内で喫煙など以ての外であり、silvitの灰皿は初めから店内に設置されていないのだが───
我妻が事務作業を進める傍ら、2人はのんびりと煙草の煙を燻らせた
ふと思い出したように、アタルが話を振った
「そういやお前さ、作曲したことある?」
「‥? ‥‥‥‥、だいぶ前に、少しだけ手を付けたことは」
「‥‥そうか」
アタルはニヤリとし、一旦煙草を咥えてバッグを漁り出した
「これに、色付けてくんねぇかな」
「‥‥色?」
アタルが取り出したのは、ケースにも中身にも特に何も書かれていない一枚のCDR
受け取った菱和は、こくんと首を傾げた
「コードだけは組み立てたんだけどよ、メロとかはさっぱり降りてこねぇんだ。出来るとこまでで構わねぇから、頼まれてくんねぇべか?」
アタルの云う“色”とは、組み立てたコード進行にメロディやリフを乗せること───つまり、『ある程度曲を仕上げて欲しい』ということだった
Hazeの楽曲の作詞作曲は殆どがアタル一人の手で行われており、菱和がそれに加わるのは精々歌詞やアレンジ面において『AとBどちらのパターンが良いか』と問われて自分が良いと思う方に票を投じる程度だった
思わぬ依頼に、すっかり面食らってしまう
「‥‥‥、でももう暫くやってないから、支離滅裂なことになるかも‥」
「良いじゃねぇか、しっちゃかめっちゃかでも。逆にそれが功を奏すかもしんねぇし。ま、無理にとは云わねぇから」
例え滅茶苦茶な出来でも構わないと、アタルは気さくに笑った
恐らくコード進行のみが収録されているであろうCDRを見詰め、菱和は考え込んだ
「‥‥アズサちゃん。そっちのPCに作曲ソフト入ってるからねー」
事務作業を片手間に2人の話を聞いていた我妻が、ひらひらと手を振りお節介を焼いてきた
親切な友人から託された、“ブツ”と助力の貸与
自分が曲を作るなど、あまりにも自信が無さ過ぎる
だが、アタルも我妻も、全幅の信頼を寄せている菱和にだからこそ、託し、力を貸すつもりでいる
「‥‥‥‥じゃあ、預かります」
「頼んだぜ。いつでも良いからよ」
「はい。‥‥‥借りるわ、PC」
「うん。いつでも好きなときに使って」
アタルと我妻に感謝の念を抱きつつ、菱和は短くなった煙草を最後まで味わった
***
「‥ねー拓真。これどういう意味?」
「んー?‥‥あ、もうここが違う」
「え!?ここマイナスじゃないの!?」
「ちーがーうー。っていうかさっきもおんなじようなの解いたじゃん」
「えー、そうだっけ」
「ほんと、鳥頭なんだから」
「こっこっこー」
呆れて溜め息を吐く拓真と、おどけてニワトリの真似をするユイ
silvitを後にしたアタル以外の面々は、菱和のアパートにて試験勉強に励んでいた
「ちょい休憩すれば」
菱和は勉強の合間にも手軽に食べられるようにとおにぎりを数個拵えて来、テーブルに置いた
「あ、有難う。頂きまーす」
「まーす!」
テーブルに広がった教科書やノートを片付け、ユイと拓真はおにぎりを手に取った
菱和も座り込み、ゆかりが塗してあるおにぎり片手にテキストを眺め始めた
「‥ん。‥‥ひっしー、これなに混ぜてあんの?」
「鰹節と粉チーズ」
「ふーん‥‥めっちゃ美味い」
「鰹節とチーズって、合うよな」
「合う合う。俺、コンビニでもついチーズおかか買っちゃうもん」
「ふふ、それわかる!‥アズ、これは?」
「プルコギ入ってる。これだけ韓国海苔」
「‥‥わ、美味っ!!」
菱和が拵えたおにぎりは、三種類×三個ずつ
拓真が食べた、鰹節と粉チーズに醤油を少々垂らしたもの
ユイが絶賛した、プルコギとナルムを詰め韓国海苔で包まれたもの
そして、菱和が食べているゆかりとしらす塗れのおにぎりには梅肉がたっぷり入っていた
食べ盛りの高校生でも十分満足出来る、大きめのサイズだった
「‥‥ねぇねぇ、幾らおにぎりとはいえ、意外と手間かかってません?ただの塩むすびで十分ですのに」
「大した手間じゃ無いですよ。どうせなら美味しいもの召し上がって欲しいじゃないですか」
畏まった拓真に、菱和はふ、と笑んで敬語で言葉を返した
「お心遣い、大変痛み入ります」
「いえいえ。恐縮で御座います。‥‥あ。インスタントだけど味噌汁要る?」
「じゃ、俺やるよ」
拓真はおにぎりを頬張ると立ち上がり、湯を沸かすべくキッチンへ向かった
胃を満たすと、3人は勉強を再開した
ユイと拓真が帰宅したのは、21:00頃のことだった
***
煙草と灰皿を携え、コンポの置いてある部屋に入る
コンポの目の前に座し、アタルから託されたCDRを再生する
ギターのストロークの音のみが流れる
アタルがメールで寄越したコードとルートを辿る
恐らくイントロとサビの境目であろう箇所で、奇妙な違和感を覚える
その正体については後で考えることにし、一先ず最後まで聴き通してみる
───参ったな
再生が終了した室内が静まり返る
菱和は溜め息を吐き、軽く髪を掻き上げた
アタルに託されたのは、全体的にキャッチーでアップテンポの曲だった
曲の雰囲気自体はとても気に入ったのだが、問題は先程の違和感───サビ以外のそこかしこに変拍子が用いられており、リズムが馴染むのに時間が掛かりそうな予感しかしなかった
恐らく、アレンジ次第では拓真も相当苦労するだろう
メロディもリフも歌詞も無く、難解な構成だけが聳え立つ
さて、どう“色”を付けたものか───
───‥‥‥‥インスピレーション‥‥
数多の曲を幾つも幾つも聴き、この世に二つと無い感覚を培ってきたのであろう
インスピレーションに従い曲を構成するそれは、最早魔法のようだ
さらりと変拍子を組み込む辺りは激しく感心せざるを得なく、アタルの脳内は果たしてどうなっているのだろうかと疑問に思う
以前、完全に遊びの感覚で手を付けただけでそれっきりであった作曲という行為
よもやこんな形でやることになろうとは、菱和本人ですら想像もしていなかったこと
───あいつみたいに、“味”がすればな‥‥
アタルは作曲においてユイの味覚を参考にすることが多く、蠱惑の口が得たインスピレーションもまた不可解で唯一無二のものだ
ユイの共感覚が羨ましいと、菱和は思った
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