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129 BROTHERHOOD-Ⅱ
「次いつ帰ってくんだよ?」
「早くてGWかな。ユイのこともあるし、ちょいちょい帰ってくるつもりではいる」
「ふーん。じゃ、時間あったらスタジオだな」
「え、やだよ」
「‥何でよ」
「だって俺、今全然ベース触ってないもん。腕鈍りまくってるなんてもんじゃない」
「関係ねぇべ」
「やだ。恥ずかしい」
「何年バンドにいたと思ってんだよ‥‥今更恥ずかしいも何もねぇだろうに?」
「行こう」「嫌だ」のやり取りを数回続ける尊とアタル
双方折れる気配はない
ふと会話が途切れ、その隙間を見計らっていたかのように菱和が口を開いた
「‥‥俺も聴いてみたいす。尊さんのベース」
「ほらなー!?やっぱスタジオ行くべよ!」
「やめてよー、菱和くんまで」
尊は思わず苦笑いした
アタルはニヤニヤし、メロイックサインを作って尊を煽った
「や、前にユイが云ってたんす。尊さんと俺の音は『同じ味がする』、って‥‥俺も尊さんが居た頃の音源聴きましたけど、どんだけ聴いても何がどう同じなのかさっぱりわかんなくて」
「‥‥‥‥ミルクティー‥‥?」
尊はきょとんとし、ユイが尊の“味”だと指摘したものの名前を口にすると、菱和はこくりと頷いた
弟の特異体質、“共感覚”
その感覚は、兄である尊ですら不可解なもの
況してやこんなエピソードを聞けるなど、思いもよらないことだった
「‥‥そんなこと云ってたんだ、あいつ‥‥‥」
「そんなら聴き比べるっきゃねぇべ!ひっしーも気になってんだし。な?」
「‥‥‥まぁ‥‥時間があったら、な」
自分と同じ味がする人間が存在する───未知の感覚の話はとても興味を惹かれる
それは尊も同じようだった
結果的に自分が折れてしまったことに納得したくないのか、尊は難しい顔をしながら頬の辺りを軽く掻いた
「───あ、みんなしてずりぃの!俺らにもなんか作ってよ!」
噂をすれば何とやら
なかなか帰ってこない3人に業を煮やしたユイが降りてきて、リビングのドアからひょっこりと顔を出した
アタルは目を細め、軽く舌打ちした
「ち‥‥見付かったか」
「兄ちゃんとアズも、トランプしようよ!」
「これ飲んだら行くよ」
「うん!早く飲んで上来てよ!ほらあっちゃん、はーやーく!」
「でけぇ声出すなよ、親父さん起きちまうだろ」
グラスの中身を飲み干してしまっていたアタルは真っ先にユイに捕まった
冷蔵庫を物色して何本かのペットボトルとグラスを3つ携え、渋々2階へと向かって行った
ダイニングテーブルに着席したままの尊と菱和は、先に連行されたアタルをほんの少し憂い、ゆっくりとモスコミュールを味わう
───あっちゃん、ジンジャーベースが好きなのかな‥‥ビールベース‥?
透き通った琥珀色のモスコミュールを眺め、菱和はそんなことを思った
「───キツくない?」
声を掛けられた菱和はグラスから目を離した
「ウォッカ。結構度数強いけど、大丈夫?」
「平気す」
「酒、強いんだね」
「‥‥‥そうなんすかね‥‥」
「ふふ、多分ね。全然顔変わんないもんね。菱和くん、今年二十歳になるんだよね?多分あいつ誕生日過ぎたら鬼のように飲ませてくると思うから、迷惑だったら遠慮なく云いなよ」
尊は申し訳なさそうに笑み、ゆっくりとモスコミュールを飲んだ
この一晩だけでも、アタルは存分に美酒を振る舞ってくれたと思う
年明け前に飲んだシャンディガフも、今飲んでいるモスコミュールも、アタルの配分は絶妙だった
自分が二十歳になった折、果たしてどんなものを振る舞ってくれるのだろうと淡い期待を抱き、少し口角を上げた
「‥‥、いえ、全然。楽しみす」
───‥‥‥‥っつーか俺、
良いか悪いか、どちらかと云えば───いや、確実に悪い
菱和がまだ未成年だという事実に、もう誰も突っ込もうとしない
───ま‥いっか、もう
ぐ、とグラスを傾けると、ジンジャーエールの炭酸が喉を通り抜け、ウォッカのクールな苦味とライムが後を引く
不良時代に悪友たちとふざけて飲んだ缶ビールとはひと味もふた味も違う“女殺し”のモスコミュールは、確実に脳を刺激してくる
だが、酔いが回っている感覚は無い
尊の云う通り、恐らく菱和はアルコールに耐性がある体質なのだろう
中身が半分ほどになったグラスの中の氷が、カラ、と音を立てた
「‥‥ユイ、だいぶ懐いてるみたいだね」
尊がふと、ユイについて触れる
「この前云ってたよね、飯御馳走になってるとかって?共感覚のことまで話してるくらいだから、よっぽど気を赦してんだなーと思ってさ」
のほほんと話す尊の言葉に、先刻外でアタルと話していたことが思い起こされる
アタルの話だと、自分は安心感を与えられているようだとのことだが───
「‥‥だと良いんすけど」
『どうかそれが真実であるように』と祈る
“それ以上のこと”を語る必要はないと思い、菱和はまた琥珀色のグラスを見詰めた
「───まぁ、そりゃそうか。“大好きな人”だもんな」
尊が紡いだ言葉に、菱和の動きがピタリと止まった
『何となくだけど、尊はお前らのこと気付いてんじゃねぇかな』
『あいつの云う“大好きな人”って、1000%お前のことだろ』
──────マジかよ
アタルが云っていた“1000%”はガチだったのだと思い知らされる
尊もまた、菱和が弟と恋仲であることを確かめたかったのだろうか───
「‥‥ね」
訝しげもなくにこりと笑い掛け、同意を促す
菱和の心臓が、どく、と鳴った
「‥‥、‥‥‥‥───」
沈黙は、肯定していることになるだろうか
否定する気は更々ないが、やはり実の兄に真実を語るのは些か勇気が要る
しかし、尊が事情を把握している以上、有耶無耶にするのも可笑しな話だ
何も語らぬつもりでいたが、菱和はグラスを置き、重い口を開いた
「───気にならないすか」
「‥ん?」
「‥‥こんな“形”してる奴が弟と仲良くしてて、‥迷惑じゃないすか」
「全然。寧ろ、感謝してる。‥‥あいつが辛いときも傍に居てくれて、ほんとに有難う」
尊もグラスを置き、菱和に向き直って徐に頭を下げた
支えるべきであろう時に、自分は何も出来なかった
その代わり、ユイは拓真やリサ、菱和の存在に救われていた
3人はそれが当然のことと思い、自分達の意志でユイの傍に居ただけだ
見た目など、関係ない
形振り構わず弟を想いやってくれる人間が身近に沢山いるということへの、多大な感謝
家族として、兄として当然の想いだ
尊の想いが、じわりと胸に沁みる
「───感謝しなきゃなんねぇのは俺の方です」
「‥‥、え‥」
尊は『寝耳に水』という顔をし、目を瞬いた
「‥‥俺、今までまともに友達とか居なくて。今は、ユイもそうだけど、佐伯とかリサとも一緒に居るようになって、他にもダチ増えたし、バンドも楽しいし‥‥‥‥‥あいつがバンドに誘ってくんなきゃ、今頃どうしょもねぇ人生しか歩んでなかった筈です」
下らなかっただけの世界が、変わった
自分の居場所を見付けた
“そこ”に存在していても良いのだと、“それ”を手離したくないと思った瞬間から、何もかもが色めき出した
その色を付けたのは、ユイだ
『お前は、俺の“恩人”』
いつか、ユイにもそう伝えたことがあった
本人はピンとこなかったようだが、菱和の想いは今も変わらずにいた
「‥‥全部、全部あいつのお陰なんです。今の俺が在るのは」
静かに吐き出されたその心は、ぽたりと落ちた雫が水面に広がっていくように尊の胸に響いた
───この恵体でも、抱えきれないものが沢山あったのかな
無論、身体と精神の大きさは比例しない
だが、単純に、尊はそう感じた
誰にでも本人にしか解り得ない苦悩や葛藤があり、それらと上手く付き合えていたり手離す術を見付けられたならば御の字だが、誰しもがそう器用に生きられるわけではない
生きづらさを抱えている人間は、そこら中に溢れ返っている
菱和もご多分に漏れず、つい最近まで人生そのものに悲観していた
自分でも『どうしようもない』と思うほどの道を辿ってきたというのか
『まともに友達が居なかった』というのは自らの選択だったのか、将又そうせざるを得ない事情があったのか
初対面の時から、菱和に対して“やや大人びている”という印象を抱いていた
どんな人生を歩んできたのかはわからないが、“そうならざるを得なかった”のかも知れない
その軌跡によって、今の菱和が形作られている
人一倍騒がしいユイを相手にしても、アタルの茶化しにも余裕の構え
気難しい面があるリサとも、上手くやれているようだ
無愛想で無表情で無口と聞いてはいたが、全くそんなことはない
一癖も二癖もある連中と付き合える柔軟さを持ち合わせ
友人への気遣いや礼儀を弁え
砕けてはいるが年上の人間へ敬語を使い
見た目とは裏腹の素直さと謙虚さを持ち合わせ
メッシュ、ピアス、煙草といった不良の印象が掻き消えるほど真面目で実直な人間が、弟の“大好きな人”───
───ほんと、“イイ奴”だな。それに引き換え、あいつは‥‥‥
果報を伝えてきた弟の朗な声を思い出した
「‥‥‥基本アホだし、五月蝿くて落ち着きなくて思ったことすぐ口に出すKYだしアホだし天然だし、面倒かけると思うけど‥‥ユイ共々、これからも宜しくお願いします」
まだまだ幼稚で未熟な弟の存在が他人に影響を与えていたとは、況してや菱和に『あいつのお陰』と云わしめてしまうほどの影響を与えているなど露知らず
性格も体格もアンバランスではあるが、本人たちが幸せであるならばその程度のことは大したことではないと思える
細やかながら二人が益々睦むことを願い、尊は今一度深く頭を下げた
───“アホ”って、2回も云った
この世の誰よりもユイのことを熟知しているであろう兄の、辛辣な言葉
だが、その言葉尻には愛情すら感じられる
『誰だって、家族の幸せを望むだろ。‥‥尊も、ユイが幸せなら相手が誰だろうと文句ねぇよ、きっと』
───ほんと敵わねぇな、あっちゃんには‥‥
伊達に20年近く親友でいるわけではない
その絆をまざまざと見せ付けられた
兄弟、親友、恋人───どんな形であれ、互いに想いやる心は気高く感じられる
鬱陶しいだけだった人との繋がり
今は、ただただ貴いものだ
奇妙で奇特な廻り合わせ
自分もこの全ての縁を大切にしたいと、菱和は強く望む
「‥‥こちらこそ、宜しくお願いします」
菱和が顔を上げたところで尊がグラスを手に取り、軽く傾ける
菱和もグラスを持ち、小さく乾杯をした
カチ、と小粋な音が鳴る
尊がふ、と笑みを浮かべると、菱和はほんの少し会釈した
二人は再び、ゆっくりとモスコミュールを味わった
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