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128 BROTHERHOOD-Ⅰ
2人が室内に入ると、ちょうど尊が冷蔵庫を開けようとしているところだった
リビングのドアが開く音に振り返った尊は、目を丸くする
「どこ行ったのかと思えば‥‥まさか外で喫ってたの?」
「ああ、気分転換に。クソ寒かったー」
アタルと菱和は寒さで赤くなった指先を擦り、ヒーターに近寄る
「当たり前だろ‥‥菱和くんまで連行して‥‥‥風邪でも引かせたら大変だろ」
「こいつタフだし、へーきだよ」
「お前が云うなっての、折角来てくれてるのに!もう外で喫うなよ。菱和くんも、ここで喫って良いからね」
頬や鼻を赤く染めてへらへら笑うアタルに呆れた視線を寄越し、尊は台所の換気扇を指差した
アタルは差し出された灰皿に吸い殻を落とし、生返事をする
「へいへい。‥つぅか尊、なんか作っちゃっか?」
「‥‥じゃあ、モスコ」
「おう!ひっしー、お前もちょっと待ってろ!」
「うん」
暫し暖をとった後、アタルは台所に向かった
冷蔵庫からウォッカの瓶とジンジャーエール、ライムジュースを取り出すと、グラスにウォッカとライムジュースを1:1の割合で注ぎ、そこにジンジャーエールを適量加える
モスコミュールで満たされたグラスが3つ、ダイニングテーブルに置かれた
「ほい」
「どーも」
「‥お前も!」
「‥‥頂きます」
3人は軽く乾杯をし、グラスに口を付けた
ウォッカのクールな苦みにジンジャーエールの炭酸と仄かな甘味、そして爽やかなライムの香り
引き締まった風味のモスコミュールが、3人の喉を通っていく
「───“climb-out”って、3年前だったっけ」
モスコミュールに舌鼓を打っていると、尊が唐突に呟いた
「‥ベース、弾いてたよね?」
菱和を見て、にこりと笑む
“climb-out”
それは3年前、菱和が我妻に“無茶振り”をさせられたライヴの名前
思いもよらぬ発言に呆気に取られつつも、菱和はこくりと頷いた
「‥‥はい」
「やーっぱそうだよね。あー良かった。これでほんとにすっきりした」
「あ?何だそれ?」
アタルは首を傾げ、2人を交互に見遣る
「ほら、俺がバンド抜けるってときにユイと拓真から菱和くんの話聞いてさ、集合写真見してもらったじゃん。『どっかで見たことあるなー』って、ずーっと思ってて。『ああ、あんときベース弾いてたカレだ』って、この前やっと思い出したの」
尊の脱退に伴い、昨年春に行われたバンドのミーティング
その時に見た写真の菱和に抱いた“見覚えがある”という印象
菱和の口から明確に答えが返ってきたことでその記憶が間違いでなかったと確信した尊は、満足げにモスコミュールを口にした
3年前の自分を知る数少ない人物が目の前にいる
その奇妙な偶然に、呆然とする菱和
「‥‥‥‥、そうだったんすか」
「ふふ。あんときから、あんま変わってないね。長身で髪も長くしてて」
「ふーん‥‥そんときからこんなブアイソだったんか、こいつ?」
「こらこら。失礼だろ。‥あ、でもメッシュは入ってなかったような」
「‥‥あんときはまだ入れてなかったす」
「やっぱり?」
「よく見てんなぁ。っつぅかよく覚えてんな」
「目立ってたから。見た目も十分インパクト強かったけど、とにかくあの“音”が───」
“climb-out”が行われた当時にベース歴2年余りの菱和が“無茶振り”させられていたことを、尊は知らない
それを差し引いても、菱和の姿と音は尊の記憶に鮮烈に刻まれるほどの衝撃だった
煌めくステージの上に不釣り合いな無表情と、我武者羅で太っといベースライン───
「───今でも覚えてるよ。ほんと、衝撃的だった」
我妻の“無茶振り”に付き合わされた菱和には、観客に意識を回す余裕は皆無だった
更に、半ば自棄糞になりながら弾いていたそれは、他人と音を合わせることの快感を未だ知らぬ音
今よりも断然“青かった”当時の自分を、よもや尊に見られていたとは───
少し気恥ずかしくなった菱和は、軽く頭を掻いた
「‥‥恐縮です」
「ふふふ。‥我妻さんね、あの日色んな人に菱和くんのこと“愛弟子”とかって自慢してたよ」
尊の言葉に思考が停止し、したり顔の我妻が脳裏を過る
───あんにゃろう‥‥知らぬ間にそんなこと触れ回ってやがったのか
「‥‥‥‥あいつはただのアホです」
のらりくらりと喋る我妻の様子が容易に脳内再生され、菱和はボソリと憎まれ口を呟いた
尊とアタルは思わず噴き出す
「‥ぶっ‥‥云うねぇ、菱和くん」
「ははっ!“アホ”呼ばわりかよ!‥‥っつぅか、我妻さんと付き合い長いんか?」
「んー‥‥‥もうかれこれ5年くらいなる、かな」
「ベースは我妻さんに教わったんだ?」
「‥、まぁ‥‥」
「あの人、元プロだろ?直々に教われるなんて、すんげぇ贅沢なことじゃんか。超絶羨ましいぜ」
「‥‥あいつがプロだったって、知ってたんすね」
「“RIOT”でしょ?知る人ぞ知る伝説のバンドだよね。いつだったかその話したら、『黙ってて』って云われて。だから、ユイと拓真には話してないんだ」
silvitの常連でも我妻がプロのベーシストであったことを知らない人間の方が圧倒的に多く、事実、ユイは甚く驚いていた
一方、アタルと尊は知っている様子だ
触りだけならば、菱和は我妻がバンドを辞めた理由を知っている
だが、特別無口なタイプ故他言はしないだろうと踏んでの判断だろうか、口止めまではされていなかった
解散理由の触りをユイに打ち明けたことに特に罪悪感を抱きはしなかったが、我妻が話したがらない理由もユイが知らなかったことにも納得し、菱和は軽く頷く
「‥‥なぁ、我妻さんのベースって、どんな感じなん?教わってたんなら、ちょっとくらい聴いたことあんだろ?」
「“どんな”‥‥‥‥、あいつ、解散したあとは二度と楽器弾かないつもりだったらしいんす。だから俺も滅多に聴いたことないんすけど、やっぱ‥プロと素人は目に見えて違うな、と思います。なんつーか、オーラが半端ねぇっていうか‥‥‥昔の音源と比べても全く遜色ねぇし、全然ブランク感じさせねぇのはやっぱすげぇな‥って」
尋ねられ、記憶を辿るも、菱和でさえ我妻のベースを聴く機会は少なかった
それでも、自分しか知らない僅かな情報を伝える
尊とアタルは、神妙に頷く
「‥‥でもあいつ、基本いっつものらくらしてるし、大したこと教わってないんで‥‥正直“教わった”うちに入るかどうかも怪しいす」
そう云って、軽くモスコミュールを煽る
菱和と我妻
2人がどういった経緯で出会ったのかは知らないが、尊には唯一断言出来ることがあった
「───ほんとにお気に入りなんだね、我妻さん。菱和くんのこと」
我妻が普段からのらりくらりしている我妻のキャラクター
そうではない、“半端ないオーラを放つ姿”を、菱和の前でなら見せているよう
剰え、『二度と楽器を弾くつもりはない』と云いつつ自分の技術を教授したのは菱和を気に入っているからこその行為なのではないかと、尊は率直にそう思った
尊の言葉が腑に落ちない菱和は、少し首を傾げた
「‥あいつが無駄に絡んでくるだけです」
「愛されてるんだねぇ。正に“愛弟子”」
「‥‥あいつが勝手にそう云ってるだけす。‥あの日も、あいつが弾くっつーから行ったのに無理矢理楽器押し付けられて、仕方なく演っただけで」
「素直じゃねぇなぁ‥‥。愛弟子にサイコーのステージ用意してたんじゃねぇの?」
「ただの思い付きです、ぜってぇ」
「それでも、菱和くんなら弾いてくれると思ったんじゃない?そう思うってのもわかってて菱和くんに弾いて欲しかったんでしょ、きっと」
尊とアタルは2人の関係性を貴く感じ、我妻の菱和への想いを馳せた
“climb-out”の日
端から弾くつもりがなかった“少し年の離れたお節介な楽器屋のジジイ”は面白半分にベースを託し、“やたら無愛想で尖った目付きのクソ生意気なガキ”は嫌がりながらも無茶振りに付き合った
尊とアタルには、2人が互いに信頼を置いていなければ成立しないやり取りだったのではないかと思えた
不良同然だった当時の菱和を受け入れ、楽器に触れる機会を与え、如何なる時も対等に接してきた我妻
silvitに出入りするようになってから現在までその態度は変わらず、やさぐれた心の澱が徐々に薄れていくのを、我妻も、菱和自身も感じていた
だが、我妻が勝手に“愛弟子”と呼んでいるだけで、自分達の間に師弟愛など存在しない
ベースを勧められたことに対して感謝の気持ちこそあるものの、それ以上でもそれ以下でもない
菱和にとっては、そんな認識だった
図らずも構築された関係性に、今更感謝の念を抱くことや慕うことを恥じらっているだけなのかも知れない───
───死ぬほど嚔でもしてやがれ、クソジジイ
尊とアタルにわからない程度、菱和は口角を上げた
「菱和くん、ベース歴何年?」
「5年です」
「じゃあ、“climb-out”の時で2年か。2年であれだけ様になってたら、我妻さんも満足だったんじゃないかなぁ」
「ふーん‥‥そんなすげかったんか。お前、そん時どんくらい練習してたんだ?」
「‥‥左手の指全部、水膨れ出来ました」
「うぇ、全部て‥‥でも俺もベース弾き始めの頃はよく水膨れ作ってたなぁ‥‥ギターの弦と全っっ然違うもんね」
「‥指“出来る”までは痛いすよね」
「だよねー。‥‥っていうかさ、イイ音出すよなぁ。前に音源聴かしてもらったけどさ、“RED SILK”とかもう、ゾクゾクしちゃった」
「‥‥恐縮です」
アタルが2杯目のモスコミュールを作り始める
3人は酒を酌み交わしながら、再び楽器やバンドの話に興じる
「‥‥尊さんは元々、ギター弾いてたんすよね」
「ああ、うん。そう。で、あのレスポール、ユイにやったんだ。バンドやろうかーって話になったとき『他の楽器はやらない』の一点張りで、余ってたパートがベースだったから俺がやることになってさ。‥‥序でに云うと、アタルも元々はギターじゃなくてドラムやる予定だったんだよ」
「そうそう。俺が叩いてんの見て拓真が『タイコやりてぇ』って云い出してさ」
アタルは余っていたレモンの輪切りを噛みながら、拓真がいる階上を指差した
「‥あっちゃんが、ドラム‥‥」
ツンツンの赤いウルフヘアを振り乱しながら、何なら上半身は裸でドラムをしばき倒す姿が、容易に想像出来た
「今考えればいちばん良い布陣だよな、案外バランス取れてて」
「結果的にはなー。チビは根っからのギター小僧だし、たーも器用だからすぐ色々叩けるようになってよ。で、今はお前がベースだし、な」
アタルはレモンを噛んだままニカッと笑った
尊がユイにレスポールを託し、ベースを始めたこと
拓真がアタルに影響を受けてドラムを始めたこと
ユイとアタルのツインギターが成立したこと
我妻が菱和にベースを勧めたこと
尊がバンドを脱退し、菱和が新たなベーシストとして加入したこと
このバンドが結成されたこと、このバンドに居られること
その全てが、必然的だったのだろうか
果たして誰にも知る由もないが、その必然性に誰もが感謝していることに変わりなかった
Haze結成の一端を垣間見、菱和は自分がバンドでベースを弾いていられることを改めて感慨深く思った
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