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121 チーズメンチカツ
ユイの父が帰宅したところで各々は車に乗り込み、いざ“きなり”を目指す
“きなり”のチーズメンチは、ユイが幼い頃から慣れ親しんだ味だった
家族の誕生日や入学式、卒業式などの折、お祝いを兼ねて父によく連れて行ってもらっていた
揚げ物中心のメニューでボリュームがあり、毎度毎度胃も心も大満足になれるお気に入りの店の一つだった
家族だけでなく、大好きな幼馴染みに加え菱和も一緒にとなると、いつも以上にテンションが上がる
注文をし暫し待っていると、各々が頼んだ定食がところ狭しと並び出す
カラリと揚がった香ばしい衣が、食欲を唆る
「‥美味そ!」
「おー良い匂いだなぁ」
「食べよ食べよ。遠慮しないでたーくさん食べてねー」
「頂きます」
「頂きまーす!」
各々が揚げ物を次々と口にする
さく、と衣が音を立て、噛んだ瞬間にじゅわ、と肉汁が溢れ出る
ユイは咀嚼しながら横に座る菱和に味の感想を求めた
「‥アズ、どぉ?」
「‥‥超美味ぇ。何個でも食えそう」
「‥でしょ!?良かったぁ!」
ユイはにこにこしながらご飯を頬張った
同じく、頬張りながら拓真がリクエストをする
「今度さ、作ってよ。チーズメンチ」
「ああ、良いよ。こんな上手く作れるかどうかわかんねぇけど」
「え、菱和くん料理するんだ?」
意外な一面を耳にし、尊が目を丸くする
「一応、それなりに」
「全っ然“それなり”じゃないから!俺らね、スタジオ帰りによく晩飯ご馳走になってんだ!アズってばもうほんっっと料理上手いんだよ!」
「ほんとなー。今まで食ったものぜーーーんぶ美味かった」
「お前ら、バンドに入って貰っただけじゃ飽きたらずそんなことまでしてたのか‥‥‥‥なんか、悪いね‥‥」
「‥いえ、全然」
菱和は少し口角を上げて、謝罪する尊に軽く会釈した
「あ。菱和くん、お家はどの辺?帰り送ってくよ」
「いえ、ここからそのまま帰ります」
「え‥‥でももう時間も遅いし‥‥」
「俺だけ方向違うし、送ってもらったら余計帰り遅くなるだろうから‥‥大丈夫です」
リサはちらりと菱和を見て、ぽつりと尋ねる
「‥遠慮してる‥‥?」
「‥‥‥‥別に」
リサがつ、と菱和を見つめる中、当の本人は黙々と咀嚼をする
辰司はにこりとし、菱和に云った
「どうせだから乗ってって。ついでだし、何も気にしなくて良いから」
辰司の言葉に、ユイも拓真も尊もふ、と笑顔を見せる
菱和は一同を見回した後、辰司の厚意にゆっくりと頷いた
「‥‥‥‥じゃあ、お願いします」
***
全員が食事を終え、口直しの温かいお茶を口にする
一同が暫し胃を落ち着かせる中、菱和は席を外そうとし、ゆっくりと立ち上がる
「アズ、煙草?」
「ん」
「じゃ、俺もトイレ行ってこよー」
拓真も立ち上がり、用を足しに席を外す
「煙草喫うんだ、菱和くんって?うちで喫ってっても良かったのにな」
外へと向かう菱和の後ろ姿を見て、尊がぽつりと呟いた
「‥‥あいつなりに遠慮してんじゃない」
「遠慮、ねぇ‥‥っていうかもう遠慮するような仲でもないんだろ?リサが普通にしてるくらいだし」
「‥‥どういう意味だよそれ」
「ん?その仏頂面が少ーし柔らかくなる程度には仲良しなんじゃないかってこと。初めてなのにめっちゃ馴染んでるし、相当仲良いんでしょ」
「‥‥知らない」
「ほんと照れ屋さんだな、リサは」
「うっさいよ、もう」
尊にからかわれたリサは、そっぽを向いた
リサと尊のやりとりを見て聞いて、ユイはくすくす笑った
「新しいお友達が増えて良かったなぁ、みんな」
のんびりと茶を啜る辰司の目が細くなった
そろそろ会計にと、皆が席を立つ
尊は一足先に外に出て、入り口に置かれた灰皿の前で煙草を吹かす菱和を見つけた
「お、いたいた。今会計してるから、もうちょい待ってて」
「‥‥はい」
菱和は軽く会釈し、返事をした
尊が横に並び、問い掛ける
「‥‥バンド、楽しい?」
「‥はい、とっても」
「‥‥やたら騒がしいのが約2名くらいいるけど、手焼いてるでしょ?」
ユイとアタルの顔が思い浮かんだ菱和は口角を上げ、穏やかな顔をした
「全然。‥‥このバンドでベース弾けて、ほんと良かったと思ってます」
「‥‥そっかぁ‥‥」
尊はユイやアタルから時々連絡を受けては、やれバンドがどうのライヴがどうのという話を再三聞いていた
ユイやアタルの話を聞く限り、自分が抜けた穴は菱和が十二分に埋めており、ただバンドでベースを弾いているだけではなく友人としても良い付き合いをしてくれているということがとても喜ばしく、改めて安堵の表情を浮かべる
「‥‥‥‥そういえば、ずっと気になってたんですけど」
「ん?」
「‥‥ユイって、何で“ユイ”って呼ばれてんですか。本名は“タダシ”ですよね」
「ああ。‥‥あんね、俺が小学校のとき、たまたま辞書かなんかで“唯一”っていう文字見たのね。んで、『お前の名前“ユイ”って読むんだ』って話して、そっから“ユイ”になったの。俺が“ユイ”って呼び続けてたらいつの間にか親父もそれが移っちゃったみたいで」
「‥‥‥‥なるほど。‥‥謎が解けました」
「ふふ。昔は“たっち”とかって呼んでたんだけど、“ユイ”の方が呼びやすいんだよね」
「そうですね、呼びやすいですね」
「でしょ?そんなわけで、今じゃ家族ですら誰も“タダシ”って呼ばないのね。‥ひどい話でしょ」
ユイが“ユイ”と呼ばれる所以
その理由を作ったのは、兄である尊だった
長年“ユイ”で慣れ親しんでしまった今、本名で呼ばれないことは本人ですら気にはしていない
何となく“家族の愛情”を感じ、菱和は少し口角を上げた
***
「‥‥そこのコンビニで降ろしてください」
「良いのかい?」
「はい」
菱和は自宅の最寄りのコンビニで降ろしてもらうことにした
車を出るや否や、運転手である辰司に向かってぺこりと頭を下げる
「有難うございました。‥‥すげぇ美味かったです、ご馳走様でした」
「いえいえ。また皆でなんか食べに行こう」
いずれまた来るであろうその機会を待ち侘びることとし、菱和は頷いた
車窓を開け、一同はそれぞれ菱和に声をかける
「風邪、引かないようにね」
「ひっしー、またね!」
「来てくれてどうも有難う」
「また今度ゆっくり遊びにおいでね」
ユイは少し身を乗り出し、人一倍別れを惜しんだ
「‥‥アズ、またね」
「‥‥‥‥なんかあったら、連絡しな。朝早くでも夜中でも、いつでも」
「うん。‥‥ほんとに、ありがとね」
「なんも。‥‥じゃ、また」
菱和は穏やかに笑み、自宅方面へと歩いていった
菱和の後ろ姿を見送ると、辰司は車を発進させた
「じゃ、帰りますよー」
「ほーい」
「はー、なんか雪降りそうだなぁ」
「明日辺り、降るかもって」
「マジ?」
「まぁ、もう暮れだもんなぁ」
いよいよ雪が降りだしそうな年の暮れ
初めてキスをしたこと
美味しい食事を作ってくれたこと
菱和の愛情を独り占めしていたこと
ずっと傍にいてくれたこと───
ユイは世話になっていた3日間余りの出来事を反芻しては照れ臭くなり、口元が綻んだ
年明けも菱和と一緒に過ごせるときを待ち侘び、ふ、と空を見上げた
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