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118 “More Than Words”
ユイが菱和の自宅で過ごすのも残り約一日
帰宅する時間が刻一刻と迫り、時計に目をやっては『帰りたくない』という気持ちが募っていく
『明日、16:00くらいに行くから。のんびり帰ってきなヽ(・∀・)ノ』
「おけ、わかった(・ω・)ノシ」
『 あと、ひっしーも明日の晩飯誘っとけば♪』
「うん、聞いてみる★」
電話を切った後、ユイは拓真とメールでそんなやり取りをしていた
それからは昨日までと何ら変わらず
昼までだらだらと過ごし
昼食を終えたら軽く家事をして
菱和の手の絆創膏を替え
夕餉の時間まで好きな音楽を聴いたり楽器を触ったり
そして、この日も二人揃って入浴をした
風呂上がり
キッチンで冷たい麦茶を飲み身体の水分を補っていると、リビングの掛け時計が目に入る
時刻は21:35頃
明日の今頃には兄と父が帰ってきている
会えるのを、ずっと待ち望んでいた
嬉しい筈の兄と父の帰り
だがユイの心には淋しさが募っており、壁に寄りかかってぼーっと時計を見つめていた
キッチンの換気扇の下で煙草を喫っていた菱和は、ユイの様子に気付き声を掛ける
「‥‥どした?ユイ」
「ん?んー‥‥‥‥なんか、明日のこの時間はもうここにいないんだなぁとか思って‥‥。‥‥‥帰りたくない、なぁ‥って‥‥」
ユイは正直に心境を伝え、はにかんだ
菱和には、感謝してもし足りないほど尽くしてもらった
なにか少しでも返せればと思い自分にできることをやったものの、十分ではないと感じる
何よりも、すっかり菱和から離れがたくなっており、会えない時間を考えては憂いた
「‥‥‥‥正直云ってい?」
「ん、何?」
菱和は煙草の火を消し、ゆっくりとユイに近付く
壁際に佇むユイの頬に触れ、顔を寄せた
「‥俺も帰したくねぇ」
耳元でボソリと呟かれ、ユイの心臓が鳴る
す、と身体を離すと、菱和はユイの頬を親指で擦りながら優しく云った
「‥‥でもさ、明日お前んちで佐伯たち待ってんだろ。皆で飯食いに行くんだよな。約束は守んねぇと。‥年明けたら、また泊まりに来れば良いよ」
ふ、と笑む菱和
ユイは少し不安げに顔を上げ、菱和の服をきゅ、と掴んだ
「また、来ても、良い‥‥?」
「なぁに野暮ったいこと聞いてんだよ」
菱和はユイの額にデコピンをした
「って!何すんだよもぉ‥‥」
「‥お前が来たいと思ったときに、いつでもおいで」
「‥‥、‥‥うん‥‥」
ユイは額を擦り、気恥ずかしそうに頷いた
菱和はユイに笑い掛けると、新しい煙草に火を点けた
***
菱和はベッドに寝っ転がり、俯せになってだらだらし始めた
軽く欠伸をし、怠そうに枕に顔を埋める
ユイはベッドの脇に腰掛け、菱和の顔を覗き込んだ
「‥‥眠いの?」
「ん‥‥今日は俺の方が先に寝そ‥‥」
「そっか‥‥‥‥じゃあ、今日は楽器弾くのやめるね」
「良いよ別に。‥‥なんか子守唄になりそうなの弾いて」
「子守唄‥‥?んー‥‥‥‥あ、じゃあ“More Than Words”とか如何でしょうか」
「‥EXTREME?」
「うん。小さいとき、寝る前に兄ちゃんに弾いてもらったことあるんだ」
「ふぅん‥‥。確かに入眠にはぴったりかもな。‥じゃあ宜しく、ヌーノ」
「あんなイケメンじゃないし恐れ多いよ!‥大好きだけど」
「ふふ‥‥‥‥イケメンだよな、ほんと」
「ね!‥チューニング下げるからちょっと待ってて」
「ん‥‥」
ユイは隣の部屋からギターとアンプを携えて戻ってきた
“More Than Words”に限らず、EXTREMEの楽曲は全て『半音下げチューニング』になっている
菱和はチューニングをするユイをぼーっと見つめていた
軽く爪弾いてから、ユイはイントロを弾き始めた
指板を滑る指の音と、節々にボディーを叩く音が心地好く響く
ユイは上機嫌で歌い始めた
俺が聞きたいのは「愛してる」って言葉じゃないって云ってるのさ
望んでない訳じゃないけど
でも、『感じるままを表現することが如何に簡単なことか』っていうことを君がわかってくれさえすれば、とは思ってる
その愛が本物だと証明するには、言葉以上のもの以外にないんだ
そしたら、わざわざ「愛してる」なんて云う必要もなくなるんだろうな
だって、云わなくてもわかるからさ
この心が二つに引き裂かれたら、君はどうする?
君に教えたい言葉以上のものっていうのは、俺への愛が本物だと感じられるものだ
君の「愛してる」を奪ったら、君は何て云う?
もしそうなったら、ただ「愛してる」って云えば良かったものも、変えられなくなるね‥‥‥‥
こうして君と話して、わかってもらおうとしてる
君はただ目を閉じて、手を差し伸べてくれさえすれば良い
そして触れてきつく抱き締めて、絶対に離さないでくれ
俺が何処へも行かないように
俺が欲しいのは、言葉以上のもの以外にないんだ
そうしたら、「愛してる」なんてなんて云う必要もなくなるんだろうな
だって、云わなくてもわかるからさ
言葉なんかよりも───
この曲に関しても、ユイは和訳を知らない
“More Than Words”という言葉の意味は理解しているが、この歌詞が何を伝えたいのかまではわからない
ただ、“言葉よりも態度で気持ちを表して欲しい”という想いは、今のユイならば多少は理解できるかもしれない──────
最後のピッキングを終え、ユイは顔を上げた
「‥‥‥‥あ‥‥」
気付けば、菱和が肘を枕にして眠っている
静かに、深く、寝息が聴こえてきた
───寝ちゃった‥‥やっぱ気疲れさせちゃってたかな
ユイはギターを置き、そっと菱和に近付いた
「‥‥アズ」
声を掛けるも、反応がない
やはり眠ってしまったようだ
静寂の中に、菱和の寝息が聴こえてくる
自分がいつもそうしてもらっているように、ユイは菱和の髪を撫でた
さらりと流れる黒髪から、閉じられた瞳と通った鼻筋が見えた
顔のパーツを一つ一つ目で追っていくと、やがて唇へと辿り着く───
ふと、ユイは菱和に“キスしてみたい”という衝動に駆られた
途端、心臓が速く脈打つ
あ、どうしよう
なんか、止められそうにない‥や
アズ寝てるから良いかな‥‥アズも俺が寝てる間に『しちゃいそうになった』って云ってたもんな‥‥‥‥
っていやいや、違う違う!
それでもアズは俺が起きてるときにしてくれた‥!
‥‥ああ!でももうなんか無理!よくわかんないけど無理!
アズ、ごめん───
ユイは、菱和の唇にそっとキスをした
キスと云えるかどうかも微妙なほど、軽く触れただけだった
すぐに顔を離し、急激に照れ臭くなり赤面する
何故こんなことをしたくなったのか、自分でも何がなんだかわからなかった
ただ、無性に、菱和に“キスがしたくなった”
───アズが俺に“したくなる”気持ちって、こんな感じなのかな‥‥
「‥、‥‥‥」
初めて自分から菱和にキスをしたユイ
衝動を押さえられなかったことを反省し、眠っている間にしてしまったことに『ちょっと卑怯だったかも』と思いつつも、菱和の寝顔を見つめて少しはにかんだ
「───‥足んねぇ」
菱和が眠りに就いていると思っていたユイは、突然聴こえた低い声に驚き弾けるようにビクついた
「‥!‥‥起きてた、の‥あ───」
菱和は目を開けると徐に手を伸ばし、ユイの頭をぐっと引き寄せ、謝罪の言葉を述べようとしたユイの口をその言葉ごと塞いだ
「‥ん‥、‥ふ‥‥っ‥‥‥‥」
大きな掌が、頬と頭を捕らえて離さない
細長い指が、ふわふわの髪に絡みつく
乱暴な、強めのキスだった
ユイはすっかり面食らってしまう
されるがままなのをいいことに、菱和は角度を変えて何度もユイにキスをする
ただ触れるだけでなく、時折あむ、と口に含み、軽く吸う
ちゅ、と鳴る唇
菱和の深い息遣いを、感じる
ユイは、ただただ困惑した
唇が離れるほんの僅かな瞬間に息を吐こうとするも、濃厚な口付けは不意討ちの連続
おまけに顔をがっちりとホールドされ、一切身動きがとれない
「んん、ん‥‥───」
息苦しさを覚え、声にならない声が漏れる
菱和はユイを解放し、顔を離すや否や軽く頭突きをして低い声でボソリと呟く
「‥‥こんなことなら俺も、お前が寝てるときにすれば良かった」
菱和が執拗にキスを繰り返したのは、半ば“当て付け”のようなものだった
「‥‥ん‥‥す、みません‥でした」
ユイは目を丸くしたまま、色んな意味で謝罪をした
菱和は“当て付け”たようにしすっかりユイを困惑させてしまったが、いじらしさにふ、と笑みを零す
「‥‥‥‥ありがと。‥‥悪い、ほんと先寝る」
そう云って、ユイの頭を軽く撫で、また枕に顔を埋めた
「‥うん‥‥おやすみ‥‥」
───‥びっくりしたー‥‥‥
自分のキスも十分不意討ちだったかもしれない
だが、菱和のキスはそれ以上だった
『“習うより慣れろ”って云うだろ』
何時かの菱和の言葉が頭に響き、ユイは口を結び何度も目を瞬いた
鼓動はバクバクし続けており、治まる気配がしない
───でも、全然嫌じゃなかった
沢山のキスをくれた菱和
「好き」と言葉にしなくとも、愛情表現が出来る
“そういう関係”になれたということを、改めて実感する
「───‥あ」
笑い合えること
傍にいること
寝食を共にすること
抱き締め合うこと
手を繋ぐこと
キスをすること
その全ての行為に、愛情を感じる
言葉じゃなくても、言葉なんかよりも、伝えられる想い───
ユイは、先程奏でた曲“More Than Words”の意味がストンと心に落ちていくのを感じた
───そっか、
慈愛の心を抱いているのは、自分だけではない
胸の辺りが、じんわりとする───
「‥‥‥ありがとね、アズ」
ユイは菱和に布団を掛け、ギターを片付け始めた
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