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92 Beginner
バンドの方針として、テスト期間になるとスタジオ練習は“お休み”になる
バイトのシフトが増えたとはいえ、拓真も時間があればユイの勉強を見てやった
時にはリサも交えて4人で勉強会を行い、ユイは“平均点以上”を目標にひたすら机に向かった
此度の試験期間中は、今までの自分の記憶に無いほどの時間を勉強に費やした
その甲斐もあってか、ユイは全ての科目で平均点を超えることが出来た
一番苦手だった数学も大幅に点数が上がり、ドヤ顔で拓真と菱和に答案用紙を見せて寄越した
下校途中、ユイと拓真と菱和は並んで歩きながらそのことについて話す
「何にしてもお疲れさんでした。ほーんと、奇跡みたいな点数ばっかりだったな」
「んっふふー。俺、“やれば出来る子”だった!」
「‥‥何で今までちゃんとやってこなかったのか不思議でなんねぇわ」
「う‥耳が痛い‥‥」
「いやー、ひっしーの教え方が上手いんでしょ」
「そんなことねぇよ」
「またまた、謙遜しちゃってさ。とにかく、有難う御座いました。これで俺も心置きなくバイトに勤しめるわ。今日も稼ぐぞー」
「何だよ、折角試験終わったんだからスタジオ行こうよ?」
「試験終わったからこそバイトだろー。冬休みに向けてガッツリ稼がなきゃさ」
「むー‥‥!」
「そう膨れるなって。スタジオ行く代わりに、ひっしーになんか“ご褒美”でも貰ったら?」
「“ご褒美”‥‥?」
「今まで作ってもらったことないものご馳走になる、とかさ」
「あ、それ良い!っていうか、そんな話聞いたらめっちゃ腹減ってきた!」
「‥‥じゃあ、このままうち来るか?」
「うん!アズんちのギターも触りたいし!」
「したら、行くか」
「俺はバイト行ってきまー。また明日ねー」
「気ぃ付けて」
「バイト頑張ってね!ばいばーい!」
ユイと菱和はバイトへと気持ちが逸る拓真と別れ、菱和の家に向かった
その道すがら、菱和はユイに尋ねる
「何食いたい?」
「ずっと考えてたんだけど、今結構腹減ってるから何でも良い!」
「あっそ‥‥」
ギターと食事にわくわくしているユイを尻目に、菱和は冷蔵庫の中に何が入っていたかを思い出しながら歩いた
***
帰宅するなり、菱和は煙草を喫い始める
ユイは菱和のギターをケースから出すと胡座をかき、アンプに繋がずそのまま爪弾いた
煙草を喫い終えた菱和はユイの下へ行き、頭を軽くぽん、と叩いた
「これで心置きなく弾けるな」
「うん!めっちゃ弾く!俺のギター全然触ってないし、おまけに先にアズのギター触っちゃったからきっと機嫌悪くしてるよ!」
「‥‥妬きもちか」
「そうそう!でもこれほんとだよ、ちょっとでも触んないと拗ねてキーキー云うんだから!」
「ふーん‥‥」
───ほんとに好きなんだな、“相棒”が
心底楽しそうな顔をするユイを見て、菱和はそう思った
「それにしても、ほんと勉強頑張ったな」
「アズのお陰だよ、ほんとに有り難う!逆に俺が“ご褒美”あげたいくらい!」
菱和にありったけの感謝を気持ちを込め、ユイはニコニコ笑った
“ご褒美あげたい”
そのワードを聞き、菱和はボソリと呟いた
「──────‥‥“ちゅー”するか」
ユイは怪訝な顔をして、首を傾げる
「‥‥、“ちゅー”‥‥‥?」
「ん。“ご褒美”」
そう云って、菱和はユイからギターを取り上げ、スタンドに立て掛けた
そしてユイの顎を掴み、顔を近付ける
“ちゅー”がキスのことであると認識したユイは、途端に慌てふためく
「‥ちょ、ちょっと待って!!」
「何が」
「や、『何が』じゃなくて!」
「‥‥‥‥あぁ。初めて、か?」
「初めて、ってか、初めてだけど‥‥‥‥って、そうじゃなくてっ‥!それはさ、どっちに対する“ご褒美”なの‥!?」
「‥‥‥‥、お前にとってどうかは知らねぇけど、俺には“褒美”の価値あるよ」
真顔でそう話す菱和
ドキリとするその間にも、菱和との距離が無くなっていく
「は‥!!?いや、まっ‥‥!」
「大丈夫。俺もお前にすんのは初めてだから」
「あ、当たり前だろっ!されたことないんだからっ‥‥」
「だから今するって。‥‥ちゃんと出来ねぇ、動くな」
顎を持つ手に力が入ったのが伝わる
それと同時に、脈がより早く打つ
ユイは固まり、動けなくなった
あ
ヤバい
これ、“マジのやつ”だ
え、なに‥俺このままアズとキスしちゃうの?
いずれは“そういうこと”もするのかなーと思ってたけど、今なの?急すぎね?
どうしよ、まだ心の準備も出来てないのに‥‥
てか、顔、近っ!!
ヤバいヤバいヤバい───
「───っ!!」
ユイはぎゅっと目を瞑り、唇を固く結んだ
「──────っく‥‥っ‥‥‥‥はは‥‥!」
待てど暮らせど何の感触も伝わってこない代わりに、菱和の“笑い声”が聴こえた
こんなにはっきりと菱和の笑い声を聴くのは、初めてのこと
そっと目を開けると、切れ長の垂れ目はより細くなり、肩を震わせ、歯を見せて笑っている菱和の姿がある
菱和のこんな顔を見るのも、初めてに等しい
いつもの菱和の笑みは、少し口角が上がる程度の小さいものだ
その顔も、その声の高さも、初めて目の当たりにするもの
───‥‥こんな風に笑うんだ‥
無邪気に笑う菱和の姿に、目を奪われた
「‥ふ‥‥っ‥く、はははは‥‥!」
可笑しくて堪らない様子の菱和は髪を掻き上げ、未だ声を出して笑っている
ユイはなかなか笑いが収まらない様子に戸惑い、菱和の顔を覗き込んだ
「あ、アズ‥‥?」
「───お前、超めんこい。‥‥でも、そんな顔されたらめっちゃやりづれぇ」
菱和はくく、と笑いながらユイの頭を撫でた
「‥な‥‥あ、う‥‥‥‥ごめ、ん‥‥なさい‥‥」
「‥‥ユイ、おいで」
ユイは促されるまま、菱和の腕に収まる
「‥‥ハグは、平気なのな」
「‥んん、決して平気な訳じゃないんだけど‥‥」
「‥‥‥嫌だった?」
「嫌じゃない、よ‥!いきなりだったからわけわかんなくなって混乱しただけ!」
「そっか‥‥ちょっと安心した」
「‥え‥‥何で」
「だって、あんな顔するから本気で『嫌なんだ』と思って。‥‥でも、マジで可愛かった」
───ああもう、爆発しそう
恋愛経験が皆無な自分にはキスなど土台無理な話だ
菱和の顔も、身体も、吐息も鼓動も、何もかもが近くて、それだけでも破裂しそうなくらい緊張してしまう
しかし、菱和が“そういうこと”をしたいと想ってくれているのは素直に嬉しいこと
「‥‥嫌なわけじゃないんだ、ほんとに。でも、俺にはまだハードルが高過ぎるっていうか‥‥‥‥」
ユイが恥ずかしがっているだけだということは、菱和も充分理解した
他の場所ならばいきなり唇にするよりハードルが低く、幾分か緊張も紛れるかもしれないと思い、菱和はユイの唇を指差した
「‥‥‥‥あのさ、“ここ”じゃなかったら、良い?」
ハードルを下げてくれたことに『申し訳ない』『情けない』と思いつつも、ユイは頷いた
「‥‥‥、ん」
菱和はふ、と笑むと、ユイの前髪を上げて額にそっとキスをした
『一体どこにされるのだろう』とおっかなびっくりだったユイは、あまりにすんなりと済んだことに少し拍子抜けした
「‥‥‥お前の番。‥‥どこでも良いから、お前の好きなとこにして」
そして、顔を覗き込まれまた心臓が鳴る
「‥‥、‥‥‥‥」
漆黒の瞳に見つめられると、吸い込まれそうになる
この眼差しも、初めて落とされたキスも優し過ぎて
その優しさを一人占めしてるのが不安になるくらい嬉しくて
耳障りな鼓動だけが動いてるみたいで
思考が止まりかける
───っていうか“キスそのもの”が俺にはハードル高いんだよ‥‥や、ちゃんとやんなきゃ。アズはしてくれたんだから
早鐘は止まぬままだが、ユイは決心した
しかし、『どこでも良い』と云われても困り果ててしまう
思い悩んだ挙げ句、ユイは徐に菱和の手を取った
ギターよりも弦の太いベースを弾く、細く長い指
固くなったその指先に、軽く唇を押し付ける
──────そういや少し前、顔真っ赤にして“好き”って云ってたっけ。‥こいつらしいな
ユイのいじらしさに柔らかく笑み、菱和はたった今キスをされたその手でユイの頭を撫でた
「‥‥‥ありがと」
「‥‥‥‥、ごめん‥‥」
「何で謝んの?」
「く、唇じゃなかったから‥‥」
「場所なんてどうでも良いよ。お前が“そういうことしてくれた”ってのが、一番嬉しい」
「ほん、と?」
「うん。ちょっと、意外な場所だったけど」
「‥‥ごめん、ほんと慣れてなくて‥‥」
「‥慣れてたらそれはそれで複雑だわ。‥‥っつーか正直、俺も探り探りだから」
「そ、なの?」
「そうだよ。‥多分、好きだから余計に」
菱和はぎゅ、とユイを抱き締めた
「‥‥‥手も繋ぎてぇし、キスもしてぇなって思うけど、かといって、無理強いする気はねぇから。お前が嫌がるようなことは絶対しねぇ。‥‥きっとそのうち何もかも普通に出来るようになるだろうから」
菱和の心臓の音が聴こえる
自分の早鐘よりも、ゆっくりと、深く、静かな鼓動
余裕綽々な菱和と今にも爆発してしまいそうな自分
『慣れている菱和』と『不慣れなユイ』というアンバランスな構図の2人だが、菱和とて恋愛経験が豊富というわけではない
経験の有無など関係なしに、自身の気持ちに素直に従っているだけだ
「‥‥アズ」
「ん?」
「‥‥‥‥俺、のこと、‥好、き?」
「うん。好き。‥‥慌てたり照れたりしてるお前も、可愛くて好き」
「な、ん‥!!」
先行きを不安に思うユイは堪らなく『自分を好きか』などと尋ねたが、即答され案の定照れまくる
───あーあ、なんかこれ癖んなりそ
照れるユイを余所に、菱和はくすくす笑いながら『つくづく自分は“S”だ』とぼんやり思った
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