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68 Fallin’ 【Y SIDE】
『菱和が問題を片付けるまでバンドは一時休止。但し、個人練は怠らない』と決まった数日後
ユイと拓真は気持ちを切り替えるのには最適だと判断し、スタジオに行って音を出すことにした
アタルは相変わらず課題に忙しそうなので、暫くは2人での練習になりそうだった
「店長、こんにちは」
「お、いらっしゃーい。Bスタ、もう入れるよー」
「え、でもまだ少し時間あるし‥‥」
「ぜーんぜん気にしないで!今日は予約少ないし、ゆっくり使ってって良いよー」
「いつもすいません、有難いっす」
「いえいえー」
拓真が我妻と話をしている間、ユイは喫煙所の方を見つめていた
いつも
アタルと並んでベンチに座ってのんびりと煙草を喫い、他愛もない話をしていたんだろうか
自分の知らぬ間に、煙草が2人の信頼関係を築いていたのか
そろそろ、あの扉から菱和が入ってくるような気がしてならない
シルバーのメッシュが入った黒い長髪を揺らして怠そうに、腰から提げたウォレットチェーンを鳴らして───
「‥‥行こ」
拓真に背中を叩かれ、ユイははっとした
名残惜しそうに喫煙所の方を見つめ、拓真と共にBスタジオに入った
拓真には、ユイの視線の先と、『一体何を考えていたのか』ということが手に取るようにわかった
ドアを閉めると、ユイはギターをスタンドに立てて椅子に座り、小さく溜め息を吐いた
拓真もドラムセットの椅子に座り、ユイの図星を突いた
「‥‥ひっしーのこと考えてたんでしょ?」
「ん‥‥うん。‥‥‥皆で“待つ”って決めたけどさ、アズに会えないのはやっぱ淋しいなー‥‥って」
そう云って、ユイは薄く笑った
「───好きなんだもんな。ひっしーが」
拓真は敢えて“好き”という単語を口にした
「‥‥え?う、うん‥好き、だよ。大事な友達だもん」
「いや、“そういう好き”じゃなくて」
「へ?」
上手く核心をついたつもりだったが、どうやらユイはピンときていないようだ
───あーあ、ほんと鈍いんだから
この際だからと、拓真は立ち上がってユイの前へ行く
「目ぇ閉じて」
「‥は?」
「いいから目ぇ閉じて」
拓真はユイの目を手で隠した
その意図を理解する間もなく目の前を遮られ、ユイは云われるままに瞳を閉じた
「‥‥今、真っ先に思い浮かぶのは、誰?何も考えないで、“その人”のことだけ考えてみ」
拓真の問いに、ユイは一度頭を空っぽにした
無愛想な無表情
怠そうに煙草の煙を吹かす横顔
時折見せる笑顔
鮮明に、克明に、次々と菱和の顔が思い浮かんでくる
意識せずとも、今まで見てきた菱和の顔が浮かぶ
不思議な気持ちだった
同じ空間にいなくても、つい菱和のことばかり考え、菱和の顔ばかり思い起こされる
さっきだってそうだ
いつも菱和がいる場所に、居るような気がしていた
怠そうな歩みと共に鳴るウォレットチェーンの音が聴こえてくる気がした
あの香水の香りが、漂ってきそうな気がした
ユイの頭の中を占拠しているのは、菱和だった
「‥‥その場にいない人のことって、相当その人のこと想ってなきゃ思い浮かばないじゃん。‥‥友達としてじゃなくて、それ以上にひっしーのこと特別に想ってるんじゃないの?俺もひっしーのこと好きだし尊敬してるけど、お前の“好き”はもっと“特別なやつ”でしょ」
拓真はユイの気持ちを代弁する
「‥‥違う?」
手を退け、こくんと首を傾げた
優しい菱和が、大好きだ
菱和の笑った顔が、大好きだ
それは“友達として”という感覚だと、ずっとそう思っていた
菱和が時々見せる笑顔や突然触れてくる手に、心臓が鳴った記憶がある
身体中の熱が上がり心臓が早く動くあの感覚に、ずっと違和感を覚えていた
何故そうなるのか、さっぱりわからなかった
拓真に云われた今、それが恋愛感情だったのだと、ユイは初めて自覚した
気付けば、目を丸くしたまま顔を真っ赤にしていた
拓真は思わず、くす、と笑う
「‥‥やっぱりね」
「‥‥‥‥たく‥ま‥‥お、俺‥‥」
ユイは口をぱくぱくさせたが、堪らず顔を伏せ、困ったような顔をした
「‥いつから‥‥わかってた?」
「ずっとそう思ってたけど、俺は」
「ずっと、‥‥?」
「んー‥‥‥ひっしーがバンド入ってちょっとしたくらいかなぁ」
「‥‥‥‥何でそう思った、の?」
「‥‥なんとなく?」
そう云って、拓真はドラムセットの椅子に座った
「惚れるのもわかるよ。優しいし格好良いし男前だもん、ひっしーは。同性から見ても、『良いな』と思うもんね」
言葉にしなくても、拓真にはこの気持ちは明け透けだった
そう思うと、恥ずかしくて堪らない
耳障りなほど、心臓が五月蝿い
そのうち爆発してしまうのではないだろうかと思うくらい、胸の鼓動はバクバクし続ける
ユイは唇を尖らせ、萎縮した
話を聞いてくれた
一緒に演奏してくれた
ご飯を作ってくれた
下らない話に付き合ってくれた
一緒にサボってくれた
車で送ってくれた
自分の誘いを真剣に考えてくれた
大切なものを護ってくれた
ベッドに寝かせてくれた
震える手を握ってくれた
抱き寄せてくれた
『恩人』だとお礼を云ってくれた
笑い掛けてくれた
いつも、隣に居てくれた
今まで菱和がしてくれたことの全てが、嬉しかった
自分の感情を認めた今、その行き場が無くなる
「変、だよね‥‥こんなの、普通じゃないよね」
「何?普通って」
「普通は、女の子に抱く気持ちだよね?でも、アズも俺も男だし‥‥」
「───だから?」
「‥‥え‥‥‥‥?」
「『だから何?』って感じ。‥‥‥人を好きになるのって、凄く素敵なことだからさ。相手が男でも女でも、関係ないっしょ」
拓真はタムに頬杖を付いて、にこっと笑った
ユイの気持ちに気付いた当初から、拓真はその恋を応援するつもりでいた
ユイが誰を好きになろうが、自分がユイのマブダチであることはこの先もずっと変わらない
後押しが必要なら、遠慮なく背中を押してやる
愚痴りたければ、思う存分捌け口になる
マブダチとして、出来る限りのことをしたいと思っていた
純粋に人を想う気持ちは、誰にも止められはしない
ユイの場合は、叶わない恋になるかもしれない
だが、それはそれで良いのではないか
そこまで人のことを想えるその気持ちを、大切にして欲しいと願った
『お前は、そのまんまがいちばん良い』
いつか菱和が云った言葉が、ユイの頭の中に反響する
そうか、そうだ
俺はアズが好きだ
あっちゃんはアズが俺らのこと『気に入ってる』って云ってたけど、俺は少し‥‥いや、大分違ったみたいだ
ひょっとしたら、アズは俺の気持ちなんか迷惑かもしれない
かといって、今更簡単に止められる想いでもない
今はまだ心に仕舞っておく
『アズを好きになった』
この気持ちを、大事にしよう
いつか機会が巡ってきたら、その時アズに打ち明けよう
ユイは、照れ臭そうに笑った
「ありがと、拓真」
「うん。‥‥さ、なんか演ろう!」
拓真は思いきりスネアを叩いた
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