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56 Hug
スタジオでの練習を重ね、あっという間にマンスリーライヴを翌日に控えた
リハーサルも無事に終え、あとは当日に向けての心構えをするのみとなった
アタルの提案でスタジオ練習は早めに切り上げ、遅くならないうちに解散することになった
そして今夜は菱和の自宅へ行くのを止め、全員真っ直ぐ帰宅することにした
「俺、買い物あるから先帰ってて」
菱和は駅方面ではなく、週末の夜に浮き足立つ繁華街へと向かおうとしていた
アタルは軽く手を上げてにこっと笑う
「おう、わかった。明日、宜しくな」
「うん。気ぃ付けて」
「お前もな」
菱和が振り返ったのを見て、ユイたちは揃って駅方面へと歩き出そうとした
と、突然、ユイが立ち止まって叫び出した
「──────あ!俺も買い物あったんだ!すっかり忘れてた!」
ユイの声は、まだあまり距離の離れていなかった菱和の耳にも届いていた
ちらりと振り返り、ユイを見る
「アズー、俺も一緒に行って良いー!?」
ユイが菱和に向かって手を振ると、菱和は踵を返して来た
拓真とアタルは呆れ返っていた
「ギターに熱中すると他のことはほぼ疎かになるもんなー」
「ほんとアホ。弾きすぎて食事もとらなくなる変態だもんな」
「うるさいな!変態じゃないってば!早く帰んなよ!」
「ほいほい。補導されんなよ」
「ひっしーと一緒なら大丈夫じゃない?じゃ、また明日ー」
拓真とアタルは駅方面へと歩き出した
ユイと菱和はそれを見送り、繁華街へと向かった
「アズは何買うの?」
「日用品。お前は?」
「電池。ストックもう無くてさ。昨日テレビ付けたらリモコンの電池なくなってやんの。あれ、壊れたかな?と思って焦っちゃった!」
「お前らしいエピソード‥‥‥じゃあ、コンビニより安く買える店まで行くか」
目的地も決まり、2人は並んで歩いた
***
買い物が済んだ2人は駅方面へと向かった
「‥‥ねぇ、まだ時間ある?」
ユイは歩きながら、云いずらそうに菱和に尋ねる
ちらりと見たユイの顔は初ライヴの前日と同様、名残惜しそうな表情をしていた
「‥‥‥‥少し話すか?」
「‥‥大丈夫?」
「ん。‥‥‥‥まだ帰りたくねぇんだろ?」
「うん‥‥‥でも、折角あっちゃんが早く帰れるようにしたのになんか悪いなっ、てのもあって‥‥」
「‥‥云ったろ、『お前の気が済むまで付き合う』って。何も遠慮すんなよ」
そう云って、菱和は煙草に火をつける
「‥アリガト!」
ユイはにっこり笑った
前回と同様、駅前に点在する広場で談笑することにした2人
ベンチは殆ど埋まっていた
座り込んで話すほどの時間をとらないつもりで、2人はベンチが設置されていない、あまり人気の無いところまで移動した
「はー、“GOLD RUSH”マジ楽しみ!」
「‥‥前から思ってたけど、あっちゃんてセンス良いよな。この前の新曲も良かったし、あっちゃんの曲は独創的で結構好き」
「センスの塊だよね、あの人は!そこにそれ入れちゃう!?って時もあるけどちゃんとハマってるし、ほんと独特だよねー。歌も上手いしさ。俺、頭上がんない。ただのギターバカじゃないんだよねー」
「‥‥お前もただのギターバカじゃねぇじゃん」
「‥‥‥‥そう?」
「佐伯もあっちゃんも云ってるよ、お前は努力家だって。お前のギター聴いてたら、ほんとそうなんだろうなって思う。‥‥でも努力だけじゃどうにもならないこともあんじゃん。それはもう才能で補うしかないわけでさ、一点集中出来るとことか努力出来る才能を持ってるってことっしょ、お前は」
ユイのギターの技術に対する拓真やアタルからの評価、そして自らの印象を実直に話す菱和
ユイ自身は自分が楽しいと思えることをやり、その為に努力しているだけなのだが、メンバーからその努力を認められているとわかり、顔が綻んだ
「‥‥‥‥そんな風に思われてたんだ、俺。‥なんか嬉しい!」
「‥‥たまに跳ねてっけどな」
「あー‥‥‥よく云われる。気を付けてるつもりなんだけどさー。テンション上がり過ぎたら何も考えらんなくなっちゃうんだよね」
「『今キてんのかな』とか『すげぇ好きなフレーズなんだろな』とかすぐわかるから、聴いてて楽しいけどな」
「楽しんでくれてるんだ?」
「うん。楽しいよ」
「‥そっか!」
少し冷えるようになってきた夜
空も空気も澄んでいるように感じられる
ひんやりとした風が木々をざわめかせ、秋の訪れを伝え来る
風に吹かれ、ざわざわと鳴る樹の葉
それに掻き消されてしまいそうになるくらいの低い声で、菱和はぽつりと本音を呟いた
「───‥‥‥‥ずっとお前とバンド出来たら良いな」
菱和の声は、ユイの耳に届いていた
たまに呟く菱和の本音は、ユイにとっては嬉しい言葉ばかりだった
今の言葉も、御多分に漏れない
「俺もそう思ってるよ。今、すげぇ良い状態だし。やっぱり、あの時声掛けてて良かった!仲良くなれた上に一緒にバンドも出来るなんて、俺ってツイてる!アズが居てくれて、ほんとに良かった!」
笑い掛けるユイの笑顔を見ても、菱和は心がざわつくことが無くなった
寧ろ、安らぐような気がしていた
その微妙な変化が現れたのは、ユイのことを“好き”だと自覚した頃からだった
菱和は俯き、薄く笑った
「‥‥‥‥お前には、マジで感謝しなきゃな」
「え?何で?」
感謝される覚えが全く無く、ユイは目を丸くする
菱和は空を見上げ、話し出した
「──────学校に行かなくなったのは、中学入ってからだった」
菱和の感謝と学校の話がいまいち噛み合わず、ユイは少し首を傾げた
「学校なんて、全然楽しくなかった。色々あってグレて、毎日喧嘩ばっかしてて、終いにゃ大怪我して。余計、学校に行こうなんて思わなかった」
怪我の話をしたところで、いつか見た菱和の身体の傷痕がユイの頭を過った
たった一度見ただけだが、鮮明に脳裏に焼き付いている菱和の胸の傷痕
ユイは背筋がゾクリとした
菱和は続けて話す
「親があんまり云うもんだから編入してみたは良いけど、去年一年はやっぱりつまんねぇ場所としか思えなかった。俺がこんな成りだから仕様がねぇのかもしんねぇけど、クラスの奴等はみんなビビって目も合わせようとしねぇ。‥‥‥でもお前は、一緒にバンドやりてぇとか仲良くなりてぇとか云ってわざわざ俺に話し掛けてきた。お前のお陰で、俺は全然退屈じゃなくなった。ダチも増えた。お前が話し掛けてきたのが、全部のきっかけだった」
そう云い、穏やかな表情でユイの顔を見た
「だからお前は、俺の“恩人”」
珍しく過去の話をする菱和
菱和の話を黙って聞いていたユイは『恩人』と云われ、面食らった
「‥‥大袈裟だよ、恩人なんて!」
「大袈裟じゃねぇよ。少なくとも俺は、そう思ってる」
菱和は真っ直ぐユイを見つめている
ユイはきょとんとしていたが、軽くはにかんだ
「恩人、かぁ。なんか照れるなぁ、へへ」
見ている方までつられて笑顔になってしまいそうになる、心が綻ぶようなユイの笑顔
今まで沢山の表情を見てきたが、菱和にとってユイの笑顔はいつも“可愛い”と感じられた
菱和はユイに近付き、徐に手を伸ばした
ユイの頭を、自分の肩に引き寄せる
大きな掌の感触がユイの後頭部に伝わると、菱和の肩にとん、と額が当たり、香水の香りが鼻を擽った
───え‥な、何これ
突然のことに驚き、ユイは身動きが取れなかった
急激に心拍数が上がり、菱和にこの行動の意図を尋ねるのが精一杯だった
「‥‥‥‥ど、したの?」
「‥ん?‥‥感謝の気持ち」
顔が見えない分、本当にそうなのかどうかがわからない
ユイの緊張がどんどん高まっていく
「‥そ、そう‥‥なの?」
「ん。‥‥‥‥有難う、ユイ」
菱和は顔を寄せ、ゆっくりとユイの頭を撫でた
「‥‥‥う、うん‥こっちこそ、有難う。仲良くしてくれて」
ユイの頭を優しく撫でる菱和
何だかよくわからない状況だと思いつつ、ユイは軽く身を預ける
ユイから礼を云われ、菱和はくす、と笑った
ユイの頭をぽんぽんと軽く叩き、身を離した
「‥‥明日も、宜しくな」
そして、柔らかく笑む
何度か見てきたその表情は、決まっていつも不意打ちだ
緊張が上乗せされていくユイ
だが、菱和の貴重な表情を見られたことにみるみる嬉しくなり、すぐに笑顔になる
「‥うん!楽しもうね!」
***
帰宅の途についたユイ
いつもより、心臓が早く動いていることに気付く
思わず立ち止まり、胸に手を当ててみた
──────‥‥‥‥あれ‥?
明日のライヴは楽しみだ
楽しみであることに変わりはないのだが
ライヴを待ち侘びるワクワクやドキドキとはまた違った感覚
菱和に抱き寄せられたこと
頭を撫でられたこと
『恩人だ』と礼を云われたこと
まさか早鐘の原因がその所為であるとは、露程にも思わなかった
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