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101 THE-PAST①
時刻は夕方に差し掛かった
ユイはなかなか目覚めなかったが、直に覚醒するとの判断を下した久留嶋はタクシーを一台呼んだ
拓真、リサ、菱和はそれに乗ってユイの自宅に向かった
更に久留嶋は、上田とカナを自分の車で自宅へと送り届けた
菱和は助手席に、拓真とリサは後部座席に乗り、リサはユイに膝枕をして寝かせた
タクシーに揺られる中、3人は一言も喋らず皆一様にユイのことを想っていた
ユイの自宅に着くと、拓真と菱和が2人掛かりでユイを寝室に運び、ベッドに寝かせた
机には読みかけの漫画が詰まさっており、隣の棚には漫画と雑誌がところ狭しと並ぶ
愛機の黄色いレスポールはシールドが刺さりっぱなしで、アンプに繋がったまま
床にはスコアやCDが散乱し、お気に入りなのであろうクッションが草臥れた様子で転がっている
「───‥ユイの部屋、初めて?」
室内を見回していた菱和は拓真に声を掛けられ、ふっと顔を上げた
「‥‥ああ、うん」
「散らかってるっしょ。いっつもこんな感じなんだ」
拓真は軽く笑ってそう云った
いつも雑然としており、拓真とリサに『少しは片付けろ』とでも云われているのだろうか
「───‥‥‥」
室内にその余韻が残っているような気がした菱和は、静かに息をし横たわっているユイをちらりと見て、拓真に続いて部屋を出た
***
2人が2階から降りてくると、リサがキッチンで湯を沸かしていた
「‥‥どう?」
「落ち着いてるよ。まだ目を覚ます感じじゃないけど」
「そう。‥‥今、あったかいの淹れるから待ってて」
リサに促され、拓真と菱和はダイニングの椅子に座った
程無くして、温かい焙じ茶が入った湯呑みが2人の前に置かれる
香ばしい茶の香りがふんわりと喉を通ると、ついさっきまで騒然としていたことを忘れてしまいそうになるほど落ち着いていく
リサも座り、琥珀色の焙じ茶を見つめた
「───もしかさ、」
「何?」
「‥‥“あのこと”だよな、やっぱ」
「‥‥‥、そうかもね」
長い付き合いを続ける中、ユイが過呼吸になったのは今回が初めてのことだ
拓真とリサにはユイが過呼吸になるほどのストレッサーに心当たりが一つあったが、まさかこんな事態を招くことになるとは2人とも予想だにしていなかった
ユイがこの先ずっと苦しむことになってしまったとしたら───
そんなことを憂い、2人は溜め息を吐いた
「‥‥過呼吸になった原因?」
「ん、うん‥‥‥‥」
「‥や、別に詮索する気はねぇんだけどさ。少なくとも、2人がその辺の事情わかってんならそれで充分だろうから」
そう云って、菱和は焙じ茶を啜った
リサは菱和の横顔を見つめると、ぎゅ、と拳を握り締めた
「───拓真」
「ん?」
「‥‥菱和になら、話しても良いんじゃない」
「え‥」
「‥‥‥‥、何の根拠もないし、こっちの勝手な都合だけど、こいつならユイの過去も全部受け入れてくれる‥って思ってる。‥‥負担にはさせたくないけど」
今一度、ぎゅ、と力が篭るリサの拳
相反する2つの感情を抱く複雑な表情のリサを見遣る
「‥‥‥‥そういう過去も含めて全部“あいつ”だろ。それをわかってて、お前も佐伯もあいつとずっと一緒に居るんだろ」
菱和はほんのりと口角を上げた
───ああ、きっと大丈夫だ
自分達の想いを汲み取ったような言葉を聞き、拓真とリサはそう思った
「‥‥‥ひっしー。聞いてくれる?ユイの昔の話」
「‥うん」
菱和がこくりと頷くと、拓真は心置きなく話し出した
「───ユイに母親が居ないのは、知ってる?」
「うん。前にあいつが云ってた。『父子家庭だ』って」
「そう、2歳くらいの時だったかな。‥‥ユイの母さん、交通事故で亡くなってんだ」
「‥事故」
「うん───」
15年前
横断歩道を渡っていた母子に、一台の車がノーブレーキで勢いよく突っ込んできた
母親は咄嗟に子供を庇い、そのお陰で子供は掠り傷程度で済んだが、母親は意識不明の重体に
治療の甲斐も空しく、母親は意識が戻らぬまま2日後に死去した
残された家族は哀しみに暮れたが、幼かったユイは母親が亡くなったことをきちんと理解していなかった
兄の尊と父親は『お母さんは遠くに行った』とユイに教え、記憶に残るか残らないか曖昧な年齢のうちからそう教えられたユイはすんなりとそれを受け入れた
だが、事故直後の凄惨な光景───血塗れで自分の傍に横たわる母親の姿は記憶の片隅に残っていた
いつ何かの弾みで“その日”の出来事を鮮明に思い出すかわからず、そのショックは計り知れないものだと、当時の児童心理士は云った
以降、家族はおろか親戚でさえも、事故死した母親のことをユイの前で口にすることは無かった───
「───‥‥ユイの叔母さんだけを除いて」
「‥‥‥‥叔母?」
「お母さんの、妹さん。お母さんが亡くなってからここに出入りするようになったんだって。‥‥ああ見えてユイって小さいとき虚弱体質だったんだよ、しょっちゅう熱出してたし今よりずっと食も細くて、結構手が掛かる子供だったっぽい。だから、『お兄ちゃんは健康で勉強も出来るのに何でこの子は』ってなって‥‥‥たけにいと親父さんが居ないとこでユイのこと蔑んで、虐めてたんだ。無視したり、幼稚園のお迎え行かなかったり、飯食わせなかったり‥‥‥事故の話もしたみたいでさ、最終的に出てきた言葉が───」
「“お前なんか生まれてこなければ良かったのに”」
母親の事故死から2年後
4歳になっていたユイ
叔母から云われた言葉と自分に母親がいない理由が直結し、『母が亡くなったのは自分の所為だ』と刷り込まれ、次第に口数が減り笑顔を見せなくなった
「‥‥一番最初は、たけにいが気付いたの。ユイの身体に、痣が出来てるの。‥‥私たちもまだ小さかったから、虐待の定義も意味もわかんなかった。大きくなるにつれて、段々あのときのことがわかってきた‥って感じ。だからって、当時の私たちに何が出来た訳じゃないけど‥‥でもそのとき何も出来なかったからこそ、“今”はユイのこと護りたいの。‥‥‥‥大袈裟かもしんないけど」
「俺らの前では明るく振る舞ってたけど、その裏で悲惨な目に遭ってたんだ‥って思うとやりきれなくてさ‥‥だから、ユイが困ったときは力になりたいと思って、今までずっと一緒に過ごしてきた。腐れ縁だからさ、俺ら。その叔母さんのことよく知らないけどさ、自分で勝手に出入りしといてユイのこと厄介に思って挙げ句虐待とか‥‥‥‥ほんと身勝手だなって、ずっと思ってた」
自分達だって幼かったのだ、それは致し方ないこと
悪意に対抗する術がなかったことは自分達だってわかっているが、“当時の自分達は何も出来なかった”と、拓真とリサは未だに後悔の念を抱いている
菱和は、単なる同情ではない幼馴染みなりの慈しみや愛情の深さを改めて実感した
リサが、ユイのことになると“保護者”のように冷静さを欠くほど激昂するのも頷けた
「‥‥‥そうだな。‥‥大人って、結構身勝手だよな」
何か含みを持った菱和の言葉
拓真とリサは、怪訝な顔をした
「───うわああああっっっ!!!」
突如、2階から悲鳴が上がった
3人は顔色を変えて立ち上がり、一目散にユイの部屋へ向かった
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